最近、また酒との付き合い方が少し怪しくなっている。正直、ゴールデンウィークが終わったあたりで、「また断酒モードに戻そう」と思っていた。
実際、以前は40日くらい普通に止められていたし、「まぁ今回もいけるだろう」と、どこかで軽く考えていた部分もある。だが、最近はどうも上手くいかない。

2〜3日くらいなら、なんとかコントロールして止められる。だが、それ以上になると、「今日は飲みたい」という感覚がかなり強くなってきて、抑えきれなくなる。
それ自体は過去何度もあった衝動だが、つい最近、過去一番強いそれに見舞われてしまった。帰宅してから、堪えきれなくなり、財布だけ持って家を飛び出したのだ。
そしてウィスキーを買って家に戻り、酒を仰ぐと、”心の底から安心した”。酒に対して依存しているような気持になり。翌朝凄く怖いと思ってしまったほどだ。
なぜ今は、こんなにも「飲む理由」が強く感じられるのか。遂に依存症になったのか?そんな話をChatGPTに延々と愚痴っていた時、返ってきた仮説が、かなり腑に落ちた。
今日は以下、そんなお話をば。
酩酊が僕から”奪ってくれる”もの。

その問い自体は、別に真新しいものではない。「あなたは、酒によって“何の時間”から救われているのか?」そんな感じの問いだった。
すぐ答えられると思っていたが、いざそれを考えてみると、意外と答えに窮してしまった。だから遠回りをしながら、答えを探ることにした。
僕は一人飲みしかしない。誰かと騒ぐこともない。ただ、酩酊している間だけは、”何かから解放された感覚”がある。この感覚が欲しいが為に、僕は酩酊を得ている。
では、その「何か」とは何なのか。そこで出てきたのが、「役割」という仮説だった。
これは、昨日も触れた、【小説家の休暇】の話とも、かなり繋がっている。
「自分が考えていること」が、本心なのか、それとも“役柄としてふさわしいもの”を演じているのか、わからなくなっていく危うさ。僕はそれを無意識に避けている。
実際、忙しい時期になると、オンオフのスイッチの切り方が完全にわからなくなる。朝から晩まで仕事をして、そのまま“仕事の人格”のまま家に帰ってきてしまうほどだ。
すると、家に居ながら、考えることも、見るものも、感じるものも、全部仕事ベースになる。しかも、それを止めてはいけない感じさえある。
「今ここで気を抜いたら終わる」という脅迫観念が、ずっと頭の奥に残っている。結果、寝る直前まで、仕事のことを考え続けてしまう。そして起きてからもそれは続く。
つまり、「人からどう見られるか」「責任者としてどう振る舞うべきか」という“役割”を、家の中にまで持ち込んでしまい、それを解除できなくなっているわけだ。
そして、それを無理やり終わらせられるのが、あなたにとっての酒ではないのか。そう言われた時、「ああ、確かにその通りだな」と思った。
もし酒以外で、この“役柄”を解除できる方法があるなら、多分僕はそこまで酒を飲まない。実際、先述の通り、40日くらい平気で止めていた時期もある。
つまり、酒そのものに依存しているというより、「酒によって得られる効果」を手放せない状態なのだと思う。
その時に出てきた表現で、かなり良いと思ったものがある。「あなたに必要なのは、“役割を剥がす方法”と、その後の穏やかな時間なのではないか」というものだ。
これが、自分の中ではかなりしっくり来た。そして現状、その“役割を剥がす手段”として、最も速効性があり、なおかつ効果も高いものとして、酒を選んでいる。
そう考えると、これ以上なくすっきりと、僕が酒を求める理由が分かったように思う。酒は目的ではなく手段なのだ。その先にある役割のない時間が、僕は欲しいのだ。
…とはいえ、酒は万能ではない。健康を対価として逃避の時間を受け取っているようなものだ。今の量を常飲するとなると、僕は確実に寿命を削っていくだろう。
だからこそ、「役割を剥がす方法」を、酒以外にもちゃんと作っていかないといけないのだろう。だがこれは、一筋縄では行かないと、気が引き締まる感覚がある。
最近感じているのだが、今の自分は、「仕事じゃない時の自分」をかなり忘れかけている。だが、酒を飲むと、それが少し戻ってくる。ただし素面になると、また忘れる。
消えかけた自分を垣間見えるツールとして、なるほど貴重な存在だ。だが、だからといって全面降伏する気もない。身体が壊れるレベルまで行けば、それは本末転倒だろう。
ただ、「なぜ飲みたくなるのか」を、“根性論”ではなく構造として捉えられたことは、個人的にはかなり大きかった。
酒を悪と断じるのではなく、「自分は何を解除したくて飲んでいるのか」を理解すること。まずはそこから始めないと、この問題は前に進まないということだったのだろう。
そんなことを、改めて学べたと思う。また新たな思索の入り口に入れたということで、今日はこの辺で。