精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

時折、「ただひたすらに自分を詰めたくなる」モードに陥る。

今日は、自分の中でもまだトリガーがよく分かっていない、“あるモード”について整理してみようと思う。偶発的だが、これに入ると結構な時間を持っていかれるのだ。

 

簡単かつ具体的に言うなら、それは「強烈な自責と後悔が延々と積み重なり続ける状態」とでも表現できそうなものである。

 

何かしら「やらかした」と感じる出来事が起きたとき、その失敗感が自分の中で肥大化していき、そのもやもやが閾値を超えると、このモードに突入するのだ。

 

厄介なのが、一度そうなると、他人からどういう言葉を言われようが、努めて客観的に「そこまで大事ではない」と考えようが、全く納得できないことだ。

 

「いや、でも主観的には完全に失敗だろ」「絶対に不満を抱かせた」「信頼を削ったに決まっている」…そういう感覚が、何度も何度も自分の中で反響し続ける。

 

今日も、実は久々にこのモードに入っていた。自分の中で、「あ、これ結構やらかしたかもしれないな」と思う出来事があったためだ。

 

以下、それをある種の好機と捉え、この理解がほぼ及んでいない感情としっかり向き合ってみたので、その内省ログを書いてみたい。

 

 

怒りたい自分と、怒られていたい自分。

 

現に今も、もしかしたら、明日あたり、出社と同時に重めのクレームが来るかもしれない、と本気で考えている。ただ、別に面と向かって顧客に怒られたわけでは、ない。

 

周囲の人にも、「今日、結構まずかったですよね?」と聞いてみたが、反応は「え?何が?」だった。つまり、客観的に見れば、そこまで大事ではない可能性も普通にある

 

でも僕は、「大したことなかった」で済ませるのがすごく嫌なのだ。むしろ、「これは重たい失敗なんだ」と確定させ、「どう信頼を回復していくか」を考え続けたくなる。

 

そして、その“回復”が実感できるまでは、ずっと気持ちが落ち着かない。だから今も、次にその顧客と接するタイミングまで、生殺しみたいな感覚が続くと覚悟している

 

とはいえ、この状態はなかなかに非生産的だ。確かに、責任感の裏返しと言えば聞こえはいいが、実態としては、別に冷静な分析をしているわけではないのだから。

 

「ここが課題だから、次はこう改善しよう」みたいな方向に頭が向いてくれればまだマシなのだが、実際にはそうなっていない

 

むしろ逆で、「どうすればもっと、自分が納得できるまで、手厳しく、ひたすら自分を責められるか」を常に考えて、実行している感じに近い。

 

…ここまで書きながら、ようやく少し構造が見えてきた。多分このモードの時の僕は、「問題解決」がしたいわけではない。“自分を攻撃したい”だけなのである。

 

「あそこが悪かった」「これも配慮不足だった」「相手にはこう映ったに違いない」「で、お前どう責任取るんだ?」みたいな感じで、ひたすら自分を詰め続けている

 

しかも、詰められている側の自分は、反論が許されない。下手に「いや、でもそこまででは……」みたいなことを言おうものなら、「言い訳するな」でさらに詰められる。

 

だから、ただ黙って耐えるしかない。今こうして俯瞰してみると、なんだか、自分の中の一部が、別の自分を延々と吊し上げているような構図に見える

 

そして”僕”は、その様子を少し離れたところから見ている…。こう書くと、何かが分裂した危うい文に見えるが、実感としては、割と近い感覚を描写できたと思っている。

 

今まで何の手応えも無かったこのモードに、新しい気付きを得られたように思う。「自分は今、自分を罰したくてこの思考を回しているんだな」と。

 

そう思うと、多少は距離が取れる。それは本当に大きな第一歩だ。もちろん、だからといって即座に楽になるわけではない。そんな魔法は存在しない。

 

ただ、「これは建設的な反省というより、自責の暴走なんだな」と認識できるだけでも、かなり違う気がする。それも間違いないと思っている。

 

とりあえず今日は、自分を責めるのもほどほどにして、少しでも前向きな方向に着地できれば良しとしたい。久しぶりに酒を仰ぐことにしよう。

 

ということで、今日はこの辺で。

 

 

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