自分の中に醸成されている物語は、一体どんなものなのか。それを読みたいという気持ちと、知らないままでありたいという気持ちは、僕の中で半々である。
だが本来人間は、それを形にして語りたい、可視化して吐き出したい、それを読んでもらって感想が欲しい。そんな生き物なんだとも納得はしている。
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ここ最近、別に肉親と死別したわけではないのに、それに匹敵しうる出来事が僕に起きた。だがそれは、客観的に見れば、マジで「…そんなことで?」という程度の衝撃だ。
だが感情の決壊が起こるきっかけなど、最後の一滴が表面張力を破り、コップの外へ水が流れ出るのと同じだ。些細な量の前に、限界値まで何かが溜まっている。
この本の内容も参照しながら、僕は僕の半生を、思い出せる限り振り返ってみて良いのかもしれない。いい暇つぶしのお供になるしな。
では今週も読んでいきたいと思う。
- 6月1日(月) 心が崩れかけた日。
- 6月2日(火) 「このままではダメだ」
- 6月3日(水) 自分自身を生体解剖する。
- 6月4日(木) 人生これまでを編集し、束ねる。
- 6月5日(金) 「ねぇ、なんで僕と‥」
- 6月6日(土) 誰かのWHYに触れた日。
- 6月7日(日) 本当に好きなら、刻めるか?
6月1日(月) 心が崩れかけた日。

一昨日から今日にかけて、目に映る世界も聞こえる音も、何か異なるという印象を持つ。
端的に言えば、随分久しぶりに心穏やかで、未来のタスクをがなりたてる思考が消え果てているのだ。
変な物言いだが、僕は先週ついに限界が来たらしく、自分を長らく支配していた【厳しすぎる監督】の分人に感情的に抗った。
今はある意味喧嘩別れした状態らしく、僕のケツを叩く声はしないし、微かにしても、自然とそれを無視できる。
そういう意味では、僕のWHYに関連する重大な出来事だったとカウントして良さそうだ。
いつの間にか全てを乗っ取った【厳しすぎる監督】の僕は、いつ誕生したのか?その辺りを今度は考えることとしよう。
6月2日(火) 「このままではダメだ」

僕はいつの間にか、「このままではダメだ」と思うようになっただろうか。それは弟が生まれたことがきっかけ?それとも折り合いの悪い同級生ができたことがきっかけ?
確かに中学生の頃は、肉体的に強くなりたいと憧れた時期もあった。ただそれは、年相応の、思春期男子ゆえの感じがする。つまり僕の物語ではない、と。
だが人生の節々に、「今のままではいけないんだ」「今の自分は人から見れば不十分で、まだ迷惑な存在なんだ」と思った記憶が散在するのは感じる。
とはいえそれを一つずつ並べて観察しようにも、鋭利なガラスの破片みたいな形状をしていることから、手に取った時点で擦過傷を避けられない気がしている。
心理的に安心・安全が担保された場所。そういうところが見つかったり、或いは用意出来たりした際は、このテーマに向き合いたく思っている。
6月3日(水) 自分自身を生体解剖する。
著者曰く、一人で自分の過去を分析し、客観的な結論とWHYを取り出せた人間は、一人もいないのだという。だから第三者の力が必要なのだ。
尚、「俺はできたぜ」と言った人はもれなく、数個の質問で粗が出たらしいので、多分僕もそうなるのだろう。
それこそ三島由紀夫氏が仮面の告白を書いたときに己の内へ向けたレベルの俯瞰力がないと、自己完結は不可能なのだろう。
ただ現在の僕らには、AIという強い武器がある。それを活用すればどこまでいけるのか、まずはそれを試してみたい。
6月4日(木) 人生これまでを編集し、束ねる。
人生を振り返りつつ、時期に応じてテーマを決める。これは多分「サブタイトルをつける」という感じかなと思う。
ここでもやはり、「自分で考えたもの」と、「他人に考えてもらったもの」をそれぞれ作成し、照らし合わせ、考えるのが良いとされた。
とはいえ、わざわざかなりの努力をしないと思い出せないほど、自分にインパクトの残っていない記憶は一旦どうでもいいだろう。
一部の記憶が、なぜ今も、強い意味合いを帯びて残っているのか?その理由こそがサブタイトルなのかなと思う。
手が空いたときにコツコツと、やってみることにしよう。
6月5日(金) 「ねぇ、なんで僕と‥」
「あなたはなぜ友達でいてくれるのか?」という質問を、親しい友人に尋ねるべし。
佐渡島庸平氏もどこかでそれを行い、その気恥ずかしさと、回答の意外さが、強く印象に残っていると語っていた。
僕としても、例えばいきなりこんなのを尋ねられたら、そいつは不治の病に罹ったとしか思わない。
酒の席で、冗談めかして尋ねるくらいがちょうどいい気がする。気になるのは、気になるしな。
6月6日(土) 誰かのWHYに触れた日。

あなたの物語を聞きながら、相手がそれに同調してくれることもそうだが、一つ一つを言葉にするのが大変そうであることも大切。そう書かれていた。
これは確かにそう思う。友人の話を聞きながらも、感想がすぐ言葉にならないときは、確かにあるからだ。
それは興味がないからではなく、シリアスなテーマゆえに即答することが困難なときが大半だ。
そいつの倫理観、死に瀕した肉親、人生の岐路・決断、過去のコンプレックスの吐露と克服……
今思えばあれらは、彼らのWHYなのだろうか。今度飲みの機会があったら、まずは自分が聞き役として、色々掘り下げてみようかな。
6月7日(日) 本当に好きなら、刻めるか?
自分が本当に好きだと、心から思っている言葉は、タトゥーにして身体に刻んでも抵抗がないハズだという。
やや発想が海外という感じもするが、それくらい納得感が無いと、座右の銘として「弱い」というのはなるほどな、と感じる。
僕の座右の銘は一応「精神年齢9歳」なのだが、これをタトゥーにするとか古代の刑罰のようなものだ。
もっと端的に、結果としてクールな、そんな言葉はあるのだろうか?頑張って探したいと思う。
では今日はこの辺で。