集団授業をしていると、10人が10人機嫌よく元気いっぱいの日の方が、やはり珍しいと感じる。
大体1~2人は学校で何かあったのか、しょげてたり不機嫌だったり、宿題が全く終わってなかったりという様子である。いやはや。
この場合、こちらが取らねばならないアプローチについて、僕は非常に悩んでいる。何なら今も悩んでいる。
今日はそれについてウダウダと書いてみよう。
構ってあげるのが正解か?
いの一番に浮かぶアプローチは、『授業内で相談に乗る』ではなかろうか。何があったのか聞いたり、気の利いたことを言ったり。
確かにこれもまた、『手を施してる感』はあるのだが・・・。
僕はこの手を打つことはまず無い。理由は、他の全生徒をおざなりにしてしまうためだ。
僕は変なところが結構ドライであり、「機嫌の良し悪しとか俺の課題じゃねーし」と、さっさと分離することができる。というか、そうしないと建設的じゃない。
独りのために全部の授業を止めるのはどうかしている。悪平等がクラスに蔓延してしまうため、この手は慎重に打つようにしたい。
キレるのが正解か?
先に言うが、これは最悪。キレることは最終手段な割に、その効果は乏しい。ある程度肝の据わった生徒はこれにも反撃してきて、収拾がつかなくなる。
仮にその場が収まっても、わだかまりは残る。しかもそれは、当事者のみとは限らない。巻き込まれた他の生徒にも、良い影響や心象は残さないとみて間違いない。
―どうしても怒り以外の選択肢が浮かばないのなら、あらかじめ第三者に告知しておき、始まったらわざと止めに入ってもらうくらいの根回しは必要だ。
それくらい『キレる』とは本来デリケートなものである。闇雲にカミナリをドッカンとしても、そのリスクに見合ったリターンはもはや無いとみていい。
今のところの施策、それは『積極的無視』。
さて。そんな僕が今はどんな手を採っているかというと、それは【積極的無視】である。要は、相手をしないのだ。
これはパッとした聞こえは非常に冷血で無責任に聞こえるが、そのメリットは非常に実践的である。(以下の本に書いてあった)
まず、『スネても無駄』というメッセージを、キレることなく当事者に伝えられるのだ。
例えば、問題を当てた際、なんか機嫌が悪いのを察したら、『じゃあまた別んとき聞くわ』とスルーして、他の生徒に投げる。
そして放置した状態で授業を続けていると、しれっと機嫌が戻り、さりげなく講義に参加していることも案外多いのだ。
ハブてることもまたエネルギーを使う。無駄だと思ったら、たとえ小・中学生だろうと、案外ロジカルに行動するのである。
―ちなみに、大多数が別の科目の内職を始めているといった状況はどうするか。これは非常に根深いので、今までの授業全てを顧みるべきだ。
何故かというと、1,2人がこっそり1,2日だけするならまだしも、それが日常的なら、『お前の授業に価値は無い』とそれだけ思われていることに他ならないからだ。
仮に僕の受け持つ集団授業がこうなったら、潔く引退するか、個別授業専門に引っ込もうと本気で考えている。そうならないためにも、責任感はある程度絶対に持とう。
―ということで、今日もまた同業者向けの記事になってしまった。だが、やはり集団授業の運営は生きものであり、気を張り続けても終わりはない。
現状維持は衰退を生むというのを、これほど感じる仕事もない。だからこそ面白いと感じる部分もあるのだが・・・。
これ以上は愚痴になりそうなので、ストップしておく。では今日はこの辺で。