精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

”自分に厳しい”ことと、”自分を虐める”ことは、似て非なる別物。

僕は割と継続型・努力型だと思っている。間違っても天性の才能を持っているなんて高慢ちきなことは思えないし、何より、本当に才能ある人に失礼だと思う。

 

だからこそ、どんなマインドでここまで来たかを振り返ると、やはり僕の中に常駐していた、怠け者な僕のケツを叩いてくれる分人、そのおかげだったと強く感じている。

 

そいつが僕の現状維持欲を粉砕し、「精神的に向上心の無いものは馬鹿だ」とでも言わんばかりに発破をかけ、せっせと努力へ促してくれた。

 

そのおかげによる、高校合格だし、大学合格だし、就活だし、英検準1級・1級取得だし、漢検2級192点合格だった‥ように思う。となれば、もはや崇拝すべき名コーチだ。

 

・・・が、僕はどうしても、その分人が十全で”僕”より正しいなんて、とてもじゃないが思えないと感じている。僕が今いるステージでは、彼はもはや名将ではないのだ。

 

それ自体も納得しているからこそ、何が名将の部分で、何がただ理不尽なだけなのか、その辺りの切り分けを最近は意識的に行うようにしている。

 

そして薄々気づき始めたことがある。僕の中の監督として機能していた分人は、「僕への厳しさ」と、「単なる僕への、趣味とでもいうべき嗜虐性」で成り立っている

 

今日は以下、そんな考察を書いてみたい。

 

 

僕を間違いなく成長させてくれたのは、”自分への厳しさ”。

いつからそう思うようになったか、僕自身があまり記憶にないのだが、僕は自分が何かをした際に、強くそれを反省したり、課題点を見つけたりする癖があった。

 

例えば野球をしていた頃は、ヒットを打った後も「真芯に当たってないな」とか、「そもそもあそこで手を出すのが最適か?」とか、そんなことを考えるタイプだった

 

今思えばインポスター症候群に片足を突っ込んでいたと思うのだが、テストでも80点を取れば落とした20点が気になり、90点を取れば落とした10点がやはり気になった

 

100点を取ったこともあるが、「これはテストが簡単すぎただけだから調子に乗ってはいけない」と思う、そんな中高生であった

 

「自分はまだ途上であり、上にはまだまだ道が開けている。せっかくならばそっちを見て、自分もそっちに近付けるよう、ひたすら歩み続けるべし。」

 

僕の中の監督は、こういう面にとても厳しかった。だが言っていることは、とても理に適っていると思う。だから僕は、それを是とすることができたのだ。

 

英語が得意だと自負していた。だから2級から受けるのはつまらないと思った。準1級から挑み、受かった後も、1級を目指さなくてどうするという声が鼓舞してくれた。

 

何度も心が折れそうになったが、3ヶ月やって駄目なら4ヶ月やればいい、というシンプルにして心強い内側からの声に支えられ、僕はやり切れたと思っている。

 

人生の要所要所で僕のケツを叩いてくれた僕の分人には、感謝してもしきれないくらいの恩義は、今も確かに感じている。

 

だが僕を間違いなく苦しめてきたのは、”自分から自分への虐め”だった。

―だがその分人は時として、僕に苦しみをもたらすだけの害毒に堕すこともあった。厳しくも合理的な理由があるわけじゃなく、ただ僕を虐めたいだけの物言い

 

英検1級を取得した後、白状すると最初の1日は嬉しかったが、2・3日目は”余計なこと”をメタが告げてきて、段々と苦々しい感情になったのを覚えている。

 

「お前より若くして1級受かったヤツもいるんだよな?」「別に1級受かっても給料増える気しないよな」「てかお前TOEICは?」といった風に。これは厳しさだろうか?

 

―このときは、さらにその後に賞状が届いたことがきっかけ、「いくらお前が何を言ってこようが、俺は嬉しいし、やり遂げた俺を誇りに思う」と突っぱねることに成功した

 

しかしそれは稀有な例だ。僕は助言と、ただの虐めを、同じ「厳しい言葉」と括って、つまりどちらも大切なものだと受け止め続けてしまった。

 

前者には愛がある。後者には愛は無い。僕の苦しみは、目的に近づくためにどうしても発生するものだとするのが前者で、後者は苦しみを与えることに主軸を置く。

 

最近になって、自分の身体を半分壊すくらいまで追い詰めた果てに、僕はこの”虐め”側の声をようやく聴き分けて、意志を持って跳ね返せるようになってきた

 

そしてこの虐めの声の最たる特徴は‥僕からの反撃一発で簡単に黙るほど、”実はとても脆く、弱いこと”だと感じている。

 

実際今日も、実は仕事前に戻るスケジュールでキャンプに出ていたのだが、その帰り道もずっと頭の中で「仕事に着手しないとか‥」みたいな声がしていた。

 

それに対し、

 

「じゃあお前、この日に授業で何をするかわからないんだから、朝5時とかに学校に行ってあらかじめ教科書に目を通して一人前なんだぞ、って、高校生に言うのか?」

 

と突っかかってみた。このロジックの危うさとアホさは、こうして別の、同じ構図の具体例を引くと、本当によくわかるから不思議だ。そして僕のメタは沈黙した。

 

・・・そしてさらに気づいたことなのだが…。僕の中における、自分への厳しさと、自分への虐めは、比率で言えば何なら1:19くらいにまで偏っていたように思う。

 

その証拠?に、後者の声を意識的に黙らせることができつつある今、頭の中は日々静かになっているからだ。自分への厳しさはつまり懐刀。無暗に振るものではない。

 

そう思えば、一体僕は何と闘っていたんだろうかと、本当に肩の力が自然と抜ける感じがある。雑魚になぜここまでヘコヘコしていたんだろうな。

 

だが、相手の実態・実力が見えてさえしまえば、別に恐れることは無い。僕の手のひらでふんぞり返りながら見下されても、何も思わないのである。

 

では今日はこの辺で。

 

 

 

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