精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

本気で身体・精神の限界を感じている今、素直に考えていること。

今ハッキリと、僕は自分が「限界間近にいる」ことを認識している。突然何だという話だが、そう思うに至ったきっかけは、久しぶりにやらかした風邪だった。

 

最初はただの疲労による体調不良だと思っていた。しかし次第に喉が痛くなり、鼻水が出て、関節が痛くなった。熱は出なかったが、身体が妙に、重かった。

 

だが、思い返すと異様だったのは、”自分の実際の行動”だった。関節は錆びついた蝶番のように軋み、階段を上るのも億劫で。息も切れる。

 

授業中、説明しようとして言葉が出てこず、ほんの一瞬フリーズすることもあった。それくらい明確に限界なのに…仕事だけは普通に、回せてしまったからだ。

 

新人講師のフォローをし、問い合わせに対応し、退塾の連絡を受け、人員調整を行い、授業をする。終わってみれば、その日やるべきことは大体終わっていた。

 

そして、それが少し怖かった。仕事以外の分人はどこかに隠れ、肉体自体も壊れかけているのに、仕事人格だけで、精神も身体も動かせてしまったからである。

 

ふと顔を上げると、眼前に「入ってはいけない領域の入り口」が、奥の見えないトンネルのようなものとして、存在していた。そんな比喩が頭に浮かんだ。

 

今日は本気で身体・精神の限界を感じている今、素直に考えていることを、”その領域に掛かる敷居を跨がないため”に、記事にしていく所存である。

 

 

僕の無理が続いたのは、3週間ではなかった。

 

最初は、GW明けから24日ほど無理をした結果だと思っていた。テスト週間が微妙にズレながら連続した結果、神経が昂る日々が普段の倍近く続いてしまったのだ。

 

しかし振り返ると、話はもっと長かった。全ての始まりは、何なら3月に遡る。この時期から受験結果の対応が始まり、生徒や保護者の喜びや落胆に接し続けた。

 

継続希望の相談を受け、新年度の準備を進め、人員不足を埋めるため休日も出勤した。春季講習があり、書類作成があり、校舎間の移動もあった。

 

そこで顕在化した人員不足という歪みが何とか解消される目途が立ったのは、つい最近のことだった。それまで僕は身を削り、誰に認められずとも、それを支えてきた。

 

つまり、自分はGWから24日間頑張っていたのではない。なんと3ヶ月近くも、ずっと神経を張り続けていたのである。

 

怖いことに、その期間の記憶は、とても曖昧だ。ただ目の前の仕事を片付け、次の日を迎え、また片付ける。その繰り返しで、気付けば5月末になっていたという感覚。

 

思い返してみると、オフは少ないながらも、月に2~3日は取っていた。釣りにも行ったし、キャンプにも行った。「休み」とされる行動は、意識的に取ってきた。

 

だが、「休んだ」という感覚がそこにはない。もちろん”身体は”遊んでいたかもしれないが、神経はずっと職場・仕事に向いていたということだと思っている。

 

だから今回の風邪は、単なる風邪ではなかったのかもしれない。身体がようやく、「もう無理だ」と言った結果だったのかもしれない。止まらないから、無理に止めた、と。

 

今になって思う。自分はずっと、「全部自分でやる」を前提に仕事を組み立ててきた。責任者だから、他に代われる人がいないから、当然のことだと、そう考えていた。

 

しかし、その考え方にも限界がある。正確に言えば、人間そのものに限界がある。今回学んだことがあるとすれば、それは「もっと頑張れ」ではない。

 

回復を軽視すると、最終的な出力そのものが落ちるということだ。どれだけ気合いや責任感があっても、それは身体の代わりにはならない。

 

実際僕は、この期間の”トドメ”として、あるミスをした。それは決して軽いものではないが、僕はなぜかそれが、とてつもない痛みと重さを伴うものに感じてしまった。

 

自分がここまで神経を張って、身を削って、人のために頑張って、それでも抜け漏れが出て他人に迷惑をかけてしまった。自分を支えていた何かしらの矜持が、壊れた

 

その日僕は、無性に泣きたくなったのもあり、酒を飲んで酔った後、ゲームの泣けるシーンを見ながら、引くほど泣いてしまった。辛かったから・・というより、もっと重い。

 

大げさにしか聞こえないだろうが、飼い犬が死んだ日、祖父の葬儀を終えてしばらく経った日、それぞれ感じた喪失感と、泣きたいという思い。

 

それらの強い痛みと、今回のミスに伴う喪失感は、なんら径庭は無かった。何かしらの感情の栓が吹き飛んだ。だからただのミスとして処理できなかったのだと思う。

 

そういう意味でも、大丈夫だと思っていた精神もまた、限界だったということが分かった。風邪とミスが教えてくれたのは、限界だという、僕の現在地そのものだった。

 

頭は働く。だから考えられる。これからハックすべき課題は、明確だ。ひとつは、オフを確保すること。もうひとつは、オフの意味を再定義することだ。

 

これまでの自分は、オフの日にさえ何かをしようとしていた。だが本来、”僕にとっての”回復とは、何かをしたり生んだりすることではないのだろう。

 

何もしなくても良い状態を、肯定できること。少なくとも今の自分には、そういう時間が必要に思えている。ただ‥それらを具体的に考える元気が、今はもう、無い。

 

幸い、明後日は完全に何もない休みだ。決して、何かを成し遂げる日ではない。春から積み上がった疲労の借金を返済する日だ。1日で返せるわけはないだろうが。

 

目覚ましを切る。寝たいだけ寝る。腹が減ったら食べる。また眠くなったら寝る。それでいい。高校生の頃とかは自然とできていた休み方を、大人になって再現するだけ。

 

今はまず、自分を正常な場所まで戻したいと思う。それが大切というより、それが無い状態では、どんな未来を考えても、楽しくないどころか、興味も湧かないのだ。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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