東進衛星予備校、代ゼミサテラインなど、映像授業を最たるコンテンツとして売り出す大手塾がある。
また、教育系Youtuberという括りで、オンライン授業を一個人が提供している例もある。
つまりそこかしこに、『映像授業』がありふれているという状態だ。もはやこの世界は、レッドオーシャンである。
僕自身も勉強のために色々と参考にするのだが、不思議なもので、期待しながらも開始数分で視聴を止めてしまう授業がたまにある。
その一方で、間違ってタップしたといった程度の動機しかないのに、気付けば数十分の授業全てを見てしまったという例もある。
しかも不思議なことに、後者は『全編英語』の授業でも発生する。入ってることの6割わかればいいレベルのモノでも、なぜか引き込まれてしまうのだ。
うーん、この違いは是非とも突き止めて、自分の血肉として活かしたい。
そこで今日は、ここに潜む『違い』という名の謎を、僕なりに分析して突き止めてみようと思う。
ぶっちゃけ、途中で投げちゃう授業や動画の特徴。
①異常にテンションが低い。
これは言わずもがなのレベルの問題なので、あまりウダウダとは書かない。
だが、当事者にとっては『ふつうのテンション』だと、相手には『つまらなそう』という風に伝わっているとみて間違いない。
自分が多少無理しているくらいのテンションで初めて、『ふつう』の感じにみえるのだ。だがこのギャップは、実際に体験しないと掴めないと思う。
②言い間違いが多すぎる。
すごく当然と言えば当然なのだが、言い間違いは聴き手の信用を大きく削ぐ。またそれは、集中力も同様だ。
例えばスペルミスが目立つ板書だと、『こんなミスをする奴の授業とかためにならねー』という先入観が生まれる。
その後に発言等でミスを重ねると、『やっぱりね』という感覚が生じる。結果、動画の視聴を止めたくなる、という理屈である。
得てして、僕が聴いていても仕方ないと思った授業は、言い間違いが多いか、説明が意味不明かのどちらか、或いは両方を含む。
聴き手は思っている以上にシビアなのだ。僕も身を引き締めようと思う。
③タイトルと内容が違う。
極端な例を挙げよう。
あるところに、『TOEIC300点だった私が900点に上げて帰国子女に間違えられるようにさえなった方法』というタイトルの動画があるとする。
これは気になる。『爆発的に力を伸ばす方法』が紹介されることを期待して、その動画を開く。
まず、テンション高めにその人が登場する。そして、経歴から語り始める。
ただ、その経歴紹介がなかなか終わらないとしよう。『僕は昔~』とか、『しかし今は~』だけならまだしも・・・。
『同僚からも見直され~』といったサクセスストーリーまで続いちゃうと、ぶっちゃけ僕は辟易する。
そして結論が『音読をしよう!』みたいな超当たり障りもなければ新鮮味もないものであれば、僕は『詐欺じゃねーか』とさえ感じるワケで。
こういう風に、内容とタイトルがマッチしないものは、かなり損した気分になってしまう。だから、動画はすぐに打ち切りたくなる。
―ということで、ここまでが、『聴き手が投げ出したくなる授業や動画』の特徴である。
では、ここさえ避ければ、それは確実に『良い動画授業』なのか?と言われれば、そうとは言えないだろう。
やはり、良い『動画授業』があったとして、それをそうさせている要素があれば知りたいではないか。
ということで続けては、『最後まで見たくなる動画授業』の特徴、その気づきをまとめてみる。
最後まで見てしまう授業や動画の特徴。
①導入が面白い。
人気とされる配信者や講師程、導入が印象的で、かつ決まりきっているのが多いという傾向があると僕は思う。
つまり、最初がいきなり面白いのだ。ぶっちゃけ、ここを面白くするために、動画作成者は頭を使いまくっている。
ただ、『面白い』の一言でくくるといささか乱暴で抽象的過ぎるので、頑張ってさらに分類してみた。
1 インパクトや覚えやすさ重視型
→例:)『ハロー、○○!!』(ほぼ人気とされる講師やYoutuber全員)
2 視聴者にツッコミを入れさせる型
→例:)後ろに変な像を置いとくとか、格好をガラリと変えるとか(コメディアンタイプのYoutuberに多い)
3 デモンストレーション型
→例:)動画の肝をいきなり実演(技の紹介系動画に多い)
4 オチの先行公開型
→例:)少し上のと似ているが、一番面白いと思われる箇所をちょっとだけ公開する感じ(商品の紹介系動画に多い)
5 ユーモア型
→例:)真面目なトーンと顔で変なことを言う感じ(TEDに多い)
といったところだろうか。僕は自分で言うのも変だが、2,4,5をよく使っている。
皆さんも自分の教えたいテーマや、キャラに応じて、考えてみてほしい。
②『なんで?』→『なるほど!』を繋げ続ける。
少し意識を向けてみると気付くのだが、面白いドラマや人気の漫画程、各話のキリがものすごく悪いとは思われないだろうか。
これは、人間心理を掴むテクニックだという。つまり、キリの悪さこそが好奇心を生む、という話なのだ。
聞いていて面白い話というのは、本当にこの要素が多い。『なんで?』→『なるほど!』が止まらないのだ。
謎を提示し、その謎を論理の積み重ねで解く。そして、解けたことによりまた新たな謎が生まれることを伝え、そしてまた・・・
という感じである。超わかりにくい。
ということで、頑張って中1英語の授業を例にとってみる。
①謎の掲示
例えば、『放課後はサッカーしている』というのと、『今僕はサッカーをしている』ってのは、微妙に表す意味が違うよね?
