精神年齢9歳講師のブログ

校舎での出来事、読んだ本、つまりインプットを全てアウトプットに変える実験場、的な。

【小ネタ】『期待』ってコントロールされてる感があるから、すんのもされんのもあんまり好きじゃないです。

生徒と接してても、つくづく『期待』って難しいなぁと考えてしまう。

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もちろん、生徒自身が『今回は自信があるっす』というセリフを言ってきたら、素直に『マジか!頑張れよ!』と発破をかければいいのだが・・。

 

それ以外の状況や性格によっては、『期待』を掛けると逆にパフォーマンスが落ちたり、何なら最悪信頼を失ったりするケースさえも存在するからだ。

 

かくいう僕自身も、昔は『期待』されることは見込みがあることだと捉えて無邪気に喜んでいたけど、今はあんまり好きじゃない

 

だって、コントロールされてる感があるから。ということで今日は、一見よさそうなところだらけの『期待』について、持論をビベーっと書いてみる。

 

 

 『期待』のダークサイド。

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うろ覚えだが、確か↓の本に、『期待』のダークサイドが載っている。

 

 それは、本人にそうと悟られることなく、相手をコントロールできるというものだ。イメージだけなら、うちはシスイの『別天神』と同じっぽい。

 

例えば、『期待している』と声を掛けられると、『応えねばならない』という思いを抱く真面目なタイプがわかりやすい

 

それによって結果を出してくれれば万々歳だし、奮わなければ『期待しているんだよ?』と念を押し、マウントを取りながら追い詰めることも可能

 

さらに『自分が期待しているという旨』を周囲に言いふらすことで、もし任せたことが失敗に終わっても、悪いのは『期待に応えられなかったアイツ』となるのだとか。

 

ちなみにこれを意識して使いこなして部下を動かすのが、極道のテクニックなのだという。お~、コワ。

 

―僕はいつからか、どうにも『期待』されると自分の裁量が減っていると感じていたのだが、これを知ってその原因がよくわかった。

 

そして同時に、この行為が好きでなくなった。自分がされるのが嫌いなことは、他人にしない。小学生のロジックで、他人にも言いたくなくなった

 

だからこそ、『期待』して終わりって、すごい無責任だなぁと思うのです。皆様はどう思われるだろうか。

 

『期待』よりすべきこと。

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そんなワケで僕は、誤解を承知で言うと、あまり生徒に『期待』はしていない。とんでもないことを言っているように聞こえるかもしれないので、少し言い訳します。

 

誰かに『期待』するとき、どうしても思考は自分主体になる。『期待』したヤツが上手いこと結果を出せば、自分が嬉しい。

 

だがそういかなかったとき、なぜか自分がイラつく。不思議だが、これってマジで期待された側からすれば迷惑な話だよな、と。

 

だから僕は、無邪気に『頑張れ!期待しているゾ~(SNNSK)』みたいな声掛けを乱発することはしない。こんなん信頼の不渡り手形乱発と同じ。

 

じゃあ代わりに何をするか?簡単に言えば『支援』である。生徒が叶えたい何かがあったとして、現実的な施策を考え、コツを伝える

 

僕の仕事はどう考えてもこっちである。期待なんて、そういえば良いだけなので、誰でもできるじゃないか。

 

だけどその生徒が、誰かに目を掛けられることで頑張れるタイプなら、僕は全力で『期待』の言葉を提供し、メンタルを『支援』する。

 

やっぱり自分が信念として嫌いなことは、生徒に無抵抗で落とし込むことは出来ない。僕は変なところが猛烈にドライなので、こういう考えでいくしかないのである。

 

今一度、美徳とされることは本当にそうか、見つめ直してみると面白いかもしれない。そんな好例ではないでしょうか。

 

では今日はこの辺で。

 

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