精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

「経営者目線」を獲得するためには、結局”数値で現実を見る”のが手っ取り早いっぽい。

最近、「独立」という言葉を使わなくなった自分に気が付いた。これは何も、自信を失ったとか、現状に満足しているとか、別にそういうわけではない。

 

単に講師として自分はどう在るべきか、どんな講師でありたいか、その理想像がかつてないほどくっきり見えて、それを追求することにハマっていただけである。

 

もちろんその熱も未だにちゃんと高いのだが、だからこそそれをきちんと反映できる、落とし込める、共有できる場所とチームを創りたいと、改めてそっちに戻ってきた。

 

僕にとってのムセイオンがどんなところなのか、それはまだ曖昧模糊としている。だが、だからこそOODAループを回しながら、その輪郭を掴まねばならないわけで。

 

ここでまた気付いたことがある。それは僕が「引退」という言葉を口にしなくなったことだ。今さら、「今のままでいっか」と開き直ったわけではない。悩んでいるのだ。

 

実際、一つやり終えた証として、2025年2月28日の時点で何かしらのけじめをつけたいという思いは、依然としてしっかりと胸に刻まれている。

 

こういう思いを再確認したうえで、改めて思う。ここからの僕のキャリアを積み上げていくことにおいて、ドミノの1枚目はなんなのか。すなわち、何をDoすればいいのか。

 

結果思いついたのは、タイトルにもある、「経営者目線の獲得」だ。僕はまだ一介の講師だし、平社員だし、管理職として色々甘いことを自覚はしている。

 

だから、改めて学びたい、獲得したいと思った。実際、色々と調べてみた。もっとも、これは賛否両論あるトピックなので、中立的な感想・定義を探すのが難しかったが・・・

 

その上で一番感じることは、「経営者目線」を獲得するためには、結局”数値で現実を見る”のが手っ取り早いっぽい、というものだ。

 

今日はそんな話を書いていく。

 

 

感想は嘘をつく。だが、数値は嘘をつかない。

 

経営者と聞いて真っ先に僕がイメージするのは、お金の使い方にとてもシビアである、ということだ。これは何も、吝嗇(けち)という意味ではない。

 

交換のツールとしての貨幣を割り切って考えて、この交換はワリが良いのか、相手にも得があるか、そういったこと全てにおいてトコトン検証する。そんなイメージだ。

 

実際、お金持ちとされる人の買い物は僕らには理解できないことが多いのだが、その理由や根拠を後々知っていくと、かなり合理的な思考が隠れていることがほとんどだ。

 

例えば富裕層と言えば、高価な時計や貴金属をたくさん所持しているイメージがある。これは金持ちの道楽として括って終わりにするには、あまりにも乱暴だ。

 

日本円しか持っていないと確かにピンと来ないが、実は通貨の価値は刻々と変動しており、現金として持っていても、その価値は常に乱高下するものなのだ。

1ドル一時126円台に 20年ぶりの円安水準、米国の利上げが影響:朝日新聞デジタル


一方、高価な時計や貴金属類は、その”価値”が乱高下することはあまり無い。むしろ、買ったとき以上の値段で売れることもしばしばだ。

 

乱暴に言えば、200万円で宝石を買ったとき、機運次第では、将来300万円の価値に変わるアイテムを100万円安く購入できたのと等しいと考えることもできるわけで。

 

そう考えれば、とても理に適った投資をしているのではないかと思えてくるし、その思考が自分にほとんど備わっていないことも、すごく恥ずかしく感じられてくる。

 

―だいぶ話が脱線したが、その感覚はどうすれば養えるのか。これはとてもシンプルで、自分の投資一つで財産の価値がどう変化するかを、身をもって学べばいい。

 

つまり、今自分が責任を負っている数値を全て可視化して、それと毎日睨めっこすればいいのだ。感覚という曖昧なものをベースに経営をする人は、やはり一人もいない。

 

無学であることを強調しながらも、数値とそれにまつわる知識にまで疎い経営者を僕は知らない。つまり、頭の良し悪し、学歴、その辺を超越したセンスなのだろう。

 

