最近、公私において自分の行動を振り返り、少し驚いたことがある。
どう考えても、引っ込み思案を極めていた20代前半くらいまでの自分と比べ、あらゆることの生産性がアップしているのだ。
試しに、先週やったことを列挙する。(日々の授業は除く)
ブログ記事合計11本、遊びの企画、友人たちと食事、読書3冊、新事業のアイデア会議、各種書類作成、非常勤講師の管理・調整・・・・
超細々したところは書ききれないが、指折り数えれば結構な数であった。これは驚きである。
だからこそ、僕は今、【人間、思っている以上に色々こなせる気がする】と感じている。
しかし逆に、【そうはいっても、思ってるほどはできてないな】とも、持ち前のインポスターで考えてしまう。
今日はこの辺をテーマに、エッセイを書いてみる。
なぜ色々こなせるようになったのか?
まず一番に伝えたいのは、僕は忙しいのが嫌いだし、他者から不毛に時間を奪われることも、最近気付いたが無茶嫌いだ。
同時に、僕が工夫をしないばかりに、他の方へメリットを与えられないのも嫌いである。面倒な性格だ。
この気質が上手いこと作用して、僕はここ数年、どうすれば作業効率をアップできるか?どうすれば一石二鳥を実現できるか?をずっと考えている。
同時に、歳を取ったからか、最近は嫌いだった電話にも慣れて、すぐに行動を起こすリズムも取れるようになってきた。
そしてそういった行動を取り続けた結果、今のところメリットの方が圧倒的にデカいのだ。
つまり、神経が図太くなり、また効率的なことを意識した結果、良い方にサイクルが回ったため、自然にそれが続いている、というのが理由である。
ではこれと日々の勉強、何の関係があるのかという話だが、やはりまずはやり方だ。そして、一度成功体験を得られたら、その原動力は計り知れないほどでかい。
僕は今後も、生徒にそのコツは教えるし、自分も学び、実践する所存である。
※参考図書は以下に載せておくので、是非読んでみてほしい。
でも同時に、考えてるほど仕事や勉強をしてないとも思う。
しかし、まだまだ口惜しさを抱えている。何故かというと、それでも思ったよりはタスクをこなしたり、でっかいイベントができたりはしていないからだ。
つまり、自分一人で完結する世界で数をこなし、胸をそびやかしている状態なのだ。これは赤っ恥で恥ずかしいぜ。
そして、勉強を重ねても、英検以来何か資格を取るとか、そういう目標を掲げてもいない。惰性を重ねても自信にはならないのだ。
―僕が次のステップに進むには、誰かを巻き込んで何かをしたり、或いはリスクがある代わりにデカい成果を得られるなにかを始めたり、そういう話が必要っぽい。
自分でもこう感じる手前、ある種殻を破れるタイミングに生徒が来たと思ったら、恒常性が全開になる前に次のステップに行けるよう仕向けている。
例えば、漢字の学習が進み、飽きを感じたら、即座に漢検を薦める、という具合である。不合格というリスクはあるが、得られる成果はどちらにせよデカい。
成功体験を上手く積めるルーティンは、時として惰性と自己満足を生む土壌にもなる。そこは意識してブレイクできるよう、特に生徒には意識して目を向けたい。
ということで全くとりとめが無くなってしまったが、たまにはこういうエッセイでもいいかと納得し、最後まで書ききってみた。
何かヒントになることがあれば嬉しい。無いかもしれないけど。
では今日はこの辺で。