精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

「他人へのイライラは自分の得意なこと」という記事を読んで。

最近、メンタル的なことで自分の中で引っ掛かることがあった際、専門的・科学的なヒントを探す前に、同じことで悩んでいる人の言葉を読むようにしている。

 

具体的にはnoteに自分がもやもやする事柄のワードを打ち込んで、出てきた記事を大量にタブに開いて、ザッピングするという形だ。これが結構イイのである。

 

そんな中、「イライラ」をテーマにした記事で一つ、面白いものを発見した。タイトルが全てを物語っているが、これである。

note.com

 

他人へのイライラは、自分の得意なこと。この観点は今まで持っていなかっただけに、すごく興味深いもののように感じられてくる。

 

今日はそのメガネから自分と環境を観察してみたという、そんな記事を書いてみる。

 

 

自分は無意識にできるからこそ。

 

先の記事の中で、要点に当たるところを引用する。(ここだけ切り取ってもミスリードになる気がするので、ぜひ全文読んでいただきたいのだが)

 

「他人に対してイライラするのは、自分が相手より上手くできること、つまり自分の得意なことだからだ。」ってことですね。

 

例えば僕が露骨にイライラするケースを上げると、「するべきことが抜けること」「人の時間にルーズなこと」「TPOに配慮できないこと」などが挙げられる。

 

具体的な行動で言うなら、日々の日報が上がってこない、期限や内容が雑な依頼を飛ばしてくる、静かにするべきときにうるさい、といった感じだ。

 

ではこれら一つずつを考えたとき、僕はそれが得意なのだろうかと、軽く自問自答をしてみる。すると、手前味噌だが、全部得意な話である。

 

まず、僕は仕事・作業の管理をLINEのKeepメモに打ち込んで、なんかのミニゲームみたいに消化するのがルーティンだ。

 

余ったタスクや、長尺のそれは別のメモ帳やExcelシートに打ち込んでいるので、三重のバックアップで諸々を管理している。だから正直、仕事がほぼ抜けない。

 

このブログも飽きもせず4年くらい1日も欠かさず書いていることから、継続自体は偏差値でいうと60くらいの水準で、人よりは得意なのかと自負していると、今気付いた。

 

また、人の時間を無暗に奪っていないかどうかは、ネガティブフィルター全開で、かなり気にしている。電話をするのもされるのも嫌いなのは、そこが理由の一つだ。

 

依頼をする際も、タイミングを間違えないように様子を観察し、作業内容は整理し切った状態で手渡すようにしている。(時にはそのまま自分で終わらせちゃうこともある)

 

他人の労働力や時間にフリーライドするような言動が大嫌いなので、自分が気付ける範囲では、自分がそうしないように意識している。それは時に、過度にもなるが・・。

 

また、TPOへの配慮も、過去の自分が滅茶苦茶苦手で、周りに迷惑をかけまくってきた自覚があるからこそ、ある時期を境目に強く意識するようになった部分である。

 

今は黙るべきときか?発言するべきときか?視野狭窄になっていないか?そのシビアな問答を無意識下で常時発動しているようなものだ。

 

だからか確かに、自分の感情を剥き出しにして我を通そうとする存在が、年齢問わず滅茶苦茶イライラする。いわば、優先座席でスマホを使うヤツくらい腹立たしく思う。

 

人の仕事は邪魔しちゃいけない。勉強は黙々とすることが求められる。そういう暗黙知をビシビシに自分に課しているがため、僕は逆に狭量となっているのかもしれない。

 

―確かに、他者に対してイライラする部分をひっくり返してみると、自分の得意とするスキルが見えてくるように思える。ではこれが、どうして有益なのか。

 

それは、イライラすることへの反応を変えることができるからだ。先のそれとは別のnoteで知ったのだが、認知行動療法の世界には、ABC理論という枠組みがあるという。

 

ABC理論は、Activating events(出来事)、Belief(信念、認知)、Consequences(結果)の頭文字をとった言葉です。

 

アルバート・エリスは、「A(出来事)そのものが、C(心理的な結果)に結び付く」という考えを否定して、「A(出来事)が起きて、それをB(認知)して、結果的にC(心理的な結果)に結び付く」としました。

 

ごく簡単に言うのならば、「起きた出来事自体(A)はまったく一緒でも、それをどう捉えるか(B)によって、結果(C)は変わってくる」としたのです。

 

【アルバート・エリスのABC理論とは?】ネガティブをポジティブに変えるために | リカレント

 

それを図示するとこんな感じだ。僕らはAの部分をハックすることはできない。しかし、Bから先は変わるし、もっと言えばCを決めるのはBの部分である。

【アルバート・エリスのABC理論とは?】ネガティブをポジティブに変えるために | リカレント


例えば僕の「子供が嫌い」というモデルケースを使って考えてみよう。ここで生じている感情は大抵苛立ちと嫌悪感なので、実際はこうなる。

 

A・・子供が目の前で奔放に振る舞う

B・・何かしらの要因

C・・苛立ちと嫌悪感を覚える。

 

このBの部分をしっかりと観察して突き止められれば、確かに行動を改めるチャンスに繋がるだろう。だが問題は、このBを突き止めること自体が超困難という点にある。

 

ノーヒントで自分のクセを自覚することに等しい。しかも身体的なそれではなく、意識の中の価値観の部分なので、なおのこと難しい。

 

そこで利用できるのが、苛立ちという感情自体の特徴を学ぶことだ。本能を掴むには、同じく本能によって生じるものを活用すべしというのは、確かにそうだと納得する。

 

さっきも書いたが、僕は僕が得意とすること、或いは後天的に会得したことができない・しようとしない人がいるとき、クッソイライラすることが多い。

 

この構図として、例えば「俺が苦労しているのにお前は・・!」といった八つ当たりが潜んでいるのだろうか。だとしたらただの害悪だ。僕の価値観の押し付けである。

 

とはいえ、「じゃあ止めよう!」の一言で捨て去るのも無理だろう。となれば、別の価値観で上書きするのが、具体的な対策と言える。

 

しかしながらそれをここで詰め切るには、文字数が既に膨らみ過ぎた。別の機会に更に深掘りできるよう、一旦ここで止めておこう。

 

他者の言葉を読んだとき、それが共感できるものだった際は、大抵自分をその観点から見つめ直すと、思った以上に深いところまで見えることがある。

 

その一つの好例だと、つくづく感じさせられる。では今日はこの辺で。

 

 

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