精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

そろそろ思考の【型】を更新したい。

最近、改めて強く自覚したことがある。それは、僕の考え方における悪癖のようなものだと言っていい。最近発露しないので油断していたが、これはまだ”残っていた”のだ。

 

それは何かというと、少しでもトラブルやミスが起きた時、または「人から責められそうだ」と感じた瞬間に、真っ先に“自分を徹底的に悪者にしたくなる”という癖である。

 

誰かに責められる前に、自分で先に自分をボコボコにする。そうすることで、ある意味では“これ以上責められずに済む”ような気がしていたのだと思う。

 

そして同時に、それはどこか、「責任感があるように見える行為」でもあると踏んでいた。もちろん、子供の頃の僕が、そこまで明確に計算していたとは思わない。

 

だが、今振り返ると、かなり幼い頃から、自分はそういうフレームワークで、特定の現実を処理している気がしている。つまり、ガキの倫理をまだ使っているのだ。

 

だから、何か問題が起きた時、僕が最初に考えるのは、「どう解決するか」ではない。むしろ、「どうすれば、自分が悪いことを証明できるか」の材料探しの方だ。

 

過去の言動。昔の価値観。自分の怠慢。性格の歪み。そういったものを掘り返して、「ほら、やっぱりお前が悪いじゃないか」という証拠を、自分で探し始める

 

しかも、一度そのモードに入ると、過去の楽しかった記憶でさえ、「今の失敗に繋がる伏線だった」と再解釈され始める

 

当時は純粋に楽しかったはずなのに、「結果として良くない方向へ繋がったのだから、その過程もまた間違いだったのだ」と、全部まとめて否定したくなるのである。

 

ここまで具体的に頭の中で文章化しているわけではない。ただ、構造としては、かなりこういう感じなのだと思う。

 

そしていい加減、この極端すぎる、子供の価値観が形を変えただけの【型】を、更新したいと思い始めた。もうあまりにも、僕の現状に即してなさ過ぎるのだ。

 

以下、それを踏まえた話をうだうだと書いてみたく思う。

 

 

「自分を責める」のもまた、「他人のせい」と同じくらい、非生産的で無責任だ。

 

もちろん、この考え方には、一見“良さそう”に受け取れる部分もある。例えば少なくとも、「全部他人のせい」にする人間よりは、マシに見える

 

だが最近、かなり強く思う。結局やっていることは、そんなに変わらないのではないか、と。つまり、どっちもどっちで、同じくらいに的外れなのだ。

 

他人を悪者にするのか、自分を悪者にするのか。対象が違うだけで、本質的にはどちらも、「問題と向き合うことから逃げている」のではないか。

 

つまり、「どうすれば改善できるか」ではなく、「誰が悪いか探し」を始めている時点で、非生産的な思考に堕している。それが他者か自分かは、あまり関係ないのだ。

 

だから最近、自分の中でかなりはっきりしてきた。この“自分を徹底的に悪者にしたくなる癖”は、そろそろ本気で更新しなければならない、と。

 

おそらくこれは、子供の頃の自分が、自分なりに編み出した“生存戦略”だったのだと思う。そのトリガーは何だったか、流石に思い出すことはできないのだが。

 

とにかく、誰かに怒られる前に、自分で先に自分を裁く。怒られた後も、より強く、自分で自分を責める。そうすることで、傷を最小限に抑えようとしていた。

 

だが、30年以上経った今でも、その型を使い続けているのは、さすがに危うい。身体も心も成長し、状況も変化しているのに、そこが変わらないままなのは歪だろう。

 

もちろん、責任感の裏返しと捉えることもできる。ただ最近は、その実「これはある種の責任からの逃避であり、つまり幼さなのではないか」と、段々気づきつつある

 

“責任感”と、“自分を痛めつけること”を、そろそろ区別し、切り離さなければいけない時期に来ている気がするのだ。随分遠回りをしたものだが…。

 

そこで今、自分が改めて強く惹かれているのが、”仏教哲学”である。実用書ではあるが、最近いくつかその哲学の一端に触れてみて、その論理性にやはり感動した。

 

仏教のロジックは、感情・感性そのものを否定しない。苦しみも、怒りも、不安も、「そんなものを抱くお前が悪い」とは言わない。

 

その上で「では、それをどう観察し、どう扱えば苦しみを減らせるのか」という方向へ話が進んでいく。ここが、自分にはものすごくしっくり来た。

 

僕は仏教哲学を体系的に学んだことは一度も無い。その一部をいくつか、ビジネスシーンに即して解説したものを読んだだけ、みたいなものだ。

 

だから一度、教科書のようなものを手に取り、修行が要るなら自分なりにそれを積んで、自分の思考の【型】を仏教哲学に更新してきたいと思っている。

 

元々僕は仏教系幼稚園の出身であり、かつ幼い頃からお坊さんやお寺といったものは、自分の身近に存在していた。こういう意味でも、ルーツの回帰っちゃ回帰なのだ。

 

…正直、かなり読んでいる人を置いてけぼりにした内容になった気もする。ただ、自分の中では、古くからある歪みを、ある程度整理できた感覚がある。

 

抱えていた“闇”を、少し明るい場所まで引っ張り出せたような感じだ。そしてそれが果たせた時点で、この記事の目的もまた、完了できたといっていいのである。

 

ということで、今日はこの辺で。

 

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