精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

10年後の自分が現時点の積み重ねの先にあるとしたら、それは”嫌だ”と思っている。

最近、自分の中にずっと居座っている、妙な問いがある。だがその前に、僕は今35歳なのだが、仮に25歳の頃の僕が、今の僕を見たらどう思うだろうかと考えてみる。

 

この答えは我ながら、別に悪くないと思う。もちろん相変わらず課題だらけだし、「お前そこ、10年経ってもまだ変わってないのか」と言われそうな部分もある。

 

それでも総合的に見れば、「まあ、ちゃんと伸びてるんじゃない?」くらいの評価は、25歳の僕からもらえる気がする。

 

仕事もそうだし、知識もそうだし、できることも増えた。10年前の自分と比べれば、それなりに遠いところまで来た実感はある。紆余曲折の人生を経ても来た。

 

―なのだが、最近どうにも、「じゃあ、このまま10年進んだ先にいるのが、45歳の自分の像でいいのか?」と考えると、妙にモヤモヤするのである。

 

過去を全て線で繋げば未来の自分が描けてしまう。そんな過ごし方で良いのか、と。今日はそんなことを書いてみたい。

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僕が改善を完全に諦めた、ある苦手なこと。

僕は昔から、待つことがものすごく苦手である。別に行列に並べないとか、信号待ちでイライラするとか、そういう意味ではない。

 

「次の予定まで、あと10分あります」みたいな時間が死ぬほど嫌いなのだ。これはいわば、目的の全くないスタンバイ時間と言い換えてもいい。

 

例えば13時に家を出る予定があり、12時50分にすべての準備が終わったとする。普通なら、そのまま10分待っていればいい。

 

スマホでも眺めながら12時59分くらいになったところで立ち上がり、「さて行くか」で済む話である。

 

ところが僕の場合、「……まだ10分あるな」と思う。そして何を血迷ったのか、その10分でできそうなことを探し始める。

 

洗い物が少し残っている。よし、できる。ゴミをまとめておこう。これもできる。そういえば、あれを片付けていなかった。これもいける。

 

――などとやっているうちに時計を見ると、12時58分。「ヤバッ」と、慌てて家を飛び出す。実はこんなことは、日常茶飯事なのである。

 

だったら最初から何もせず10分待っていればよかったのだが、こんなことを僕は昔から何度も繰り返している。そして最近は、その改善を完全に諦めてしまった。

 

以下そんなことに関する、極めて個人的なエッセイを書いてみたい。

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僕は「見切り」をつけるのが、かなり下手だ。

最近ちょこちょこと記事に書いているが、長年続けてきた晩酌という習慣に、いよいよ見切りをつけるときが来ているような気がしている。

 

理由はシンプルで、酒を飲むことで得たかった感覚が、以前ほど得られなくなってきたからだ。前提として、僕の場合、まず酒そのものの味が好きなわけではない。

 

銘柄による違いもよく分からないし、ウイスキーの香りを楽しみながらチビチビ……みたいな趣味もない。

 

欲しかったのは、酔うことで得られる多幸感だったり、頭の中のノイズが遠ざかっていくような感覚だったりする。

 

つまり僕にとって、酒は嗜好品というより、ある状態へ自分を持っていくための手段だった。ところが最近、それがどうにも機能しない。

 

そして先日、それをかなり乱暴な方法で確認してしまった。普段通りで酔わないなら、逆に酔うまで飲もうと決めて、翌日に影響が出ることも承知で深酒したのだ。

 

結果、欲しかったものは、大してやってこなかった。代わりに翌朝やってきたのは、気持ち悪さと頭痛と、まともに起きられない身体だった。

 

ああ、もう割に合わないんだな。そこでようやく、そんな感覚がじわじわと出てきた。本当に手を尽くした結果、「無理だな」と受け入れる。

 

ー正直「遅い」なんてのは僕もわかっている。だからこの弱点は自覚がある。僕は今回の一件に限らず、「見切り」をつけるのが、かなり下手なのだ。

 

今日はそれを自己分析するエッセイを書いてみたいと思う。

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【同業者向け】「今日だけ無理して」の弊害から学ぶ。—他店の例を取り上げて

僕の校舎は直接的に関係はしていないのだが、他店で一つ、クレーム案件が起きていた。今はその火消しに奔走中らしく、詳しい話は上がってきていない。

 

だがその構図を僕なりに分析すると、今年の夏季講習で僕が散々危惧してきたことが起点になっているような印象であり、いわば十分僕にもあり得るIFだと思ったのだ。

 

ということで今日は具体的なところはなるべくぼかしながら、教えとしてピックアップできる点だけ、努めて客観的に書くようにしてみたいと思う。

 

では以下本題をば。

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結局「今を満喫する」方が、人生は充実すると見て間違いないらしい。

ここ数年というか、こと2026年が顕著なのだが、なぜか日中に「帰ったらすることが無い気がするなぁ」と不安や勿体なさを思うことが増えた。

 

それもあって一時期酒量がヤバイことになり、暇を酩酊で搔き消して、気絶するように眠るといったナイトルーティンを送ることが常態化していたほどである。

 

・・・今はそういう酒乱の日々に”飽きた”のか、或いはアルコールに対する反応が鈍くなったせいか知らないが、シンプルに”つまらない”ので独り飲みは控えがちだ。

 

だからまた、「帰ったら暇だ」という恐れに日中から憂鬱というメンタルが復活してきつつある。これはこれで、どこか病を感じるが…。

 

しかしながら、僕のこの恐れはかなり頓珍漢なことを言っているということに、今は気づけている。だからそれに対して、既に対策は講じている折だ。

 

今日はそれについて以下、記事をしたためたく思う。

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「今を生きる」とは何か。今のところの僕の解釈。

「今を生きる」という言葉がある。仏教哲学などにルーツの一つがあるのだと思うが、別にそこに限った話でもなく、本当にいろいろなところで似た言葉を見かける。

 

未来への不安や、過去に残してきた後悔に心を奪われず、今この瞬間、自分の目の前にあることへ集中する。言わんとすることは、僕にも理解できる。

 

というより、幸福に生きることを考えたとき、これはかなり根本に近い構えなのではないかとすら思っている。ただ、昔から一つ引っかかっていたことも、ここにはある。

 

「で、実際にどうすれば『今を生きる』ことになるんだ?」ということである。これはある意味で禅問答と同じであり、即答などできない類の問いだ。

 

だから人生を通じてずっと考えてきたテーマでもあり、その思索はある程度体系化してきたという手応えもある。そんなわけで、現在地を以下書いてみたいと思う。

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【英文読書ルーティン日記298】【Who moved my cheese?】再読感想ブログ完 ~箸休め洋書も添えて~

変化に適応するとはどういうことなのだろうか。この本を読んでからというもの、これは行動というより、心構えのような印象に変わった。

 

常に周りの状況をフラットに観察し、何かこれまでとの変化がないかを察知する。異変の予兆を発見し、それに合わせて自分の行動を少しずつ変えていく。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

勿論時には劇的なそれも必要になるが、大抵は、変化に気付きながら手をこまねいていたら、取り返しがつかないほどに現実が進んでいたという面の方が大きい。

 

そのためには、そもそも変化は当然であり、諸行無常であることを前提に据えて、定常不変など無いことをきちんと理解することが大事なのではないか。

 

小人のうち、状況が”変わる”ことを信じて待ち続けている方に思いを馳せながら、今週もガッツリ読んでいければと思う。

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