精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

全然腹落ち感なかった【リフレーミング】の意味が、やっと分かった、かも。

「リフレーミング」という心理学用語がある。簡単に言えば、目先の出来事の解釈を変えることで、ネガティブな思考にヘンに囚われ続けないようにするものだ。

 

久しぶりにChatGPTに質問を丸投げして、その定義を改めて教えてもらった。曰く、こんな感じらしい。

 

フレーミングは、特定の状況や問題を異なる視点や枠組みで捉え直すことを指します。

 

つまり、同じ事実や状況でも、その意味や解釈を変えることで、新しい理解やアプローチを生み出す手法です。

 

フレーミングは、問題解決やコミュニケーション、心理療法などさまざまな分野で使われます。

 

例えば、ある事態が否定的に見える場合でも、それをポジティブな側面から捉え直すことで、新たな解決策や成長の機会を見出すことができます。

 

フレーミングの目的は、問題を適切に理解し、対処するために視野を広げることです。

 

これにより、困難な状況でも前向きな姿勢を保ち、創造的な解決策を見つけることができるようになります。

 

―僕はこのリフレーミングという手法が、効果的であると方々で評判であることは知っていたが、どうにも自分には向いていないのではないかと、そんな印象を持っている

 

現状の自分が抱えている感情や理不尽さに点数を付ける、身体に起きている反応を観察する、色んなコツを試したが、「だから何だ」という違和感が拭えない。

 

だから特にその手法自体を深めることなく放置していたのだが、ここ最近になって急に、「もしかしてこういうことか?」と思い当たる点がちょっとあった。

 

今日はその気づきを基に、短めの記事にしたためておく。

 

 

あの頃に比べればめちゃマシ。

 

僕が今一番ストレスとして感じるのは、「嫌な人がいると判っている場所に行きたくねぇな」というものである。詳細はぼかすが、性質としてはこれに同じだ。

 

今目の前で起きている出来事、人間関係、環境の全てが”人生最悪”に思えてきて、朝起きてからどころか、前日の寝る前から、気持ちは憂鬱になる。

 

―のだが、急に最近、今目の前で起きていることが本当に人生最悪なのか、ふと疑問に思えてきた。僕の32年という人生は、そんなにぬるま湯だったのか、と。

 

そして過去の出来事に思いを馳せてみたが、正直、今の状況の方がぬるま湯に思えてならないほど苦しく、嫌で、面倒だった記憶を、いくつか思い出すことができた。

 

例えば中3の頃、顔を合わせる度にウザ絡みしてくる同級生がいて、そいつと顔を合わせる可能性があるというだけで、学校に行くのが面倒という時期があった。

 

登下校で鉢合わせないために一緒に帰るグループを変えて、帰り道さえ調整するほど嫌いな奴だった。(実際一度、殴り合いの喧嘩にまでなっている)

 

そいつと同じ学校に進学するなんて真っ平ごめんだという反骨心から受験勉強を頑張り抜いて、高校進学は勝ち取れた。そういう意味で、美化に成功はしている。

 

だが進学した高校でも、事件は起きた。高2の頃、なんと公立高校なのに、僕のクラスが学級崩壊を起こしたのだ。(主犯はギャル的な女子数名)

 

なかなか稀有な状況だが、この頃は男女間の仲が滅茶苦茶悪く、普通女子を侍らせる側のサッカー部男子でさえ、勉強が完全に止まる状況に苛立っていたくらいだ。

 

僕自身、そういったストレスが渦巻く空間が本当にしんどくて、ガチで学校に行くのを躊躇いそうになったときが数回あるのを覚えている。あれは・・・辛かった。

 

幸いクラス替え後は平穏無事な状況になり、地方とはいえ国公立大学に進学してからはヤバいヤツも一旦いなくなり、4年間は割と穏やかで楽しい日々だった。

 

・・・が。社会人一年目、配属された店舗で出会ったパートの女性は、すごく強烈な人だった。どういうことかというと、なぜかいつも、機嫌がとても悪かった。

 

指示の一つ一つが怒気を孕んでいて、物の置き場、タイミングなどにも地雷があり、一挙手一投足、何をすればキレられるかわからない状況で働く。

 

しかもその頃は人員調整期であり、僕とその人しか作業場に居ないという地獄であった。ターゲットは必ず僕だが、ドカンとするのはその人の機嫌によるので性質が悪い。

 

後から知ったが、僕の前任者は、その人との関わりで心を病んで離脱したのだという。この期間は4ヶ月程度あったのだが、あと1ヶ月でも続いたら、僕も病んだに違いない。

 

こういった過去の嫌な記憶を丹念に思い出して、美化というフィルターを取っ払って客観的に考えると、どうしても思う。今の方が数百倍マシだ。

 

あの頃の僕より肉体的にも精神的にも成長した今相手にしているのは、あの頃よりもよっぽど御しやすい存在。構図を考えても一目瞭然だ。

 

これがリフレーミングという手法の正攻法ではないことは承知しているが、僕自身のクソみたいな過去を基準にして現在を捉え直すのは、すごく心を整えてくれる。

 

結果、クソみたいな過去自体のリフレーミングにも繋がっている。奥の深い話だと思わされる。せっかく理不尽な目に遭ったんだ、こういうやり方で昇華した方がマシだ。

 

皆様もクソみたいな記憶をこうやって活用してみてはどうだろうか。もちろん、無理のない範囲で、だが。では今日はこの辺で。

 

 

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