精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

器がデカい人ほど筋トレを推奨する理由が深くて面白い。

僕も昔からそうなのだが、どうしても人の言動や視線が気になって、自分を押し殺すところが結構強い。(HSP気質を持っているんだろうなと思ってるけど)

 

それは人類普遍の共通の悩みであるようで心療内科の先生や、論文マニアの方への質問として、言葉こそ違えどいつ何時でも見かけられるものだともいえる。

 

そういうときのアドバイスとして、実はよく見かけるものがある。それは、「筋トレをすること」だ。もっと言えば、それによって、見た目を変えることである。

 

一時期は脳筋解法というか、ネタ色が濃いなとだけ感じていたのだが、色んな人の話を根拠付きで読んだり聴いたりするうちに、すごく納得感が強まっているのを感じる。

 

今日はそんなお話を書いていく。

 

 

器のデカさ≒生物的な強さへの自信説。

言われてみれば当たり前なのだが、僕らは格下の存在には全くイラつかない。それは生物的な強さや知的水準など、色んな基準があるのだが、どれであっても同じだ。

 

例えば子供にテスト満点だからお前より頭が良いと言われても、笑って「すごく頑張ったんだね!おめでとう!」と心から労ってあげられる。(逆に怒る人は大人としてどうかと思う)

 

また、僕と同じ身長で体重が半分のヤツに「殴るぞコラw」と脅されても、スッと携帯を取り出し、「同じこともっかい言って!」とお願いし、ただ撮影すると思う。

 

目の前にいる人間は、別に何の脅威にもなり得ない。そう納得しているとき、僕らは別にその存在に対し、感情の乱高下を引き起こさない。生存に全く影響しないからだ。

 

こう書くと周りを見下しているような印象を抱かれるかもしれないが、見上げるとか見下すとか、そういう感想を持つ段階にさえ至っていない、という方が正確である。

 

―となると、一つ面白い説が立つ。勉強でも筋トレでもなんでもいいから自分のスキルを高めると、それが器の大きさになるのだ、と。

 

SNSをフォローしていて、ちゃんと著作も買った芳賀セブンという人がいるが、その人の器論はすごく豪快で、とても好きだ。

 

雰囲気の紹介になるが、イラっとした時も、「まぁ嫌味なことを言う上司であっても、その気になれば瞬殺できるから、もう少し生かしてやるか」・・という心境らしい。

 

少し過激だが、これは真理ではないかと。組織という階層の中で生きていると、生物として劣っている人にも、肩書一つで頭を下げねばならない場面が多々生じる。

 

その内気付けば、自分の方が”全てにおいて格下”で、相手は”全てにおいて格上”なのだという誤ったマインドセットが整っていくことになる。

 

筋トレをすると、セルフイメージが向上し、戦闘力のようなものも高まっていき、幸福度を上げるホルモンが脳から出て、自信という部分にガンガン良いことが起こる

 

もちろんそれで全てが変わるほど甘くはないのだが、少なくとも今の自分から変わった、自分は変えられるという経験値を得られれば、それは良い方に作用するだろう。

 

器がデカい人が醸す余裕は、大抵は努力によって得られたものに裏打ちされている。自信には違いないだろうが、主導権はこちらにあるという自信なのではないか。

 

最悪のケースを想像する。怒り狂って殴られることだろうか。そうなったらむしろ秒でねじ伏せられるから、余裕だな、笑っておこう。そういう感じだ。なんと強キャラか。

 

逆に言えば、僕が嫌悪感・不快感を覚えるときは、そこに対処するスキルが弱いことのサインじゃないかと言える。もっと自分の視座を高めることも大事なのではないか。

 

物事を多角的に考えられる人ほど、その解決策に他者を”変えること”を盛り込まない。まずは自分を変える。それによって別の人を巻き込む。その人は後回しなのだ。

 

例えばメンタリストのDaigoさんは、「隣人がうるさいとき、どう言えば直してくれるか」という感じの質問を受けて、こんな回答をしていた。

 

そいつはどうせ変わりませんよ。注意してもそのうちまたやりますから。オススメはノイズキャンセリングイヤホンですね

 

そいつの発する音さえ消してやれば、そいつなんて居ないも同然ですから。なので、耳栓やノイズキャンセリングイヤホンを使うのをオススメします。

 

僕はこの回答を聞いて、なぜだか「器が大きいな」と思わされた。他者を変えず、自分をちょっと変えるだけで、物事を全て解決してしまったからだ。

 

少なくとも隣人の環境に配慮できないアホよりも、相当格上だ。外野で観ている僕にとっても、これ一つで「勝負あり」である。

 

―ってことで、元々筋トレはルーティンとして行っていたのだが、もっとその成果に対し敏感になって、自分をより肯定してあげようと、そんなことを改めて思った。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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