相変わらず「休まない人」を継続し続けている。最近も”シフト上は”週休2日になったのだが、それだと仕事が回らないのが現状のため、片方を自主的に返上し続けている。
その内もう積極的に自分のスケジュールを調整してまでオフを取るのが完全にめんどくさくなり、最近は「休みにするくらいなら溜まった仕事をする」日に充てている。
そんな僕だが、時折「何が」というわけではないが、ふと不安になることがあり、ネットで「休まない人」と検索することがある。そこで出てくる評価はやはり辛辣だ。

主にこれらは「実害がある存在」へのクレームという意味合いに聞こえる。休まないから労基から怒られる、とか、一人が休まないから周りも休み辛い、とか。
それはそれで一つの側面だろうと思う。だが、僕が抱えている状況と違うな、とも思う。今日はそれも参考にしつつ、僕自身の現状を棚卸してみる記事である。
僕は”休まない”というより、”休めない”人寄りだ。
塾としてどうなんだろうというのはさておきなのだが、現状高校英語をしっかり指導可能な講師は、実は社内で僕だけである。校舎ではなく、社内の話だ。
だから高校で継続となった際は、全ての英語のコマが僕にやってくる。平日は既に集団授業等で埋まっているのだから、その受け皿はもう存在しないことになる。
となればもう、必然的に休みが削れてくる。実は今日も”本来は”僕のオフの日なのだが、定時通り出社して、定時より1時間早い程度の時間まで、授業は詰まっている。
そのコマを誰に振ればいいのか、という話だ。もちろん今も講師募集は掛け続けているが、その講師が育つまではずっと僕が肩代わりなのである。
逆に理系講師は比較的潤沢なので、理系担当の方々はしっかり定時で退社でき、しっかりオフも取れている。これが文系にも本来あるべき姿なのかな、と思うことはある。
もっとも、彼らに面談や顧客対応を依頼すればいい、と言われることもあるが、僕はこれもあまり賛成しない。彼らが休日出社しても、僕は別件でそうするだけだからだ。
休日出社している人間が二人になることは、”組織全体で”完全なる失敗だろう。一人で済む仕事は、一人でやればいいのだ。そう納得しているので、実は何も感じていない。
高潔というより、自分に対して全く価値を置いていない僕。
そんな僕だが、手前味噌なものの、他人が無駄な仕事をしていることにはすごく厳しいと自負している。そのせいで休みが減っているのなら論外とさえ言いきってしまう。
無駄な講師の動きは発見次第調整したり、どこか渋滞が起きているルールや決まりごとは簡単に変える。1コマのために出勤しようとする講師は見つけ次第止める。
だが僕は、”同じことを自分にすることができない”。逆にそうされている自分を想像すると、気持ち悪いったらありゃしないし、余計なことをすんなよ、とさえ思うからだ。
自分とはあくまでも操作キャラクターのようなものである。RPGゲームをしながら、戦闘で体力の減ったキャラを感情をこめて労うことはしないのと同じだ。
僕は僕を使い切っている。疲れたと思ったら回復アイテムを使えばいい。それだけだ。ゲームのキャラを休ませるためにゲーム機の電源を数日切るやつはいないだろう?
・・という距離感と考え方でしか、僕は僕と向き合えない。いつの間にかそうなったのか、元々そうだったのかよくわからないのだが、意志と身体が同一と感じないのだ。
意識はゲームをプレイしている人間で、身体はそれが操作するキャラクターだ。僕はこのモデルで世界を見ているというモデルに納得する。
ということでまとめるなら、僕は依頼する先が無いので休む暇がないのと同時に、自分に対してそこまでのことをする必要を感じていないというのが本心なのだ。
体育会みたいな物言いだが、自分が寛いでいる・ラクできているときは、”何かを見落としているか、間違っているに違いない”と、どうしても不安になるのだ。
というわけで僕はいっそ、何なら100連勤みたいなハチャメチャな世界を覗いてやろうかなと、そんなことさえ”ストレスなく”考えている折なのである。
では今日はこの辺で。