精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

否定した自分は、無意識下で生きている。”きらい”という感情が教えてくれるモノ。

年を取れば【器】とか【懐の深さ】というのは勝手に成長すると思っていたのだが、ここ最近はむしろ縮小してないかと思えるほど、耐性が低くなっている気がする。

 

許せないというか、ムカつくというか、単に嫌いな言動は昔から同じで、何なら最近は少しずつ、それが増えてきているような。つまり偏屈になってきている自分が悲しい。

 

「まぁいいじゃない」という言葉を標榜して目指しているみたいな記事を最近書いたが、それを宣言しながらも遠ざかっているような感覚。

 

”きらい”という感情の勉強は、まだまだ、まだまだ必要なんだと、強く強く思わされる。だから無意識に、そんな感じの言葉をGoogle検索に放り込んだ。

 

そこでヒットしたページを大量に並べて、一つ一つをザッピングする。そうする中で、今まで知らなかった、ある面白い言葉を知った。

 

それは、【シャドウ(シャドー)】と呼ばれるものだ。読んでみると、有名な心理学者・ユングが提唱したものらしい。

atsukuteyurui.com

www.earthship-c.com

blog.counselor.or.jp

 

どことなく厨二病の香りがするが、しかしあのユング心理学で説かれているということは、何か大事な示唆があるはずと、直感で思った。

 

それを調べてみると、やはりというか、また新たな観点で、自分の「きらい」という感情と向かうヒントを得られたと思っている。

 

ということで今日は、そんなメンタル系の話を書いていこう。

 

 

【シャドウ】とはなにか。

 

まずは【シャドウ】という考え方を腑に落とすことからだ。

 

先の記事を読んでいると、なんとなくわかったような気にはなれるが、数学の証明よろしく、それは気のせいなのだろう。だから丁寧に追っていく。

 

一言で言えば、【シャドウ】とは自分が人生で否定してきた価値観・個性であり、普段は無意識下に沈んでいるものである、とあった。

 

例えば僕は、不必要に大声や騒音を出す人はクソだと思っているのだが、この部分が僕の【シャドウ】だと言える。

 

あるいは、揚げ足ばかりとって話し合いをしようとしないTwitter等に沸くコメントもウンコだと思っている。これもまた、僕の【シャドウ】だ。

 

こうやって具体を並べれば、【シャドウ】の言わんとすることがなんとなくわかってくる。そもそも論としては、自分が理想とする生き方の裏がそれ、という感じらしい。

 

イメージとしては、「Umbra」という天体現象のイラストがしっくりくる。【シャドウ】とは、まさに言い得て妙な比喩である。

 

さて。まずは【シャドウ】の定義を知ったうえで、それが持つ厄介な特性についてまとめていこう。

 

それは、自分が【シャドウ】とする気質・価値観・言動を他者に感じたとき、強い嫌悪感を人は覚えやすいというものだ。

 

ここを腹落ちさせるために、少しややこしいが、こんなモデルを考えてみよう。心の内でこっそり、もっと人からチヤホヤされたいという、そんな鬱屈した男がいるとする。

 

まずは自分の見た目を変えようということで彼は筋トレを頑張ってみるが、なかなか続かない。続けられないから、見た目も変わらない。

 

そしてそういうジレンマを抱えるうちに、少しずつ自分に才能が無いことも感じ始めてくる。そうなれば、行き着く先は、そういう淡い夢の否定である。

 

自分はバキバキにはなれない。喝さいを浴びる肉体を造ることはできない。夢と現実は表裏一体というが、その辺りを痛感するのではなかろうか。

 

この際、彼にはきっと、ある【シャドウ】が生まれる。その【シャドウ】とは、「肉体改造に成功し、周囲から評価され、大会等で結果も出している」という像だ。

 

だから彼は恐らく、筋トレ系YouTuberのSNSを巡回し、「ステロイドだー!」とかなんだと荒らしまわることに、ひたすら精を出し始めるのではなかろうか、と。

 

気持ち悪い思考だが、自分が否定した像を体現する人間は、その人にとって悪である。だから叩きたくなるという論理なのだろう。

 

最近やたらと目にするそういうアンチ活動の根底には、そんな【シャドウ】が隠れているような気がしてならない。

 

・・ここまで説明したところで、一旦【シャドウ】についてまとめておこう。

 

【シャドウ】とは、自分が人生で否定してきた価値観や思考のことであり、それはいわば自分の理想像の裏返しである。

 

そしてその【シャドウ】を他者に投影するとき、人は不快感や攻撃性をそこに覚える性質がある

 

こんなところであろう。ということで、その正体はうっすらとつかめた。つかめたうえで、ではどうすればいいか。

 

次項では、それについて考察していこう。

 