どう表現すればいいか、まず伝えるよー
↓
②その解説
『~している』という動作中を伝えたいときは、述語を『S+be + Ving』の形にすればOKだよ。
だから、『I play soccer.』を、『I am playing soccer.』にすれば、それは動作中を表す意味になるって感じ。
↓
③新しい謎の掲示
じゃあ、『僕は彼女を知っている』という例文もいけそうじゃない?それって、『I am knowing her.』で書けそうじゃない?
でも、それだと微妙に×なんよね。実は、『play』と『know』は同じ『一般動詞』のクセに、種類が少し違うんだよ。
どう違うか、考えてみー。
↓
・・・・
―という具合。ぶっちゃけ適当なので、微妙に再現しきれていないのだが、雰囲気が伝わればそれでいい。
尚、これ以上書くとだらだら長くなるので、ここで割愛とする。(これもまたキリの悪いところで終わっちゃうテク…なのだろうか)
③"有益な"情報量が極めて多い。
ここのさじ加減はぶっちゃけ職人技だ。動画を観ている人がどういう悩みを持っているかを先打ちで分析し、それに響く情報を次々と提供する。
例えば英語の長文読解にお悩みの方に、基本的なテクだけでなく、そもそもの勉強法やオススメの参考書なども伝える感じである。
―ここで勘違いしてほしくないのだが、単に情報量が多ければいいという話では決してない。
そもそも、視聴者に色んな情報を提供するだけなら、実はものすごく簡単だ。
試しに、クラシック音楽を流しつつ、パンツ一丁にサングラスをかけ、ヘリウムガスを吸った状態で『ミクロ経済学』を説明してみるといい。
視聴者は意味不明だが膨大な情報量に圧倒され、即座に『戻る』を押すだろう。
情報は多いだけでは絶対にダメだ。これは僕自身も日々反省と改善の繰り返しだ。
枝葉末節を徹底的に切り落としつつも、理解の補助になるようなサポートの知識は落とさない。
恐らく才能だけでこれを体現し続けることは不可能だろう。圧倒的な努力量と検証を重ねないとたどり着けない領域。
憧れこそすれ、道はまだまだ遠いなぁと思う要素である。
④楽しそう。
一番簡単に聞こえて深いと思うのが、この要素だ。
良い授業、良い動画を送り出すためには、前提として『こちらが楽しんでいる』のは必須だと思う。
『この読解術で解けるから、是非とも教えたい!』『僕はこの方法で筋肉を付けられたから、みんなに伝えたい!』
―こうした健全な動機を持つ人は、これを持たずに何かを語るプロに勝る。
そんな気さえする。
僕自身、自分の中で『ハマった』授業ができたときは、大抵その説明に自分が満足しているときだ。或いは、確信をもって役立つと思えている場合。
ということで、手っ取り早く聴き手に響く動画なり授業なりを作るには、軸として『自分が楽しいと思えるもの』にするのがベターである。
それか、自分が好きなジャンルに関連付けて内容を考えるのでもいい。
例えば僕は、たまに公民の授業も持つのだが、刑事裁判だの民事裁判だのの説明がなんか味気なくハマらなかった時がある。
そのときは、自分が当時ハマっていたことから逆に考えてみて、
『某動物が暮らす村で頻発する、何重もの又貸しは、どっち裁判の話だろうね?』
なんて授業をしてみたこともある。これはそこそこウケたし、自分もなんか楽しかった。
方法は無限にあるので、まずは『自分が楽しいもの』をベースに、やはり色々と考えてみるべきだと思わされる。
終わりに。
ということで、久しぶりに4000文字の大台を超えてしまった。書いているうちに止まらなくなり、ぶっちゃけ90分くらい掛かっている。
なぜこのテーマにそんなに時間が掛かったか?なぜここまで内容が膨大になったのか?
それは、僕にとってこれらが必要になったからに他ならない。詳しくはまだ言えないけど・・・。
さて。
今後、今以上にオンライン授業のニーズは高まってくるだろう。またそれにより、価値を持つか持たないかも、残酷なまでに二分化される気さえしている。
ハッキリ思うが、ライブの授業と映像授業は、勝手が全く違う。恐らく、ライブの授業をそのまま流用したら、悲惨な目に遭うだろう。
それはさながら、カラオケでしか歌ったことのない人が、いきなり体育館かどこかで独唱する感じに近い。
やはり状況に応じての知識や練習は欠かせない。
―ということで大変長くなってしまったが、ここに書いたことが『教える仕事のあなた』の役に立っていれば幸いである。
それでは今日はこの辺で。