僕は退屈な時間が好きではない。なぜかと言うと、本当にぼーっとしているときほど、過去の嫌な記憶や、将来への杞憂が脳内に立ち込めてくるからだ。
酷いときは、その嫌な記憶が別の嫌な記憶を連想させ、その感情に完全に乗っ取られかけることもある。そういうのもあって、落ち着いた時間がそこまで好きじゃない。
実際機能も、過去に受けた理不尽なクレームの記憶が蘇ってきて、相手に向けたものなのか、それとも自分に向けたものなのか、よくわからない怒りに囚われてしまった。
その怒りを誤魔化すため・・・というわけでもないのだが、気付けばYouTubeのショート動画を次から次へとザッピングし、ひたすら眺めるという時間を過ごしていた。
その流れで、ある動画が流れてきたのだが、それを観て少し時間が経った後、心が凄く落ち着いていることに気が付いたのだ。
ただし、このやり方はどこか劇薬チックで、人によってはさらにメンタルを揺さぶりかねないほどの内容だ。今日はそれについて、書いていこうと思う。
「このレベルの悲劇に比べたら・・・・」
ショート動画で流れてきたのは、とあるヤンチャな運転手が起こした交通事故だ。スピードを大幅に超過したためカーブを曲がり切れず、ガードレールに衝突。
その車には男3人・女1人が乗っていたのだが、運の悪いことに、後部座席に座っていたその女の子に、ドア1枚隔てた向こうからガードレールが突き刺さった形となった。
車外で呆然とするドライバーに、現場の警官が近寄り、声をかける。それは、その女の子が息を引き取ったという内容だった。それを聞いた刹那から、
「なんでだよ!なんで俺じゃないんだよ!」
とそのドライバーは慟哭していた。交通事故の悲惨さをこれ以上なく突き付ける、本当に胸が痛くなると同時に、安全運転の大事さが身に染みて理解できる動画だった。
正直、そのドライバーが調子に乗らなければ防げた事故だ、自業自得だと、公正世界仮説バイアスから物申したい人はいると思う。だが、今の本題はそこじゃない。
視聴後、そのときまで僕が囚われていた、「なんで俺があんな理不尽クレーマーに絡まれないといけねぇんだ!」という思い出し怒りが、綺麗に鎮火していたのだ。
「この動画レベルの悲惨さ、理不尽さに比べれば、自分が食らったそれは全然大したことないな・・・・。」そう思うと、すごく冷静になったのだ。
この流れは、もしかしたら心を安定させる良いヒントになるのではないか。例えば、言うことを聞かない子供が来る曜日で、どこか気持ちが憂鬱な日があるとする。
その場合は、「それでも犯罪者が収容されたところで看守を務めることに比べたら、よほどマシか」と思ってみるのは、どうだろか。
ワガママ放題の子供よりよっぽど理不尽で、数十倍も腕力が強い大人たちを相手にする世界を考えると、甘いことは言えないなと、強く思う。身震いさえする。
「なんで俺だけこんな目に・・」というバイアスがある限り、その部分へのフォーカスは止まらない。視野を広げる必要があるのは自明だが、意外とその方法は簡単だ。
自分が囚われている怒りや憂鬱といった感情を掴み、その原因となっている事柄を探す。そしてその事柄を何倍も強めた事例を探し、実際に眺めてみる。
ここで実際に刑務所のドキュメンタリーを軽く視聴してみたが、ゾッとするほど殺伐とした世界が、そこに描写されていた。それに比べれば、僕の葛藤のなんと軽いことか。
もちろん、むやみやたらに悲惨な動画・漫画を視聴せよ、と勧めることはできない。下手すれば今以上にメンタルを病むことになる。
僕自身、上記の動画で味をしめたとはいえ、好き好んで交通事故のその後みたいなシリーズを視聴し続ける気にはならない。あまりにもダメージがデカすぎるからだ。
毒を以て毒を制すという言葉があるが、毒を使い過ぎればそれはそれで中毒となる。用量用法を守って正しく、極端な事例と付き合いたいと思っている。
では今日はこの辺で。