「お前も俺なんだから」


【シャドウ】の話をまとめているとき、僕の脳裏に浮かんだのは、NARUTOの一場面だ。ネタバレにならないよう仔細はぼかしつつ、理由を述べる。

 

主人公であるナルトは、修行の一環として、自分の心の闇と向き合うことになる。最初は力でその闇を克服しようとするが、それがどうにも上手くいかない。

 

その後とあるイベントを経て再び闇と相対したナルトは、ある答えを出し、その闇に突き付ける。それは「自分を信じる」という決意であった。

 

その決意を聞いた闇は、「俺は邪魔なのか!?」とナルトに投げかける。それを力強く抱きしめながら呟いたのが、以下のセリフなのだ。

 

お前はオレになりゃいい⋯!お前もオレなんだから。

NARUTO(ナルト)の名言・名セリフ/名シーン・名場面まとめ (23/45) - RENOTE [リノート]

 

そしてこのセリフをかけた後に、「お前がいたからオレは強くなれた⋯。おかげでここまで来たのかもな⋯。」とそれを肯定するような言葉をつぶやく。

 

紛うことなき名シーンの一つだと思う。

 

・・・なぜこのシーンを思い出したか。実は、【シャドウ】を制御するための方法もといプロセスは、驚くほど上記の流れにそっくりであるからだ。

 

それを順番に紹介していこう。

 

まず大事なのはやはり、「自覚」だ。他者に対し「許せない」「嫌い」という感情を持った際は、それをまずは認めることが大切。

 

そして同時に、意識が完全に他者に向いていることを認識し、その後でそのベクトルを自分に向け直すのだ。これをユング心理学的には、「投影の引き戻し」と呼ぶらしい。

 

相手に対し、自分は何を投影しているのか。それを言語化し、そしてそれが自分の中にも根付いていることを、しっかりと認める。全てはそこから始まるのだ。

 

そうすると大抵、原体験がセットになって、過去の記憶が立ち上ってくることが多い。例えば僕は、発達障害(ADHD)の子たちの典型的な行動が、正直どうにも嫌いだ。

 

空気を読まない発言、衝動的な言動、ぐねぐねした動き、じっとしていられない・・・。これらいずれも、自分がかつてそういう行動をしていた自覚が、かなり強い

 

あの頃の自分は、人生の汚点であり、ただの恥の塊だ。僕はそう考えている。だからこそ、意地でもその際の自分が取っていた行動は繰り返さないと、固く誓っている。

 

・・そう思うと、やはり僕がそういった子供たちに投影しているのは、否定した過去の自分そのものだと、改めて合点がいった。彼ら彼女らは、僕の【シャドウ】なのだ

 

―こうして【シャドウ】をしっかりと認識した後に、ユング心理学が用意している答えは何か。それは、【シャドウ】の居場所をつくることだ。

 

居場所をつくることそのものは「統合」と呼び、そこに至るまでの過程は、「個性化」と言うのだという。ではこの「個性化」とは何か。

 

この「個性化」については、定義であったりワークの内容だったりが多少出典によってブレていたので、自分にとって一番しっくりきた考え方を紹介しよう。

 

まず1つ目は、自分自身の【シャドウ】が持つ要素を、肯定的な呼び方に置き換えるというものだ。簡単に言えばプラス思考のフィルターを通し、見つめ直す、と。

 

その目線を意識して、努めて客観的に僕の【シャドウ】を紐解くなら、こんなところだろうか。

 

① 空気を読めない ➡ 臆さず意見を言えて、行動ができる

② 言うことを聞かない ➡ 自分の哲学がある、集中力がある

③ 衝動的な行動を起こす ➡ 行動力が強い

④ じっとしていられない ➡ 行動力と好奇心が強い

 

・・・そしてこの要素の内、今の自分が取り入れるべきものを選び、統合していくこと。これが一つの「個性化」なのだという。

「個性化の過程」とは〈ユング心理学〉 | EARTSHIP CONSULTING


他者を許すための行動について、僕は今まで「寛容」「慈悲」という観点からばかり考えていた。しかしそれもまた、視野狭窄だったようだ。

 

もちろんそういった包み込むような愛という懐の広さも大事に違いないが、それだけじゃなく、自分の闇を認識して統合するという考え方があるのは知らなかった

 

今後僕は、自分の感情を逆撫でする対象に出会ったとき、そこに自分の【シャドウ】を感じ取り、その上で、いい形で自分に統合していく思考を練習する必要がある

 

嫌いなものは嫌いなままでいいのだ。ただその中に学びがゼロだと考えるのは、それこそが器の小ささと言えるのではないか。

 

また一つ、有益な考え方に巡り合えたこと、感謝である。

 

では今日はこの辺で。

 

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