昨日書いた記事の、いわば続きになる内容を今日は書いてみる。つい最近、僕の中で、「問いが見つかるまでは予習をする」というラインを設定した。
教科書や問題集の解説や説明に、「なぜ?」「どうして?」をぶつけながら読んでいく。それらを解決し、僕なりに納得した理解を得て、それを授業する感じだ。
そして近畿地方一つ取ってみても、永遠に終わらないのではないかと思うほど、問いがポコポコ自分の中に生じたのには驚いた。
僕は地理の勉強について、地形の特徴から入ることに面白さをあまり感じていない。どちらかと言えば、歴史的な出来事を取っ掛かりにした方が、理解が楽だと感じている。
その観点から考えると、色々引っ掛かる。例えば、大和朝廷はなぜここを拠点としたのかとか、阪神工業地帯はなぜ鉄鋼に強いのか、いずれも僕はよく知らない。
語句の意味だってそうだ。紀伊半島という言葉を見て、半島ってなんだと思ったし、よくよく考えれば、大輪田泊までどうやって宋の貿易船は来たのか、不思議に思う。
それらを調べていく内に、「あっ、そういうこと!?」という驚きをもって、自分の中に繋がったものがあった。
そしてそれを知ったとき、「予習ってオモロい!」と、僕は強く感じたのだ。今日は取り急ぎ、その経緯を書いておく。
歴史+地理+偶然➡現在。
さっきも書いたが、「大輪田泊は日宋貿易の拠点とされるけど、そもそもそんなとこまでどうやって宋船はやってきたのだろうか」と僕は思った。
そこでルートを調べると、結構遠回りというか、瀬戸内海をガンガン進む形で、宋の船は今の兵庫県辺りまで到達していたという。
瀬戸内・海の路ネットワーク推進協議会 | 瀬戸内海を学ぶ | 瀬戸内海の歴史 | 瀬戸内の航路整備と日宋貿易
ーこの地図を見て気付いた。厳島神社って、そういえば平家と強い縁がある神社ではなかったか、と。
冷静に考えれば、平家の拠点を考えても、広島にそんな神社を建立する意味はパッと閃かない。しかし、その答えは、全てが繋がるところにあった。
なんと、「貿易船が無事に辿り着けるように」といった、海運上の安全祈願の願いを込めて、そこを建立させたというのが一説だというのだ。
宋船のルート、大輪田泊の場所、平清盛、厳島神社。僕にとってはある意味ぼんやりとした繋がりしか感じていなかったこれらが、一本の串でバシッとまとまった。
ちなみに僕は広島出身である。そういうのもあって、厳島神社の別の側面(縁)をまた一つ知ることができたのは、すごく嬉しく、またワクワクすることだと感じる。
問いを深めていくと、点と点が思わぬ論理や因果で繋がっていることがある。よく考えれば、歴史とは非常に膨大で複雑なネットワークである。
むしろ、繋がりが無いわけが無いではないか。それは事件か、地理的条件か、はたまた偶然かはわからないが、とにかくすべての物事には繋がりがあると捉える方が自然。
予習とは、僕の中でまだ繋がりを見つけられていないものを見つけ、それを接続していく作業なのかもしれない。そう思うと、新たな勉強の醍醐味がわかったように思う。
ちなみに、大阪が鉄鋼に強い理由を調べてみたが、時間が足りず、腹落ち感がある理屈はまだ見つけられていない。たまたまで片づけるには、ちょっと乱暴だ。
一説には、日清戦争の特需が終わり、経済不振に苦しむ大阪に活力を与えるため、1903年に博覧会が開催されたことが、そのきっかけだとされる。
また、第二次世界大戦中に工場の大部分が破壊され、結果として新しい価値観・工場・設備がたくさん導入されるようになった、というのも一つある、らしい。
偶然っちゃ偶然の連続だが、納得できるまで僕はそこに因果を見つけたいなと思う。ただしそれが極端なら、論理の飛躍になる。そうならないところまでは突き詰めたい。
しかしながら、近畿と平家と厳島神社が繋がるとは、とても面白い瞬間だったと思う。こんな学びにもっと出会えたらいいな。
では今日はこの辺で。