さっきまで、今年一番イライラしていた。何かご家庭に難題を言われたか?生意気な生徒にムカつくことを言われたか?いずれも違う。
キーボードが壊れたのだ。電池を変えてもダメで、結果それにより、やりたかった仕事の全てが強制的に止められてしまい、そのことに無茶苦茶腹が立った。
半年くらい使っていたのだが、急に電源が落ちて、わざわざ電池を買ってきて入れ替えたのだが、それでもダメであった。そのことに、何かがプチンとキレてしまった。
倉庫にある壊れた電化製品をとりあえず入れている段ボールに壊れたキーボードをダンクシュートし、スマホでもできる仕事だけは、とりあえず終わらせた。
その間ずっと、イライラしっ放しだ。頭から煙が出ていたのではないかと思うくらい、すごく憤っていた。
・・・今はそれが多少は沈静化されて、少し腑に落ちない感情はあれど、何かに当たるほど激化してはいない、という具合である。
さて。冷静になってみれば、冒頭にも書いた通り、今年一番のムカつきであった。ご家庭からの無茶も、生徒からの発言も、取るに足らない些細過ぎるものとなる程に。
憤怒と形容してもいいくらいの激しいそれ。僕は、僕の大事にしている何を脅かされたために、あんなにも腹が立ったのだろうか。
今日は少し落ち着いた今、他人事としてその原因を探ってみようという、そんな記事である。
やはり僕はアレが大嫌いだ。
その答えは結構簡単だった。昔と相変わらず、僕はやはり、僕の時間を無駄に使われたり、作業を無駄に止められたりすることが、ものすごく嫌いだとわかったからだ。
例えば、自分のパソコンで見ればいいのに、わざわざ僕に話しかけて「あのファイルを開いてや」といった指示は、表情に出るくらい露骨に嫌だ。
また、ほとんどの会議が割と嫌いなのは、その時間があれば一体どれほどの仕事を終わらせられるか、思い巡らせるだけで勿体なさがこみ上げるからである。
今回のキーボードの一件もそれだ。それが壊れたことにより、いったいどれほどの仕事が、強制的に止められたことか。
それが明日に残ることもそうだが、その日に終わらせられなかったことが、何よりも悔しい。しかもその原因が感情を持たぬ物だけに、逆にブチ切れられたという感じだ。
人が原因であれば、盗人にも三分の理という言葉がある通り、腹は立つがそこに情状酌量を考慮する余地はある。だからマジギレすることは、ここ何年も無いわけで。
しかし物であれば、そういう感情的な遠慮は発生しないため、怒りが素直に爆発する。ゲーマーが台パンをしてドカンという爆音を立てるのと、理屈は全く同じだ。
自分がたまらなく大嫌いなもの。それを改めてしっかり認識できたという意味では、別に悪くない時間ではあった。好き好んで踏みたくはない地雷ではあるけれど。
僕はいつでも何かに焦っている。だからこそ、妨げられることが嫌いなのだ。そして妨げることもまた、その裏返しで嫌いなのだと、ふと気づいた。
だから電話はできれば掛けたくないし、人に依頼も、できればしたくない。そういう深層心理も少し覗けたような気持ちがする。
・・・ということで15分くらいダダダっとタイピングしていると、だいぶ怒りは収まってきた。いつもならこの後に自己嫌悪や反省が入るのだが、今日は意図的にしない。
本気でムカつく思いをさせられたことをしっかり胸に刻み込み、その上でもっと上質なキーボードを買うべきだと、そう考えることに決めた。
この経験は絶対に忘れない。しかしながら、臥薪嘗胆するほどの気概も無いので、記事の肥やしにすることで、それに代えることとする。
では今日はこの辺で。