ここ最近、自分の中でかなり意識していることがある。それは、「なぜか心が落ち着いた瞬間」を、逃さず捕まえることだ。
本当に不思議なのだが、たまに突然、「今、自分はすごく穏やかだな」「妙に満ち足りているな」ということを、パッと察知できる瞬間がある。

ただその状態は、どうやら現時点では、自分から意図して入れるものではないらしい。後から、「今なんかすごく落ち着いてたな」と気づくことしかできない。
イメージとしては、アスリートにとっての“ゾーン”に近い。条件を整えることはできるが、実際にそこへ入れるかどうかは、偶然に委ねるしかないように見えるからだ。
一方で、「本当は再現可能なのに、自分の分析や情報収集がまだ足りないだけではないか」という気持ちもある。
だから今は、とにかく「その瞬間」に共通する条件を探ろうとしているところであり、そして今日もふと、「あ、今すごく心が落ち着いている」と感じた瞬間があった。
その時、僕は授業をしていて、生徒たちが演習時間に入り、自分はただそれを見守っているだけの状態だった。ただ、感覚的に、それ自体は“結果”に過ぎない気がした。
何か別のトリガーがある。そう思って、校舎の空気を改めて見渡してみた時、自分の中でかなり意外なことに気づいたのである。今日は以下、そんなお話をば。
「懐かしい」という感覚には、何か大事なものが込められている。

気付いたこととは何か。その時、校舎に充満していた空気感が、自分が中学生の頃に通っていた学習塾の記憶と、ものすごく似ていたのだ。
テスト週間の土日、みんなで集まって、普段はやらないような長時間の勉強をして、疲れたらコンビニへ行って、菓子パンだのを買って食べて、また夜まで勉強する。
今日ここにあったのも、あの時間である。当時は、特別ドラマチックな瞬間だとは思っていなかった。むしろ、“一種の日常”だった。
だが、後から振り返ると、不思議とどんどん大事な思い出に格上げされていく類の記憶になっている。今でも、あの時のことを思い出すと、「確かに楽しかったな」と思う。
感覚としては、修学旅行の夜に少し近い。日常風景に限りなく近いのに、「今、自分は特別な時間の中にいる」という感覚も、矛盾せず同時に抱えられるあの記憶。
ただ、それを「もう戻れない時間だ」と悲観しているわけではない。むしろ、“懐かしい”という柔らかい感情として残っている。だから快いのではないか。
そして今日、校舎を見渡した時、まさにその空気が、そこにあった。自習ブースで一生懸命ワークを解いている生徒たち。静かな緊張感。休日開校の校舎独特の空気。
それを見た時、ものすごく”懐かしかった”。昔は、自分が“そちら側”にいた。それがいつの間にか、自分がその空気を設計する側に回っていた。
そのことにも、少し不思議な感覚を覚えた。そして同時に、「自分は今でも、この空気が好きなんだな」と改めて思った。それが仕事の原動力にあることの嬉しさも同時に。
以前、僕はこの仕事を、「どこか罪滅ぼしのような感覚で続けている」と書いたことがある。それ自体、今でも嘘ではない。
ただ、もっと深いところには、単純に「塾にいる時間は好きだった」という実感が存在しているのだろう。自分自身が、かつて救われたり、満たされたりした空気。
その感覚が身体に残っているから、今もこの仕事を続けている。そう考えると、かなり腑に落ちるものがあった。と同時に、救いがあるのを感じて、ほっとした。
この出来事を受けて、僕にとって、僕を理解するためにより重要なキーワードこそ、「懐かしさ」なのではないかという確信が強まった。
ただし、それは単なる“昔流行ったもの”ではない。世間一般が「懐かしい!」と言っているものに、自分が全く反応しないことも山ほどあるからだ。
あくまで、どこまでも個人的なことであろうと、僕が本心から、自発的に、”懐かしさ”を強く抱くものをしっかりと観察する。そこに何か僕のルーツがある気がする。
実際、僕の場合、なぜか平成より昭和っぽい空気感の方に、妙な懐かしさを覚えることすらある。僕にとっての「懐かしさ」は、”居なかった時代”にさえ抱くことがある。
だが、その「懐かしい」と感じる要素を、共通点がわからないままでもひたすら一か所に集めれば集めることで、確かに自分の心が落ち着く場所になる気がする。
例えば、僕は民宿の夜がものすごく好きだ。だが、別に“民宿”というラベルが好きなのではない。そこに内包されているものが、つまり好きなのだ。
畳の匂い。和風の室内。窓の外に広がる自然。デジタル感のない静かな空間。ゆっくり流れる時間。外から聞こえる虫やカエルの声。
そういった要素が全部まとまった結果として、「民宿の夜」という空気が成立している。逆に言えば、それらが再現されていれば、別に民宿である必要はないのだ。
だから今、自分がやろうとしていることは、「自分にとっての懐かしさ」を、最小単位まで分解することなのかもしれない。
”何”を”なぜ”、“懐かしい”と感じるのか。それらを言語化できれば、ずっと苦戦している“オンとオフの切り替え”にも、何かヒントが見えてくる気がしている。
最後は少し話が脱線したが、今日はそんなことを考えていた。ということで、今日はこの辺で。