今、正直に言うと、過去適応障害になったときに近い水準まで”疲れている”。これは肉体的疲労以上に、神経的・精神的な、そういう疲労の方が明らかに顕在化している。
具体的には、頭に浮かぶ感情・感想が、ここ数日ほとんど全くない。ゴキブリを見ても、美人を見ても、仕事の通知が来ても、友人からLINEが来ても、”何も思わない”。

キモい、綺麗だ、めんどくさい、何だろう…。その全てがサイレントになり、今頭の中にあるのは、空気清浄機の音だけだったりする。
勿論これはこれで、脳内が久しぶりにとても静かな状態ということで、穏やかな時間を過ごせている、といえる。だが、本当に何も感じない今は、むしろ恐怖だ。
楽しい・楽しくない、面倒だ・やりたくない、そういった感想すらないまま、自動操縦みたいに目の前のことをただやるだけ。それは人間らしいと言えるのだろうか。
心当たりについてはここ最近記事にした通りだ。3ヶ月にわたって精神が張り詰めた日々が続き、それに目途が立った瞬間、何かが一気に弛緩し噴出したためだ。
ずっと蓋をして目を逸らしてきたものが、溢れ出てきた。僕のメタももう無視できないほど強大な勢力を持って。だから身体がもう、完全にストップを掛けているのだろう。
―なんでこんなに疲労が溜まったのだろうか。今はそれをたまに考える。オフがゼロだったわけではない。なのになぜ、ここまで?
色々考えたが、その原因には至らなかった。正確には、至るまで思索を深めること自体が億劫で、表層ですぐに打ち切られてしまうのだ。
だがその代わりに、学生の頃はよくやってたのに、大人になってからしなくなった、ある休み方を思い出した。これがもしかしたらヒントになるのだろうか。
今日はそんな思い出を以下、書いてみたく思う。
泥のように寝る。

高校生の頃は無茶が利いた。だから睡眠時間2時間でテストを受けて、帰って昼寝してまた次の日も徹夜で試験勉強をする、ということができてしまった。
だが、心身はズタボロになる。だから最終日になると、僕は自然と、”ある願望”で頭の中がいっぱいになっていくのを感じていた。
それは、「起きるまでひたすら寝るんだ!!」というものだ。目覚ましも切り、カーテンも閉めて、寝ることに特化した環境を創り、起きたくなるまで延々と寝る。
二度寝・三度寝当たり前で、時には夕方から寝始めて、晩御飯をスルーし、普通に翌朝まで寝ちゃうこともあったくらいだ。その後の爽快感は、筆舌に尽くしがたい。
だがいつの間にか、「寝過ぎたら体内に炎症が起きまくる」とか、「9時間以上寝る人は何かがオカシイ証拠」という”知識”を得たことから、そのオフに抵抗が生まれ始めた。
少なくとも30歳を過ぎてから、好きなだけ寝まくった結果、13~15時間とか経っていた、といったオフは取ったことが無い。大体は”したいことで活動的に埋めていた”。
いわば、”世間が”正しいとするオフに濁されて、例えばキャンプに行くとか、釣りに行くとか、そう過ごさないと”ダメなのかな”と思ってしまっていたのだろう。
だが僕オリジナルの、最も”休めた感”を得られる過ごし方は、つまりひたすら寝続けることなのだ。そこにそもそも、オフのルーツが隠れていた。
だから久しぶりのフル休みとなる明日は、もう何もしないと決めている。今のうちに食料のメモを作成し、今日買って帰ることで、”明日は家から出ない算段”を立てた。
寝て、寝て、寝て、寝て…。その果てに、「さすがに、なんかすっか~」というエネルギーが湧き出る未来が待っていたら良いなと思う。だがその期待すら、今は止める。
「好きなだけ寝れる!」と決めて、そのために動いている今、なぜだかすごく久しぶりにワクワクする感覚が微かに生じている。これが”正しい”ってことなのかな?
オフの取り方もまた、感性に従うべきということ。大人になってから身に着けたあれやこれやが鎮火した今だからこそ、拾えているメッセージがこれなのかもしれない。
では今日はこの辺で。