趣味と実益を兼ねて、休日だろうが仕事の時だろうが、色々な学習参考書をぱらぱらと読んでいる。
すると方々で登場するのが、『効果がある!』という勉強法の数々。それこそ、講師の数だけそれがあると言っても過言ではないくらいに。(僕も何度か書いている)
だがそれに相反するようなことを言うが、僕は『面倒』というためらいと、『効果がある!』という喧伝では、『面倒』という感覚を大切にした方がいいと感じている。
今日はそれのお話である。
例えば、英語教育において効果的と名高い『ディクテーション』という学習法がある。
簡単に言えば聞こえてきた英文を書き取ることで、自分は何を聴き取れていないかを掴む!みたいな訓練法である。
―誓って言うが、僕は人生でこの学習法を累計1時間したかどうかである。理由は、と~にもかくにも、めんどくさいからだ!
ノート、イヤホン、ラジカセを用意し、書いて確認・・・。僕はそこまで英語に対する熱はない。シャドウイングの方が性に合っている。
そして僕はこの判断について、正解だったと思っている。これまた理由はシンプルで、面倒と思うことを排除し続けた結果、無理なく学習習慣を作れたためだ。
『面倒』という考えは、勉強から自分を遠ざける。となれば、色々と本末転倒だ。どれだけ他者が推薦しようが、自分が面倒なら取り入れない方がいい。
ただその代わりに、どうすれば無理なく学習ができるかという工夫は考えよう。それとこれとは話が別だ。苦学は要らないが、学習そのものから遠ざかると後が怖すぎる。
某数学問題集の上から目線な解説が嫌なら、話し言葉の参考書を使おう。参考書を読むのが嫌なら、Youtubeなどで授業の動画を観よう。
『面倒』に逆らうのは多大なエネルギーを要する。ならば逆にその感覚を活かし、『楽で効率的な方法』を考える方にシフトするべきである。
―ちなみに、当初は面倒だと思っていても、例えば周りの友人が成績を上げ始めたり、志望校が固まってきたりすると、面倒とか言ってられなくなるのでそこはご安心を。
さて。
ここからは少々余談だが、僕が生徒に学習方法を声掛けする際は、まずは『えー!?』と言わせるため、思い切りノルマに下駄をはかせる。
例)『音読学習は英語能力向上に凄く効くよ!毎日教科書を10ページ読むだけさ!』みたいな
その後に、本当に自分が薦めたい分量を、あたかも『妥協案』みたく伝えるのだ。
例)『しょうがないな・・・。だったら1日5ページ、いや、週に7ページでええわ!』みたいな
こうすると頭ごなしに伝えたり、見えもしない将来の利益を言ったりするよりかは説得率が上がった気がするので、一応手放しではないがオススメする。
―ということで今日は短めな話であったが、ここで書いた『面倒という気持ちを大切にし、それを活かそう』というのは、日頃から僕も考えていることだ。
どうすればラクに楽しくできるのか?意外とこれは、根性や感情で消えがちだが、極めて大切な要素である。
ぜひ一度、振り返ってみてほしい。
では今日はこの辺で。