精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

「発想が貧しい人」のある特徴に気が付いた。

僕は元々交流関係を増やしたいタイプじゃないので、面白い人と出会えるとか、そういう場にはあまり興味は無い。

 

過去何度かその場でマルチ的なものにほんのり勧誘されたこともあるので、新しい出会いについては正直めんどくささとネガティブさを強めに感じている。

 

そんな僕が特に交流を持ちたくないタイプの人がいる。それは、発想が貧しい人だ。言い方を変えれば「思慮が浅く、努力もせず、でも我が強い人」である。

 

関わっていると、マジでまともな人が周りから離れてしまうし、僕も毒される。ただ意外とこれを見抜くのは難しく、何か自分なりに基準を作りたいとずっと思っていた。

 

そんな「発想が貧しい人」だが、押しなべると結構目立つ特徴があることに最近気が付いた。

 

今日はその仮説についてうだうだと書いてみたいと思う。

 

 

価格に感情論を持ち出すヒト。

 

発想が貧しい人は大体、価格に対して感情論で向き合うタイプだ。例えばとりあえずインバウンドを叩き、光熱費が上がればただニュースで言われるままテンパる。

 

材料費が高騰すれば「生きていけない!」という風に突然の死を宣言し、プレミアム価格帯を見ると「金持ちはこれだから・・」と嘆息する。

 

こういうリアクションをする人を、僕はあまり尊敬しない。むしろ、「視野が狭いねぇ」と口をへの字にして露骨に呆れてしまいそうになる。

 

なんというか、「俺は努力しないが、お前らは必死に俺の暮らしを便利にせよ!」というメッセージを感じる。マジで付き合ってトクすることは無い。

 

少し偏見が入っているが、こういう物言いをしちゃう人は、クラウドファンディングのような【支援・応援】を理解することができないと思っている。

 

渡航費の支援を募るプロジェクトを見て「テメエの金で行け!」と発言し、社会を知れた側のようなことを言っている人を見ると、すごく残念な気持ちになるわけで。

 

発想が貧しい人の思想を聞いていると、こちらまで思考が狭まっていく。そしてそれは、価格に対してどうコメントするかで簡単に浮き彫りとなる。

 

勿論僕もその時々のメンタルで感情論的な反応をしたくなるときはあるが、そういう時はそのテーマをメモだけしておき、冷静になってから勉強するように心がけている。

 

【節約】が苦手な人は視野が狭い説。

 

もう一個持論だし、自戒も込めた話なのだが、節約という言葉に無頓着な人は、すごく発想が貧しくなっていく(いる)ように感じている

 

例えば原材料費が高騰して、コンビニ弁当が高くなっているのは周知の事実だが、今まで自分が得ていた満足度は、コンビニ弁当でしか得られないのか、ちょっと眉唾だ。

 

スーパーの総菜コーナーの弁当ではダメなのか?冷凍食品のパスタではいけないのか?なんなら自炊すればいいじゃないか?等々、僕は色々と思ってしまう。

 

買い物をしようと商品を一つ手に取る度、「本当にこれが、自分にとって満足度と支出のぶつかる点なのか?」というのを、最近よく自問自答する

 

イメージは株価の推移に近い。売りたいという値段と買いたいという値段が釣り合った、完璧にバランスが取れた点。大袈裟だが、いつもそれを狙って買い物をする。

 

それを始めてから、自分が買っていたツナ缶は最安値じゃないことにも気づいたし、焼き肉のタレは最安値だと口に合わないことも学ぶことができた。

 

ここまで考えて急に得心したが、発想が貧しいとは要するに、自分・他者・周りの環境に対して一切の問いを投げかけるクセ付けが無いことなのかもしれない

 

そう思えば、逆に発想が豊かな人ほど常識を疑うし、買い物が上手だし、アイデアを形にするまでが早いことも納得が得られるように思えてくる。

 

やはり、考えて行動することは、セットで楽しい物事なんだなと嬉しく思った。では今日はこの辺で。

 

 

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