今日は授業で中世の『市民革命』の辺りをやるので、空き時間全部を使って予習をすることに決めた。
ここは得意な生徒を見たことがまず無い分野で、毎度のごとく『ワケワカメ』というクレームを食らう分野である。結構な講師泣かせだわい。
ここは僕自身もそんなに得意じゃなく、どちらかと言えば語句を力技で覚えて終わりという感じで、中学生の頃もテストをしのいでいた記憶がある。
しかし、改めて腰を据えて予習をしてみて驚いた。テキストが無茶苦茶わかりにくいからだ。
これは一体なぜだ?理由はわからないが、全く頭に入らない。つながりも見えない。何を言ってるのかわからない。
そんなワケで今日は、この混乱と向き合った記録を書いておきたいと思う。
オトナになると見えてしまうミッシングリンク。
まずタイトルに書いた『ミッシングリンク』とは何かというと、生物の進化において、途中進化の化石が見つかっていない状況を指す、とある。
例えて言えば、『フシギダネ』と『フシギバナ』の化石は見つかっているのに、『フシギソウ』のそれは見つかっていない状況のことと言える。
【ポケモンGO】「フシギダネ」「フシギソウ」「フシギバナ」のオススメ育成法・色違い・メガシンカの姿 | ロケットニュース24
―生徒から不人気の単元は、語句や説明を本当に最小限にした結果、色々と大切なつながりが全て隠れてしまい、よって理解しづらさが格段にアップしている印象だ。
だから個人的には、【ミッシングリンク】と表現することは、非常にしっくりくるわけで。では、その一例を紹介しよう。
テキストによるが、この【市民革命】についての説明は非常にあっさりしている。
イギリスは絶対王政が敷かれており、代表例はエリザベス1世。その後クロムウェルを指導者としたピューリタン革命が起こり、それが打倒される。
その後名誉革命が起こり、権利の章典が制定され、議会政治が始まっていく。
アメリカでは独立戦争が起こり、その後独立宣言が採択される。その初代大統領はワシントンである。
フランスではルイ16世の頃、聖職者・貴族・市民や農民という身分制度があり、不満が溜まった結果バスティーユ牢獄への襲撃をきっかけに革命が起こる。
フランス革命の後人権宣言が採択され、ナポレオンが皇帝となり、シベリアに出兵するも失敗に終わる。
的な。わかったような気になるのが上手であり、かつ怖いところだが、ツッコミどころは結構容易く見つかる。
クロムウェルって何?ピューリタンって何?エリザベス1世は何をした人?市民革命がなんでアメリカ独立戦争と関係あるの?
そもそもアメリカはどこから独立したの?そしてアメリカ独立宣言の後にフランスの話に飛ぶのはなぜ?ナポレオンはどっから出てきたんだ?
等々。その疑問に答えると出てくる語句にまた疑問が重ねられるなど、この辺りは際限ないくらい大事な情報が抜けていることがよくわかる。
しかしそれらすべてを突き詰めると、履修してすらない世界史の話に突っ込むため、色々な知識がオーバーキルとなってしまう。
うーむ、悩む。落としどころは現在探っているところだが、多分黒板に書くのは、テキストにある語句のレベルで良い。
ただ、説明する側は背景とかを結構密に頭に入れとかないと厳しいのではなかろうか。特にこの辺は、些細な質問で簡単に化けの皮が剥がれ、信用を損なう。
―では僕はどの程度まで頭に入れたのか?ぶっちゃけこれもまだ不完全なのだが、自分の思考の整理もかねて書いてみよう。
1558年のイギリスは絶対王政が敷かれており、大体時代としては宗教改革の頃と同じ。
この王政を語るに外せないのは、【エリザベス1世】という女王である。
天然痘の影響で見た目は結構ボロボロだったらしいが、東インド会社を設立させるなど、イギリスに莫大な富をもたらした偉人である。
また、国家間の乗っ取りやもめ事を食い止めるべく、生涯独身で通したという逸話もあり、芯の強さを感じさせる。
―しかしエリザベス1世が生涯独身を貫くということは、その血がそこで断絶するということに他ならない。
そこで新たに、スコットランドから王が迎えらえることになる。この新しい王様は、次代と共に、『ピューリタン』に弾圧を加えた。
『ピューリタン』とは、プロテスタントの1つで、当時イギリスのメインであった『イギリス国教会』に批判的な思想を持っていた。
そのため、国教会への統一を狙った国王たちに弾圧されることになる。これに対しピューリタンたちが反乱を起こしたことが・・・。
『ピューリタン革命』のことである。ちなみにクロムウェルとはその指導者のことで、一応家柄はかなり良かった。
しかしその後、王を倒して政権を取ったは良いものの、そのやり方が『独裁的』と批判され、この体制は長くは続かない。
1660年、王政復古が宣言され、再び王が統治する体制に逆戻りしてしまう。
この体制は『カトリック』であり、『イギリス国教会≒議会』と全くソリが合わない。
再び『国教会』を冷遇する動きが始まったのもあり、1688年、議会はオランダに協力を求め、クーデターを要請。
2万もの兵をイギリスに上陸させ、迎え撃つ国王軍は寝返りなどが相次ぎボロボロに。結果、国王たちは亡命し、イギリスから逃亡。
ピューリタン革命より遥かに少ない流血で終わったため、『名誉革命』と呼ばれるようになった。
そしてこの後に制定された『権利の章典』は、『国王であっても侵害できない権利や自由』が定められたという意味で、非常に大切である。
・・・・はい。本当はこのノリでアメリカ独立戦争~フランス革命・ナポレオンの登場まで調べたが、とんでもなく伸びるので割愛。
しかも、上記の記述でも、かなぁ~り削った方である。ミッシングリンクは、マジで際限がない。
ということで、テキストを読み上げる以上の授業をするには予習はマストだが、やり過ぎると簡単に泥沼に突っ込むという好例である。
こういう苦戦する生徒が多い単元は、素直に先輩に助言を求めるなど、そういった手を打った方が良いと思う。でないと下手すりゃ鬱病だ。
と言うことで今日はこの辺で。