今日偶然、自分が思う「理想」や「今後なりたい姿」に関して、我ながら興味深いことがわかった。完全に置いてけぼりの導入だが、忘れる前に言葉にしておこうと思う。
そもそも僕は、「今の会社を飛び出して、とてつもなく金を稼いでやろう」とか、「独立して巨大なグループを作ろう」とか、そういう規模感への欲望は正直かなり薄い。

なんというか、その方向性にあまり興味がないのだ。とはいえ、「社会的に正しいことをしていれば、貧乏でもいいよね」みたいな清貧を尊ぶ思想も、僕は苦手である。
正直、今よりは稼ぎたい。ただ、“金持ち”になりたいわけではない。豪邸に住みたいわけでもない。だが、いずれ一軒家には住みたいと思っている。
自分が思う「こうだったらいいよね」という落としどころは、現状と社会的成功ラインの間にある。そういう仮説は持っていた。だが、こと仕事となると、どうか。
僕が創りたいものは一体どのあたりにあるのか。勿論到達点たる理想は何年も前に言葉にしたが、それはいわば”届かないと理解しているユートピア”のようなものだ。
現実的な、僕にとっての、等身大の理想ラインはなんなのか。それを考え始めると、思索はすぐに止まる。頑強な岩盤にすぐぶち当たるように、それ以上いけないのだ。
だが今日、偶然起きた出来事と、それに対する僕の内心のリアクションをきっかけとして、その膠着していた問いが少し動いた実感を得た。
導入からやや難産になったが、以下それを詳述したい。
先生独りで細々と塾をやる…のって、楽しいんかい?
今回、理系の授業が大量発生した結果、僕の休日を潰すだけでは対応できず、手が回らなくなってしまった。だから無理を承知で、大学生講師に仕事を緊急で依頼したのだ。
結果、OKを貰えて事なきを得たが、その時は色々な感情が湧いた。「直前に頼むなんて申し訳ないな」とか、「迷惑をかけたな」とか、「自分の段取りは稚拙だな」とか。
ただ、それら全部を合わせても、一番強く残った感情の5%にも届かない。圧倒的に一番大きかったのは、「いや、本当にありがたいな」という感覚だった。
大袈裟かもしれないが、誰かを頼れて、そして助けて貰えることは、こんなにもありがたく、そしてこんなにも嬉しいことなのかと、素直に感動しているほどだ。
とはいえ今のシフトとして、僕は完全に一人で校舎を切り盛りしているわけではない。そこまで孤軍奮闘しているわけではないのだ。
ただ、社員は基本的に僕一人が校舎に常駐という形で、土日は本当に一人で回している。立場・状況・胸の内を踏まえると、これも致し方ないと納得しているのだが。
そもそも僕以外の他の人に、労働基準法を無視するような働き方を強いるのは違う。そこを壊し始めたら、組織として、人として、終わりだと思っている。
ただ、それとは別の次元で、「それでも一緒にやろうぜ」と思える相手がいること、もっと言えば、「多少無茶しつつも、一緒に何かを作ろう」と思える存在がいること。
それは、自分にとってかなり大きな意味を持つのだなと、今回すごく感じた。となれば、僕が本当に欲しいものは、「一人で成功すること」には無いのだと理解できる。
むしろ、誰かと手を組み、独立した個同士の繋がりとして、有機的なグループを創っていくこと。それを想像すると、不思議とワクワクする自分が感じ取れる。
その”誰か”とは、つまり親友なのか、相棒なのか、ライバルなのか、定義も呼び方も、まだよくわからない。そもそもそれが正鵠を得ているのかも不透明だ。
ただ少なくとも、「全部一人で抱えて、一人で完結する生き方」は、自分の理想とはかなり遠い。そのことだけは、今回かなりはっきり見えた。
そういう意味では、かなり有意義な気付きだったのかもしれない。「校舎長一人で全ての授業を受け持つ校舎運営」は、自分の理想ではない。
我ながら、意外性はそこまでない。ということは、心の底では、それをわかっていた、ということなのだろうか。
続きはまた後日考えよう。では、今日はこの辺で。