精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

ある種の理想・夢が叶った今、”素直に”思っていること。

僕は以前から、「ここまで行ったら、一区切りつけてもいいかな」と思っていた生徒数のラインがある。そして今、それを超えそうなところまで来ている。

 

売上目標についても、今月に関しも、かなり良い水準まで持ち上がってきた。もちろん、まだ何が起きるかわからないので、引き続き手を打つ必要はあるのだが。

 

それだけ人数が増えると、自習に来る生徒は日々たくさんいて、学習用のスペースはほぼ埋まり、校舎を開ければ誰かしら生徒が訪れる状態になってきた。

 

昔の自分が、「こうなったらいいのにな」と淡く憧れた光景が、今は普通に目の前にある。では、その状態を手に入れた今、自分は満たされているのか。

 

・・その前に、念押しをしたい。僕は決して、今の状況を不幸だと思っているわけではない。むしろ、自分なりに今の状況を創るため、よく頑張ったとも思っている。

 

その前提の上で以下、今感じていることを少し整理してみたい。

 

 

夢が叶うというのは・・・。

 

夢が叶うというのは、一大イベントだ。だからそれに見合う充実感を僕はしっかり味わい、それに浸れている。そう思われるだろか。正直、そうでもないのだ。

 

勿論それらの快の感情もゼロではない。当然、ある程度の達成感もある。ただ、「これこそ理想だったんだ!」みたいな感動は、実はほとんど無い。これは、なぜか。

 

理由は単純で、その景色の裏側にある“課題”が、同時によく見えてしまうからだ。例えば、自習室が埋まっているなら、「この環境が果たして最善なのか」が気になる。

 

生徒が増えれば、「この運営で本当に回し切れるのか」が気になる。他にもシステム面、導線、空気感、講師の負担、環境整備・・そんな課題の方に、どうしても目が向く。

 

実際、自習室の雰囲気にはまだまだ、課題がある。中には、「勉強というより、友達と話しに来てないか?」みたいな空気を出している生徒もいるのだ。

 

その際は、僕も感情的に空気を締めに行ったりする。つまり、「理想の景色」だと思っていたものの中にも、普通に泥臭さや管理のストレスが存在しているわけだ。

 

結果、今正直に一番感じているのが、「昔の自分が描いていた理想って、解像度がめちゃくちゃ低かったんだな」ということだ。

 

理想というのは、遠くから見ている時ほど綺麗に見える。だが、実際にその場所へ行くと、瑕疵も見えるし、大変さを実感するし、気付かなかった手間暇の多さも見える。

 

今の状況を否定する気は全くない。ただ同時に、手放しで「最高だ!」とも言えない。今の自分は、ただ「理想というものの正体」を学んでいる段階なのだと思う。

 

これは、世の中で言われる“成功”にも近い気がする。例えば、「年収1000万円」という言葉には、未だにかなり強いブランド感がある。

 

だが、実際にその水準まで行った人の話を聞くと、税金は重いし、仕事の責任は激増するし、家族との時間は消えるし、普通にしんどい、みたいな話も山ほど出てくる。

 

つまり、どんな理想にも、裏面がある。それを知らずに、表面だけ見て「いいなぁ」と言うのは、やはり少し雑なのだと思う。

 

そして今、自分はそれを、自分自身の人生を通して学び始めている。だから、「理想なんて持つだけ無駄だ」という方向に行きたくなる気持ちも、正直少しある

 

どうせ叶っても、「こんなもんか」と思うなら、最初から夢なんて見ない方が楽ではないか、と。

 

ただ、それをやり始めると、今度は「じゃあ何を目指して頑張るのか」がわからなくなる。それはそれで、かなり危うい。

 

だから今、自分は少し、“次の目標”を見失いかけている状態なのかもしれない。そしてまだ、答えは全然、出ていない。

 

とはいえ、「理想とは何か」というテーマについて、自分の中で一段深いところまで来た感覚だけは、確かにある。それだけでまずは良しとするかと、そう諦観している。

 

ということで、今日はこの辺で。

 

 

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