仏教哲学を独学で学び始めて久しいが、今一番自分にとって大事だと思う考え方は、「一切皆苦」である。これについて5か月前にも記事にしたが、解像度がちと低い。
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その当時は、「楽しいとき、幸せなときの中にも、苦に繋がる種は隠れているから、喜んだり楽しんだりしつつも、冷静な心を持とう」みたいな風に解釈した。
しかし、今はもうちょっと深いところというか、「多分その理解だと本質から若干ズレてるよね」という印象を持つに至っている。
実際、ChatGPTに聞いてみたが、僕が感じたようなことはあまり含まれていないことに、すぐ気付く。
「一切皆苦」という考え方は、仏教の基本的な教えの一つであり、四諦(しせん※本当は『したい』)の一つとして知られています。
この教えは、仏教において生老病死(しょうろうびょうし)や人間の苦しみについて理解するための重要な概念です。
具体的には、「一切皆苦」は以下のような意味を含みます:
生の苦しみ: この教えは、生まれること自体が苦しみを伴うという考え方を含んでいます。生は必然的に老いや病気、死へと至る過程で、さまざまな苦しみを経験するものであるとされます。
変化と苦しみ: また、「一切皆苦」は、人生や世界のすべてが常に変化することを強調します。この変化の中には、我々が望むことや求めるものがいつも保持されず、結果として不満や苦悩が生じるという考え方が含まれています。
心の苦しみ: 仏教の観点からは、心の中に生じる執着や欲望、無知が、我々に苦しみをもたらす要因となっているとされます。このような心の働きが、苦しみを生み出す原因となるとされます。
「一切皆苦」の理解は、仏教において重要な出発点であり、この理念を理解することで、人々は自己の状態や世界の本質について深い洞察を得ることができます。
この教えは、仏教の修行や悟りへの道の一環として、苦しみの理解と克服に向けた努力を促します。
その上で思うのだが、「一切皆苦」という言葉をよりしっかり学んで理解することで、僕の心はもっと狙って”整い”を得るのではないかと感じている。
そしてその直感は概ね正しかった。そこへ過去のクソ記憶をスパイスとして加えることで、より効果が増すことも分かった。
今日はそんな不思議な話を、記事としてまとめながら、自分の中に一層落とし込めたらと考えている。
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