いつ頃からそんな悪癖が始まったか、ルーツの記憶は無いのだが、僕は朝起きてから1~2時間後に、頭の中に種々雑多の不安が立ち込めることがとても多い。
具体的には「まだあの仕事が終わっていない」「あのタスクはボヤが出ているのでは」「一刻も早く家を出て仕事に着手すべきでは」と、そんなケツ叩きで頭が埋まるのだ。

これらは朝のルーティンを実行していても絶えず脳内に反響し、散歩していても、筋トレをしていても、どこまでも付き纏う。仕事に行かない限り、消えてくれないのだ。
「じゃあ分かった!!」と鼻息荒く着替え、定時より2時間も前に身支度を終え、その状態でその声に従おうとすると、そのときにはもう完全に鎮火し無音になっている。
僕は正直、それに振り回されっぱなしだ。一切皆苦という仏教の教えがあるのだが、それをとてつもない濃さ(とズレた解釈)で、実践しているような気がしてくる。
そしていい加減、その不安の根源が知りたくなってきた。だから今日も相変わらず立ち込めた不安を捕まえて、敢えて徹底的に自問自答の刃を向けまくってみた。
「お前は何なんだ?」と、胸倉をつかんでまくし立てるかの如く、その正体に繋がりそうな質問を投げまくった。そんな自分との問答を経た果てに、何があったか。
僕の【不安】を生起させていたのは、過去の”トラウマ”‥の皮を被った別物だった、という仮説。僕は今回のセッションで、それを発見したと思っている。
以下、その脳内問答をなるべく割愛せず、冗長と思われること承知で、記事にまとめていく次第である。
大人の言葉を真正面から受け止めて心に刻んだ、素直で純粋すぎる”あの頃の自分”。

起点となったのは、「お前はこの不安で何を得たいのか?」と、僕から僕への問いかけだ。その問いに対し、今まで脳を占めていたはずのその思念は、途端に沈黙した。
普段なら、黙ったならそれでいいということで引き下がるのだが、今回はそこで意地でも譲らなかった。延々と詰めるように、僕は更に論を重ねた。
「お前が唱える不安とは、つまり先の未来に関して、全ての優先順位を繰り上げて、今対策をしろ、という類のものだ。それがどこまで不条理か、今教えてやる。
例えば野球の試合が始まる前、ストレッチやジョギング、素振りをしながら身体を暖めるだろう?お前はその間に絶えず、相手投手の配球を予測しようとしている。
『事前に作戦を立てておかなかったから、本番でしくじる未来』を避けようとしている。だが断言するが、お前が今何を考えようが、それが未来に何も影響を及ぼさない。
むしろ今現在の時間を疎かにして、自分のコンディションの把握をしないままである方が、結果として未来のパフォーマンスを下げる。本末転倒ではないか?
それだけじゃない。お前は今、将棋の対局に例えるなら、自分が手を打ったあと、相手が考えている段階で、その手と、次に自分が打つ手を考えようとしている。
完全に不確実で、選択肢など無限にある未来を読もうとしている。そして何かが起きたときに、そうしなかった自分を責めようと、手ぐすね引いて待ち構えている。
そこまでして一体何がしたいんだ?顕在意識の方の俺は、正直それに辟易している!一体お前の何が、そうさせているのか、洗いざらい吐け!!!」
‥という具合に、顕在意識から潜在意識の方へ、あたかも昭和において、被疑者に刑事が詰問するように、どこまでも言葉でぼこぼこにした。
その結果、ふっと潜在意識から返ってきた答えは…意外なことに、過去の記憶のリフレインだったのだ。何も言わず、ただ映像だけがスッと上映されるかのように。
ただしその時間軸・登場人物の姿は薄れ、声色も無く、ただセリフだけが濃く残っている。そんな不思議な映像であった。
その映像の中で、僕はハッキリと、叱られていた。「なんでこうなる前に言わなかった!そのせいでみんなが迷惑しているんだ!」といった感じの言葉で。
そしてその記憶に触れている間、僕はなぜか、強い罪悪感と後悔に苛まれた。僕が未来予測を怠ったことで、周りに多大な迷惑をかけ、僕も悲しい思いをする羽目になった。
そのことを今も悔いている。僕はそれがトラウマになっている。だから二度とあの記憶を味わいたくない。そう思いながらも、繰り返してしまった準備不足という過ち。
それが原因で、常に不安という未来予測のセンサーを切ることができないんだ。僕のメタは、そんなことを言いたげであった。
さて。それを聞いて、顕在意識側は、何を思ったか。はっきり言うと、腹が立ってきた。それは自分自身にではない。その言葉を僕の心に捻じ込んだ大人に対してだ。
上記の叱咤は全て、「未来を予測できたはずの僕の稚拙な言動」に対する怒りだ。これは正直、八つ当たりに近い。そしてこの人たちに、僕は逆に問いたい。
「ではなぜそれが予測できた時点で、あなた方は止めようとしなかったんですか?」と。そして今なら、喧嘩になることも上等で、さらにこう尋ねることもできる。
「あなた方が僕のせいにした全ては結局、後知恵バイアスに過ぎないのでは?未来が確定した後になってあれやこれや言う。それはそれで、程度が低いですよ?」
・・・おそらく、僕が初めて大人の怒りに触れたきっかけは、こういう自分の不注意によるものだったのだろう。それは許されざるものだ、だからトラウマに刻まれた。
未来は読まなければならない。それができないと二流・三流なのだ。その強迫観念が、僕に【不安】というセンサーを絶えず発動させるに至った。
それこそが大人なのだと、これができない限りは延々と迷惑を掛け続けるダメな奴なのだと、そう思ったに違いない。なんと真面目で、なんといい子なのだろうか。
”僕が僕に求めた水準を果たせているオトナなんてほとんどいないのに”。大人は未来予測は可能だという。だがその9割は、所詮ただの後知恵バイアスだ。
野球中継を見ていて、投手を交代したら打たれた。そのことに監督面して不満をぶちまけるダサい姿。そんな大人に認められないことを悩んだあの頃の自分の純粋さたるや。
‥不思議なものだが、メタへの対話も、こうして臓腑を擦りつけるような覚悟と勢いで行うことで、本心の奥底にあるトラウマ、非言語化の記憶が浮き上がってくる。
初めて、僕は僕に同情できつつある。お前の仕事は立派だ。それはありがたい。だが、それを常時発動しても、未来は読めない。悩むお前もまた”そっち側”になりつつある。
あのときの大人がくれたのは、非常に深淵な人生訓でもなんでもなく、ただの八つ当たりと後知恵バイアスによる誤解だったとすれば、お前もいい加減しんどくないか?
お前はもう子供じゃない。そういうバイアスに振り回される人間から距離を取るという選択もできれば、素直に見下せるくらいの分別もある。肉体的強さもある。
もちろん明日からポイと手放せとは言わない。それはきっと不可能だろう。だが、不安になるたびに、俺は俺に問い続けるからな。
「この不安は、誰のためのものだ?」…それに答えられない思念は、容赦なく、お前のためにも捨てさせてもらう。
そんな感じの結論に、今の僕は至れている。自愛とは、こういう理解から始まるのだろうか。だとしたら、やっと僕は、過去の僕を救える入り口に立てたということになる。
随分長かったが、腰を据えて話してみるもんだな。いい発見があったと、つくづく思う。では今日はこの辺で。