昔もやったことはあるが、今回改めて、僕が預かる校舎のお金の面を詳らかにしてみた。家賃・光熱費も実は聞いていたので、人件費も含めて、それを計算する。

 

Excelに打ち込んでみて、驚いた。僕の給料は払えるが、会社全体へのアガリが思った以上に少なかったからだ。

 

もちろん中には家賃が高すぎるといったハコ的な事情もあるが、それを加味しても、固定費用の率がかなり高くて血の気が引いた。人件費も然り、だ。

 

人数比を見ても、色んな歪みが浮き彫りとなった。数値が教えてくれるバグは、ここまで正直で、かつ一切の虚飾が無いとは、ある意味で痛快だ。

 

だがやはり、物事は対象を知った瞬間から良くも悪くも必ず”進む”。人件費をどう効率化するか。もっと利益率を上げるにはどうすればいいか。問いの質さえ変化する。

 

ハコ代が高いのはあるが、別のテナントに移ると何を失うかとの天秤に掛ければ、移籍するのではなく、ハコとしての稼働率を高める策の方が先決だと判る。

 

数値を知った瞬間から、自分の中で仕事や世界の見え方が変わる。とりあえずこれを習慣化するため、1ヶ月は必ず数値と向き合う時間を数分、取ることに決めた。

 

経営者の言葉・心掛けを”いきなり”読んでも意味はない。

こうして数値をなるべく可視化して見つめると、ようやく経営者向けの本に載っていた教えが、「そういうことか!」と腑に落ちてきた

 

【ビジョナリー・カンパニー 1~3】も、【起業家】も【予測不能な時代】も、すごく手触り感と当事者意識を持って、そのヒントを咀嚼できている気がする。

 

これらは最近~数年前に読んでいた本なのだが、その教えを理解するのに数年かかったというより、ポジションと観点が変わったことが、その一助になったんだと思う。

 

今までも数値から逃げてきたわけじゃないのだが、ではがっぷり四つでそれと向き合っていたか、データとして正確に理解していたかと問われれば、やはり甘かったな、と。

 

反省はするが、後悔なんてしている時間がそもそも惜しい。僕は勝手にタイムリミットを設定している。それまでに”やり遂げないと”いけないのだ。

 

改めて、気が引き締まる思いである。

 

終わりに:日常生活に”ゲームとして”経営者目線を取り入れていく。

最近、佐渡島庸平氏のこのnoteを読んだのだが、それがきっかけで、僕自身を奮い立たせるトリガーはなんだろうかと、ふと考えた。

www.sady-editor.com

 

時折僕はバチっとスイッチが入ったように、突然何かにハマることが未だにある。PS5のゲームもそうだが、禁酒・ダイエットも、2ヶ月くらい夢中で取り組めたのだ。

 

共通点は何か。強いて言えば、進捗や成果を数値化・蓄積することができ、かつ毎日何かしらの変化が起きるような仕組みにしていると、楽しく続く気がしている。

 

―ここで、管理職としての僕の最たる弱点との繋がりが、急に見えてきた。経営に関することを数値として認識し、それを基にしたゲーム化の意識が、乏しいのではないか?

 

自分自身が楽しいと思うやり方に、経営・管理スタイルを合わせようという工夫を、今まで全くしてこなかったのではないか?

 

他人の【型】を特に検証もせず、言われたままに違和感を持ちながらやっていただけではないか?

 

課題の候補はポコポコと浮かぶ。だが、人生はオセロによく喩えられるように、一度気付いてしまえば、あとは適切な石を置いて、くるっとひっくり返せばいいのだ。

 

今後の僕のキャリアのため、後進(いないけど)のため、何より自分自身のhappinessのため、どう自分をハマらせるかという問いを、改めて考え直そうと思った。

 

そしてそれを経営者目線という漠然としたものと紐づけることは、多分可能だ。そういう手応えを感じてもいる。

 

今年、色々とぶっちぎって、きちんとやり遂げたい。正念場であり、勝負の年だと、勝手に自負している。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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