2日前の記事ともかなり重なる話ではあるのだが、このゴールデンウィークを通じて気づいた、僕の休日に関する勘違いについて整理しておく。
先の記事でも触れた通り、これまであまり明確に言葉にしてこなかった、僕が「休み」があまり好きではない最大の理由は、休むと体調が悪くなるからである。

勿論前日までは、「明日は何をしようかな」と普通に考えている。しかし、いざ当日になると、身体が異様に重く、頭痛や腰痛が出て、療養に消えていくことがしばしばだ。
こういう経験を何度も繰り返してしまうと、結果として「休むと苦しくなる」という感覚が、自分の中でかなり強く学習されてしまう。
むしろ、仕事をしている日の方が体調が安定している感覚すらある。だからこそ、無意識のうちに「休まない」という方向へ自分を誘導していたのだと思う。
ある意味では、連勤を切らないためにあらゆる手を尽くそうとしてしまうことは、自分なりの防衛反応の裏返しだったのかもしれない。
そして、それを正当化するために、「まだ結果が出ていない」とか、「自分の理想ラインに届いていない」とか、そういった言葉をずっと使ってきた気がする。
その感覚は、このゴールデンウィークも同じだった。最初の2〜3日はかなり元気だったのだが、その理由は”まるっと休みを取れていたから”ではない。
ということでその理由を以下書きながら、この話をさらに展開してみようと思う。
やすむってなに?

GW序盤の体調が良かった理由は何か。病気に聞こえるが、その理由はやはり単純で、自分で勝手に予定を詰め込み、普段と同じような密度で動いていたからだ。
つまり、「仕事の過ごし方」を、そのまま休みに持ち込んでいただけだった。ところが、数日も経つと、やることは自然と尽きてしまう。
外泊する用事もあったことから日々のルーティンも崩れ、「今日は何をしようか」と考える時間が増え始めた。すると、そこから一気に体調が悪くなっていったのだ。
身体が重く、頭痛も出て、「やっぱり休まない方がいいのでは」と、また思いかけた。もちろん、その考え方がかなり危ういことは自分でも分かっている。
結局のところ、これは「休み」が悪いのではない。普段から神経を張り詰め続けていて、疲労やストレスを認識できない状態になっているせいだ。
だから、その緊張が切れた瞬間に、抑え込まれていた疲労が一気に噴き出しているだけなのだと思う。これは前記事にした時点で、強く確信している。
そしてその疲労がなぜ僕をここまで苛むのかというと、「休日一日では回復しきらないレベル」のそれを、一週間かけて”ずっと”溜め込んでいるからではないかと。
そう考えると、かなり辻褄が合う。実際、「ストレスは、自覚するのが難しい」という話は昔からよく聞く。ただ、自分もまさにその状態だったのだと思う。
客観的に見れば、週に一回体調を崩すレベルの疲労がある。それなのに、「自分はそこまで疲れていない」と思い込んでいた。これは結構まずい。
では、なぜここまで張り詰めてしまうのか。ここについては、まだ色々な仮説がある。それに、そのこと自体が完全なる愚行だとも、僕は思わない。
例えば、常に神経を張っているからこそ、今のアウトプット量が成立しているのではないかと思うところもあるのだ。問題をそこまで白黒はっきり分けるのはナンセンスだ。
だから一つ小さい区分で考えるなら、そもそも日常の中に「自分が心から好きだと思える時間」が少なすぎること自体が課題なのではないかと思えてくる。
少なくとも、「今の一日の使い方」が最適解ではない、という感覚はかなり強い。良くて60点くらいではないか、とすら思う。
そして何より、「自分は仕事のためだけに生きているわけではない」と、今の自分は胸を張って言い切れない。思っていることと、実際の行動が噛み合っていないからである。
だからこそ、これからは「どう休むか」ではなく、「どう生き方そのものを調整するか」を考えないといけない。
このゴールデンウィークを通じて、単なるオフの取り方ではなく、自分の根底の価値観そのものを見直す必要があることが、かなりはっきり見えてきた。
それは一つ、大きな収穫だったと思う。ということで、今日はこの辺で。