精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

僕は【放送作家・構成作家】の方々の”世界の見方”が好きだ。

今一番興味が爆発しているものは何かというと、【放送作家・構成作家】の方々の働き方である。

 

GW中もかなり色々調べていたのだが、その後も折に触れてインタビューを読んだり、実際の仕事風景を追った記事を見たりしているうちに、あることに気づいた。

 

僕は単純に「構成作家という職業」に惹かれているわけではない。もっと正確に言えば、その人たちの「世界の見方」に、強く共感しているのだと思う。

 

つまり、「どういうメガネで世界を見ているか」という部分である。それが自分にとって非常にしっくり来るし、また「自分もそうありたい」と、自然に感じられる。

 

そんな感覚がかなり強くあり、その手応えを忘れないうちに言葉にしておきたくなった。だからこの記事を通じて、しっかりと内省とまとめたいと思う。

 

 

"おもろいこと"を現出させるお手伝い。

 

構成作家の方々の話を聞いていると、普段あまり軽々しく使わないようにしている「わかる」という言葉が、どうしても、何度も、口を突いて出てきてしまう

 

例えば、「自分が考えたネタを、自分で演じるのが一番つまらない」という表現を記事で見つけたときには、本当に思わず膝を打った

 

また、「構成作家という仕事は、自分の人生に起きた出来事をリサイクルできる仕事だ」という話も、すごくいい考え方だと思った。

 

嫌だったこと、恥をかいたこと、意味がなかったように見える経験。そういったものを、後から「ネタ」として再編集できる。この感覚は、かなり自分の価値観に近い。

 

特に素敵だなと感じたのは、自分なり、周りの人なりの、「なんとなく、こうしたら面白くなりそう」という予感を汲み取り、形にしていくのが楽しいという感想だ。

 

曖昧な”おもろさ”を無理に言語化せず、曖昧さそのままに「あ、これ面白いね!」「なんかいいね!」を形にして、世に生み出していく。この感覚にも、強く共感した

 

一方で、ここまで考えていくと、ふと思うことがある。もし「空間を作ること」が好きなら、なぜ自分は舞台に”立つ側”にはあまり魅力を感じないのだろうか

 

”世界を創る”ことを目的とするなら、演者としてそれを叶えたっていいはずだ。ここには何か矛盾が隠れているような気がどうしてもしてくる。

 

ただし、その答えはさっき、自分で書いていた。「自分が考えたものを、自分で演じても、別に面白くない」と、自分自身が心底分かっているからである。

 

これは自己肯定感が低いとか、そういう話ではない。むしろ逆で、自分の適性を、むやみに否定せず、より俯瞰して、より冷静に見た結果に過ぎない

 

自分は「前に立つ人」より、「後ろで構造を組み立てる人」の方が、圧倒的に向いている。その感覚が、構成作家の考え方を知ることで、一気に言語化された気がした

 

もちろん、これを今の仕事にどう直接活かすのかと言われれば、まだ全然わからない。ただ、この視点を持って世界を見ること自体が、自分にとってかなり心地良い。

 

そして、「自分は何を面白いと感じるのか」という心の奥底にある価値観が見えてくる感覚がある。これは仕事を超えて、人生に関わる価値観なのではないかと感じている。

 

これは、別に今さら構成作家へ転職したいとか、そういう話ではない。そんな大博打を打つつもりもないし、そこまで破滅願望があるわけでもない。

 

ただ、「構成作家的な世界の見方」をしているときの自分は、かなり収まりが良い。この仮説は、今後も時間をかけてじっくり検証していきたい

 

まさか35歳になる年に、ここまでしっくり来る人生モデルに出会うとは思っていなかった。ただ、それもまた、一つの面白いネタなのだろう。

 

そう考えると、この出会いには感謝したいなと思う。ということで、今日はこの辺で。

 

 

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