精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

また人から、「できるからよくない」、と言われた。

最近、人からこんなことを言われた。「できるからよくないんですよ」‥僕の働き方と価値観に関する発言なのだが、なんとも妙な言葉である。

 

普通、できることは良いことのはずだ。できないより、できる方がいい。色々なことに対応できて、多少のトラブルならその場でなんとかできる。

 

少なくとも僕は、長らくそう思って生きてきた。ただ、35歳になった今、この言葉が妙に身体へ染み込んでくる。確かに、できるからよくないのかもしれない

 

上手く言えないのだが、この言葉に持っていた抵抗感、浸透してくるのを自然と阻んでいた、心を覆う油膜みたいなものが、とある出来事をきっかけに剥がれた気がする。

 

何が起きたのか、その結果僕は何を思うようになったのか、嘆きというか愚痴というか、そのトーンを敢えて消さないままに言葉にしておこうと思う。

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【英文読書ルーティン日記293】【FIND YOUR WHY】読書感想ブログ完 ~理念探しを経て次の再読へ~

僕に子供はいない。欲しいとも思わないので、恐らく独身のまま僕はこの一生を終えることだろう。

 

それなのに、【子育ての終わり】はこんな感じかという、何か変な達観を最近覚えている。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com


僕が目指し、創りたい校舎とは、【僕の存在や能力を前提にしない組織】である。これは会心の一手みたいに、力強く、盤上に打たれたように思える

 

となれば後は、そのゴール地点を考える。ボトルネックを考える。それを達成できている状態を具体的にイメージし、無理のない期間を定めて取り組んでいく

 

この本で得た考え方を胸に、僕はそこへ、いち早く辿り着きたい。今は高揚と焦燥の混ざった状態だ。

 

その一環として、今週もこの本を読んでいく。そして新しい本を探そう。そんな話から、以下記事を開始していく。

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今の自分に納得できていないときに、捨てた人生が眩しく見える・・のかもしれない

ここ2日ほど書いてきた話について、今日はたぶん一つの決定版になる。少なくとも今の僕には、「これはだいぶ正体に近づいたんじゃないか」という感覚がある。

 

そもそもの始まりは、魅力的な異性や、そういう人と一緒に歩いている男性を見ると、なぜか心が少しざわつくという、かなり意味不明な感覚だった。

 

恋愛も結婚も、自分の人生では選ばない。それについてはかなり納得している。なのに、なぜそこだけ妙に引っかかるのか。ここ2日、いろいろ考えてきた。

 

そして昨日の時点では、価値を感じつつも、眼前のそれを全く欲しない自分のチグハグさを、第三者のように見る自分が戸惑っているのではないかというところまで来た。

 

ずっと欲しいと言っていた子供に、親が念願のものを買ってあげた。ところが本人は、「いや、今そんな気分じゃない」みたいな反応をする。

 

それを見た親が、「お前なんなん?」と憤りと困惑の混じったことを思う。僕が自分自身に感じている違和感も、これにかなり近いのではないか。そこまで考えていた。

 

そして今日。そこからもう一つ、かなり重要そうな発動条件に気付いた。そしてこれが、最後の謎を解くピースになり得るかもと、そんな風に感じている。

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エロスに反応する自分、全く無関心な自分、そしてそれを”見ている”自分。

今日は、前の記事の続きを書いてみたい。内省系の記事ではよくあるのだが、文章にして一度外へ出してみると、その後になってまた新しい仮説がポコポコ浮かんでくる。

 

今回の執筆動機もまさにそれだ。前回の記事では、魅力的な異性やカップルを見たときに、なぜか自分の心が少しざわつく理由が、自分でも曖昧だと書いた。

 

羨望なのか、嫉妬なのか、未練なのか、当事者目線で考えてみてもよく分からない、と。そんな記事を書き終えた後、改めて考えてみて、一つ暫定的な仮説が浮かんだ。

 

あれは、自分が選ばないと決めた人生の「IFストーリー」が、かなり理想的な形で目の前に現出しているからこそ、反応しているのではないか。

 

以下、それをテーマに、ちょっぴりR18な話題に触れながらも、なるべく赤裸々に書きだしてみたいと思う。

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「どうでもいいモノのはずなのに、なぜか心に引っかかる」という謎の感情。

今日の記事は、ここ最近でもかなり意味不明な内容になる気がしている。自分でもそういう予感がある。

 

というのも、今日は「自分でもまだ名前をつけられていない感情」について書いてみたいからである。その前にまず、前提として書いておきたいことがひとつ。

 

 

僕は35歳になった今、恋愛や結婚に対してほとんど関心がない。これは「どうせ自分には無理だから諦めた」という酸っぱい葡萄的な話ではない。

 

20代後半くらいから、自分の内面を考え続けていく中で、「そもそも自分は、人に対して一般的にいう恋愛感情をほとんど抱かないらしい」というところに行き着いた

 

性的なものに対しても、忌避感が非常に強い。さらに、自分自身が恋愛や結婚に参加している姿を想像すると、どうにも収まりが悪い。

 

それらを総合した結果、「これは別に、無理して参加しなくていいものなんだな」というところに落ち着いた。

 

たとえるなら、「みんな美味しいと言っている酒を飲んでみたら、そもそも自分は酒を飲めない体質だった」くらいの感覚である。

 

だから本来であれば、魅力的な異性も、その人と付き合っている誰かも、カップルも夫婦も、僕にとってはかなりどうでもいい存在になったはずだった。

 

……はずなのだが。最近、そういうものを見たときに、なぜか少しだけ心がざわつくことがある。これが自分でも、よく分からない。

 

今日はその正体を、まだ結論を出さずに少し探ってみたい。

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「今の自分が忙しいのは、過去の自分のせいなんじゃね?」

今日のテーマは、先日書いた記事とほぼ丸かぶりであるのだが、今の自分には結構大事な話なので、もう一度書いておきたい。

 

明日もう頑張らなくていいように頑張るのが目標なのに、今の自分がメタクソに忙しいのは、それは過去の自分が、ある意味でその努力を怠ったせいだ

 

今日職場に向かいながら、本当に自然とそんな憤りを覚えた。そしてそれは、確かにその通りではないかと思えてくる。今の忙しさを残したのは、過去の自分なのだと。

 

今日はそんな、ほぼ自分から自分へ向けた反省文である。

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やっぱり、”100%出し切れば回る”なんてのは、マネジメントの失敗らしい。

相変わらず、今の自分が抱えている仕事をどうにかこうにか減らしたいと考えている。欲を言えば、自分がいつ休みを取っても、何の問題もなく校舎が回ってほしい。

 

そんなことをここ最近の記事でも散々書いてきたが、それが今、自分の仕事における一番大きな目標になっているのだから、ある意味自然の成り行きだ。

 

そんな中で、ふと思い出した話がある。斎藤一人さんが話していた、「60%の力で全力を尽くす」という考え方だ。

 

正確な言い回しまでは覚えていないし、そもそも出典さえ曖昧なのだが、僕の記憶では、大体以下のような話だった。

 

自分の体力が100あるのなら、一日の仕事で使うのは60くらいまでにする。そして、その60の範囲内では全力でやる

 

それくらいが、一番仕事がうまくいくバランスなのだという。初めて聞いたときは、なんて勿体ないのかと思っていたが、最近になって、この話が妙に腑に落ちている。

 

以下、そんなお話をば。

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