精神年齢9歳講師のブログ

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【英文読書ルーティン日記110】"Genkō Kassenki: Battle Record of the Mongol Invasions "読書感想ブログⅩ ~武士道の信仰者~

よつばchという、歴史解説系のゆっくり実況をやっているYouTubeチャンネルがある。そこの人気動画で僕も好きなのが、スペイン・ハプスブルク家だ。

 

ちなみにそのチャンネルを通じてテューダー朝についても予習していたので、それらと元寇が繋がるチャプターは、本当に僕が得してならない章だと感じている。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

北条時宗、クビライ、エリザベス1世フェリペ2世。これらの歴史上の人物がやらかしてきたこと、受け止めてきたことが繋がっていく。

 

その面白さをなるべく伝えられればと思う。

 

 

1月16日(月) 日本のその後

 

元を退けた日本であったが、教科書にも登場するほど苦境に陥ることとなる。御恩と奉公の関係が崩れ去ってしまったのだ。

 

今回はあくまで防衛戦であり、しかも相手は国外の国である。特に何かを奪えたわけでも無いため、御恩として授けるものが一切得られなかったのだ。

 

幕府が手をこまねいている間、我慢の限界とばかりに暴れる勢力も登場する。元寇によって虐げられた日本側が、今度は朝鮮に再び攻撃・略奪を仕掛け始めたのだ。

 

その回数は中国・朝鮮相手に数十回にも上ったという。しかもそれは記録されているだけなので、本当はもっと多いのではなかろうか。

 

本当に皮肉としか思えない結果だが、日本の国難はここからさらに続いていく。

 

1月17日(火) 国難は続く

https://www.y-history.net/appendix/wh0801-011.html


その後は韓国・中国を襲った国難の話が続いた。いわゆる倭寇だ。リアルワンピースという感じがするが、結構内陸まで攻め込んで、略奪と破壊を繰り返したという。

 

絶対的な支配者がいることは、しばしば完全なる悪というか、万人にとっての不幸だという印象があるし、実際そういう面もある。

 

ただ、独裁者の権力が衰退することで統率が利かなくなり、また圧政下で溜め込み続けた不満が爆発することも重なると、こういった勢力があちこちで登場する印象がある。

 

そしてそういった勢力が出てきて破壊行為を繰り返せば、独裁時代以上の血が流れることは想像に難くない。

 

歴史を学ぶと、こういうダークサイドも俯瞰的に読めるため、面白くも恐ろしい話だとつくづく感じさせられてしまう。

 

1月18日(水) 倭寇今昔

https://www.mapple.net/articles/bk/9859/


倭寇の勢力は留まるところを知らず、海岸地域を攻めるどころか、そのままそこを支配・自治するレベルになることもあったそうだ。

 

始めは朝鮮半島付近を襲撃していた勢力が、次第に中国辺りへと南下し、他の国の人々をも取り込んで、多国籍化した集団と化したそうである。

 

日本にも、レベチな統率力やカリスマ性を備えた、「ハマグチ」なる倭寇の頭がいたとされる。

 

ただ彼の率いる賊は、圧倒的な戦力差を持つ討伐隊にやられて散り散りになったらしい。ここに垣間見えるのが、アマチュアとプロの差ということだろうか。

 

ちなみに、倭寇の話は今日で一旦終わりで、この後は「野蛮さ」と「市民性」という新しいテーマで文章が進むようであった。

 

1月19日(木) 汝は日の出の如く、強く輝く帝の国を築かんや

 

元・韓国・中国・日本。それぞれの国の為政の違いが述べられていた。

 

真っ先にして最大の規模・勢力を構築するに至った元軍は、気付けば滅んだ。それについては、野蛮さだけを原動力に、力ですべてを吞もうとしたことが遠因だという。

 

そして、当時の韓国・中国が元に呑まれた理由は何か。それは、覇気がなかったからだと書かれていた。なされるがまま、あるいは押し切られた、という風に。

 

では日本が何が違うのか。それは、統率された政治システムと信念・観念があったことだと書かれていた。

 

つまり、野蛮な一面もあったが、集団として機能するシステムや文化が構築されていたことが、元を退ける一つの要因になった、ということらしい。

 

幕府そのものを創った源頼朝。武士政権で初めての法典を制定した北条泰時

 

教科書でしれっと流すことが多い鎌倉幕府御成敗式目という語句は、もしかしたらとんでもなく画期的なルールなのかもしれない。きちんと学んでおこうと思った。

 

1月20日(金) 信念が支えた独立

 

繰り返し登場する語句で、すごく興味があるのが、「禅」の思想・哲学である。北条時宗どころか、北条家そのものに深い縁故のある考え方だと紹介されていた。

 

そしてこの思想が徹底されていたからこそ、武士道なる価値観が生まれ、それが日本全土の兵にまで広まり、浸透していたのだという。

 

価値観が統一された集団は、強い。加賀の一向一揆の例を考えても、その辺は窺い知れる話だ。

 

中国や韓国が蹂躙されている最中でも独立を守った日本。その根底にあるのが信念というのは、なんと興味深い話ではないかと思う。

 

1月21日(土) 執権政治

 

やはりというかなんというか、鎌倉幕府の歴代執権の中でも、泰時と時宗はある意味特筆すべき存在として認知されているようだ。

 

北条泰時は公平な裁判や政治を目指して式目を制定したところがそうで、時宗はやはり抜群に優秀だったから、というのがそうらしい。

 

余談だが、その時宗に禅の哲学を授けたのは、時宗の父親・親族だったという。ただ、それを誰よりも深く理解し、体現したのは、時宗だ、と。

 

執権をこれまで鎌倉幕府のNo.2で、しれっと実権を持つようになったという説明ばかりしてきたことが、少しだけ悔やまれる。

 

今度歴史の授業をするときは、この辺も密に語ろうと思う。まぁ、多少、だけど。

 

1月22日(日) 禅と時宗

圓覚寺山内佛日庵 | 北条時宗公について


北条時宗は知恵と才能をそもそも持って生まれた英傑らしいが、それを開花させたのが禅の哲学と、それを彼に伝えた家庭教師(僧)ということだった。

 

禅を信仰し、探求し続けた彼は、その真理に誰よりも近付いていき、そしてそこで気付いたことを政治にも転用していった、という。

 

時には中国本土から僧を招いてでも、さらなる教えを乞うたという。学にどん欲な為政者の強さを語るエピソードにして、僕もなんか救われる話であった。

 

―ということで今日はこの辺で。

 

 

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