精神年齢9歳講師のブログ

"よいこ"から程遠い目線から、授業のネタ、講師としての日々、そしてたまには教育や子供について、真面目なことを基本毎日書いてます。

いい授業とは、互いの知見が共有できたときに達成されることだな、と。

良い授業とは何か。これの定義は、よく考えればすごく難しい。生徒の反応が良ければ、それは自動的によい授業なのだろうか。こんな風に、全く掴みどころがない。

 

だが、自分の中にその解も無いまま、漠然と授業をし続けるのも嫌だと思っていた。せめて自分なりの、いい授業についての矜持くらい、懐に持っていたいではないか、と。

 

例えば、圧倒的知識・経験量を持っている者が、一方的にそれを語ることが、つまりいい授業なのだろうか。

 

となれば世の中の授業と呼ばれるものは、少数のカリスマ講師の映像授業を観れば事足りるはずだ。だがやはり、そればかりではない。

 

また、その科目に秀でた講師より、知識量は劣っても別の要素によって高く生徒やご家庭から評価されている講師もいる。その違いは、果たしてどこにあるのだろうか。

 

そんなところから考えを始めたところ、自分がいいなと思った授業には、ある共通する要素があると気づくことができた。

 

今日はそんなことをふわふわっと書いてみようと思う。

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「貢献感」を狙って生み出す方法が見えたかもしれない。

最近「嫌われる勇気」を再読している。もう読み返して6回目くらいなのだが、それでも新たな発見があるというか、自分の観点が変わっているからか、学びが多い。

 

その中で今までと違い、すごく心に引っかかったのが、「貢献感」という言葉である。これこそがつまり、「幸福」の正体なのだと。

最初に読んだときは、”自分が”どうすれば貢献感を持てるかをずっと考えていた。その当時は、自分の生き辛さを解消することに必死だったからだ。

 

もちろんそれに必死なのは今も同じだが、今はどちらかと言えば、僕の携わる組織のメンバーに、どうすればそれを感じてもらえるかという目線で読んでいる。

 

そして今日、僕の中でまた、色々な情報がバチコリに繋がる瞬間があった。たまにある、件のマジで興奮する奴だ。

 

つまりまだ、ただの思い付きの段階なのだが、自分の中で一気に霧が晴れたような手応えを感じられている。

 

今日はそんなお話を、こっそりエキサイトしながら書いてみる。

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【芸術】こそ、学校できちんと学んだ方がイイことではなかろうか。

学校でベンキョーすることで、将来的に一番役に立つものは何か。手垢だらけの質問ではあるが、皆様はどう答えられるだろうか。

 

僕は国語・数学は間違いないと考えている。英語についても、単にそれができれば行ける学校や国が増えるという理由で、余裕があればやっといた方が良いとは言うけれど。

 

しかし実のところ、31歳まで生きた今思うのだが、一番直接的に将来役立つと感じる科目は【芸術】だと考えている。

 

ここでいう【芸術】とは、絵画、音楽、小説といった全てを意味しており、どちらかと言えば【クリエイト】と表現した方がしっくりくる

 

一体これらを学ぶことで、どんな恩恵があるのか。そしてその理由は何なのか。今日はそれらをつらつらと書いていこうと思う。

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参考書という存在を知らない高校生は結構多い。

この仕事を始めて7年経つが、未だにちょっと驚くことが1つある。それは、「参考書」という存在を知らない高校生の多さである。

 

わからないことがあったら、無理して教科書にかじりつくか、先生に質問を持っていくか、塾に通ってクリアするか。それら"しかない"と思っている生徒が、マジで多い。

 

―とはいえ、かくいう僕も、参考書にカテゴライズされる本を手に取ったのは、実は高校3年生の頃だ。しかも人にオススメされて、初めてその存在を知ったほどである。

 

※未だに覚えているが、これの旧版である↓

進学校や受験生とかではない限り、こうなってしまう方が普通なのかもしれない。であれば、なんと勿体ない話ではなかろうか。

 

ということで今日は、それを踏まえての、最近の僕の取り組みを紹介したいと思う。

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【英文読書ルーティン日記119】"START WITH WHY"読書感想ブログⅧ ~夢を語るリーダーか、夢を形にするリーダーか~

今回の洋書は、今までにない感覚を抱きながら読んでいる。それは、「え、もうこんなに読んだの?」という驚きだ。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

というのも、今の自分に応用できそうなことが多すぎて、本当にポンポン読めるというか、一回一回気持ちを入れ込みやすいのだ。

 

今の僕は、とにかく行動するために必要なアイデアと、その材料に飢えている。それにマッチするからこそ、非常に良い読書になっていると感じている。

 

てことで今週も始めていきましょう。

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「テスト勉強」を如何にして面白い取り組みに変えていくか?

最近、数か月ぶりにちょこちょこと、以下の名著を読み返している。

僕は勤める校舎を、一種のファンコミュニティというか、オンラインサロンというか、そういう風に繋がりを重視したグループとして再設計したいと考えているためだ。

 

知名度や圧倒的実績で、数百の校舎と数千の生徒を抱える生き様も憧れ無いわけではないが、僕にはそこまでのカリスマ性も、純粋な講師としての力量も無い。

 

大手のやり方で生き残ることは最初から諦めている。ではどうするか。やはり濃い繋がりによるコミュニティを築くことが要かなと、どうしてもそう思うのだ。

 

その一環として僕が力を入れているのが、あらゆることのイベント化だ。ファンが多いコミュニティは、必ずそこにイベントが存在する。それに気づいたからだ。

 

プロ野球にファン感謝祭があって、漫画作品にオフ会があるように、塾にだって何かイベントがあっていいはずだ。コミュニティ内の結束を強化する催し物。

 

それは実際、手間が掛かる。面倒としか思わない人もいる。だがやらないと緩やかな死が待っているだけだ。僕はまだまだ組織を潰すわけにはいかない。

 

だから今、新たな取り組みを考えようとしている。それは、「テスト勉強」のイベント化だ。まだまだ抽象的極まりない段階なのだが、ここを考えることが今の仕事である。

 

今日はその途上を、取り急ぎ備忘録としてまとめておこう。

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「決めつけること」は、必ずしも悪いことではない。

個性とは何かを自問自答して、それを基に色々調べてみると、不思議なもので僕の場合、大抵名前が付いた何かに行き当たる。

 

自覚している具体的な思考・行動・価値観を言葉にして検索をかければ、例えばADHDとか神経症とか、ちょっと病んでる的なフレーズで、僕を規定されるのだ。

 

あたかも、僕の知らない誰かに、「お前はこういう人間だ」とレッテルを貼られているかのような感覚を抱く。よく道徳の授業で否定される「決めつけ」というヤツだ。

 

だが「決めつけ」自体は、実を言うとそこまで悪いことではない。むしろ、適度な距離感を保つことさえできれば、自分を深く理解する一助になると考えている。

 

今日はそれをテーマに、「決めつけ」との正しい向き合い方を考えてみたいと思う。

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