今日は、少し弱音混じりの話になるかもしれない。というのも、ここ最近ずっと体調が微妙に悪いまま続いていて、正直かなりしんどいのである。
そして、こういう時はやはり、思考もどうしてもネガティブ側へ引っ張られやすい。だがそれはそれで、自分の考え事の一側面に違いないので、参考にはなるかと思われる。

そのため今日は、そんな状態の中で最近ずっと考えている、「理想」というものについて、少し整理してみたいと思う。
最近、自分は、「理想像」に過剰な期待を置くことを、そろそろやめた方がいいのではないか、と感じ始めている。なんか、肩透かしを食らった気分なのだ。
ということで以下、そんな「理想アンチ」になりかけている僕のグチグチを、何とか文章に押し込めて記事にしたいと思う。
理想は全てを救いますよ!!!! なんてさぁ…

ここで言う理想とは、「いつか辿り着きたい目標」のようなものだ。現状からはまだ遠いが、「ここまで行けたらきっと満たされるだろう」と思っている地点という感じ。
人によっては、それを夢と呼ぶのかもしれないし、昔の人ならユートピアとか、あるいは天国みたいな言葉で表現したのかもしれない。
そして最近、自分はありがたいことに、以前「理想」として掲げていた景色へ、かなり近づいてきた。一部なら、目の前でそれが果たされていると言ってもいい。
生徒数。校舎の活気。多くの講師が出入りする状態。かつて、「こうなったらいいな」と思っていた状況が、少しずつ特別ではない現実になりつつある。
では、その結果どうなったか。僕は、満たされたのか?それとも、安心したのか?「頑張って良かった」と、手放しに思えたのか?
……正直、全然そんなことはなかった。むしろ逆である。理想に近づいたことで、今度はその景色の“粗”ばかりが見えるようになってしまっている。
オペレーションの問題。講師育成の問題。環境整備。システムの未完成さ。「ここをもっと改善しないと」と思う部分が、むしろどんどん増えていく。
例えば今、非常勤講師の先生方もかなり増えてきたのだが、当然ながら全員がベテランというわけではない。だからこちら側は、常に気を張っていなければならない。
不足をフォローしつつ、同時に彼ら彼女らの良さを伸ばしていく。つまり、理想に近づいたからといって、楽になったわけでは全然ない。
むしろ、「次に考えなければならないこと」が増えただけなのだ。そしてそれによって、「理想を叶えても別に何も起きんじゃん」という冷厳な事実をハッキリと認識した。
僕は正直、「理想が叶ったら、どこかで安心・安堵できる」と思っていた。「そこまで行けば、少しは落ち着けるだろう」という期待が、自分の中にあったのだ。
だが実際には、そうならなかった。理想に到達した瞬間、その理想だった場所の“改善点”が見えてしまう。そして見えてしまった以上、改善したくてたまらなくなる。
だが、改善したところで、また新しい改善点が見える。それを直すべく、また走り始める。理想は叶った瞬間、課題点に変わる。なんとも救いのないイタチごっこだ。
だからもう、「理想」という概念そのものに、かなり懐疑的になっている。本当にそれは、俺をラクにしてくれるのか?それの追求は、俺にとってプラスなのか?
むしろ、青天井の期待を抱き続けること自体が、自分には合っていないのではないか。
そんなことを、かなり真剣に考えるようになってきた。
もちろん、人によっては、「理想があるから頑張れる」というタイプもいると思う。そして、そこ場所へ辿り着いた時、本当に心から満たされる人もいるだろう。
それは全然悪いことではない。むしろ、すごく健全な在り方だと思う。ただ、少なくとも自分に関しては、どうも違う。それだけの話だ。
理想というものが、自分に何かポジティブなものをくれた感覚が、本当に無いのだ。むしろ、「結局きついじゃないか」という感覚の方が、どうしても先に来る。
だから最近は、「理想を掲げる」という行為自体に、少し疲れてきている。昔、齋藤一人氏の本で、「苦しい時は、何かがズレているサイン」という話を読んだことがある。
その考え方自体は、今でも好きだ。だが最近は、「じゃあ、自分は一体何を間違えているんだろう」と考えることそのものに使う体力が残っていない感じがある。
だから今は、分析というより、ただ耐えている。なんというか、妙な虚無感の中で、ひたすら時間をやり過ごしている感じだ。
……まあ、ここまで書いてみて思う。結局、自分は今かなり疲れているのだろう。だから、暫定的に過ぎない答えを、“真理”だと思い込まないことが大事なのかもしれない。
あまり考え込み過ぎず、一旦はやり過ごす。今はそのくらいで、ちょうどいい気がしている。ということで、今日はこの辺で。