15歳の頃、僕はあることに悩んでいた。
『高校にはとりあえず行きたいけど、別段理由がねぇ』
―正確には理由はあったのだが、大人ウケする理由が特になかった。だから悩んだ。
そして3年後。18歳の僕は、またあることに悩んでいた。
『経済学部に行きたいけど、別段理由がねぇ』
―正確には、『したいことを見つけるためのモラトリアム』という理由があったのだが、これを話そうものなら意識の高い大人に袋叩きにされて終わりだ。
そして今度は4年後。22歳の僕は、またあることに悩んでいた。
『夢も目標も、ぶっちゃけねぇ』
―正確には、成功者が掲げるような『でっかいそれ』が無かったという話。小さく生きて小さく死ぬというのは、『許さん!論外だ!』という風潮であった。
・・・さてさて。これらの悩みに対するリアクションは、僕は綺麗に二分されると考えている。
『そうだ!甘えるな!夢や目標が無いとかダメだ!でっかいそれを掲げ、一直線に進みなさい!』という叱咤。
それか、『あー、わかるわー・・・・』という小さな声の同意。
どちらかだろう。ただの偏見だが、僕は年齢が高まるにつれて、前者の比率が高まる印象を抱いている。
夢を持たないことはそんなに悪なのか?目標が無いことは怠惰の証なのか?というか、20歳そこそこの時点で、向こう40年の進路を決めるって、不可能じゃない?
・・・という意見に、価値観の押し付け以外の解決策を示してくれた大人を僕は知らない。だから悩んで悩んで、拗れて・・・。いやぁ、疲れた!
そして気付けば僕は、同じ悩みを持つ子たちに助言を送らねばならない(らしい)『オトナ』になっている。
彼ら彼女らは僕に対し、『夢や目標なんてないですよ・・・』という辛い胸の内を明かしてくる。これは甘えじゃなくて、マジで助けを求める声にしか聞こえない。
ということで僕はもう、思い切って断言する。
『んなもん、その歳で無くても、別にええわ!!!!!』
―今日は『夢や目標が無い人たち』に対し、あまりよくない印象を持つ人に向けて、この現代のリアルは果たしてどうなのか、知る限りを書いてみる。
あらゆる情報も教育もオープンソース化されている。
このことを色濃く表した格言がある。
これはかなり考えさせられた。感情論にではなく、『確かに短時間で何とかなるんじゃね?』という方に、だ。
何度か書いた話だが、僕は情報を隠しておくことで価値を持たせるという手法は、もう絶対に通じないと考えている。
オンライン講座を利用すれば、誰でも超一流講師の授業を受けられるし、参考書を買えばいつでもどこでも勉強ができる。
―つまり、思っているよりも遥かに多い分野において、習得に関わるコストや期間は激減しているのだ。これは確実に、情報化社会の恩恵。
センスがある分野はパッパと習得できる今、果たして肩書を一つに絞り、そればかり突き詰めることは是なのか非なのか。
ちなみに僕は、「そんな生き方、怖くて、もったいなくて絶対にできない!」と感じているが、皆様はどうだろうか。
『職業』が消えていく。
『AIやロボットは、人間の仕事を奪うぞ!』と称し、ネガティブキャンペーンに忙しい方がいるが・・・。僕は真逆。歓迎している。
だって、つまらない仕事なんて、ぶっちゃけしたくないからである。例えば僕は、黒板を拭く作業が面倒なので、代理してくれるロボがあるなら5000円まで出す。
―これを考えると、技術が進歩したり、心理的なバリアが消えたりすると、『あれ?これロボットでもデキるくね?』と気付く人が確実に増える。
もちろん政治活動等で色々封じてくる職業もあるだろうが、全部が全部そうではない。例えば、将来消えるであろう職業について、僕はいくつも頭に浮かぶ。
言い換えれば、『よっしゃー、夢叶って仕事に就けたぞぉー!』という未来になっても、数年で仕事そのものが消滅とか、普通にあり得るのだ。
そういう場面をいわばライブで見ている今の世代が、『生涯をかけて追いかける夢や目標』に、困難さや恐れを抱くことは至極自然だともいえる。
グローバル化と少子高齢化。
すこーし専門的なことも、ついでに話してみる。
日本においてはとりわけ、『賃金が低い!暮らせない!アベノミクス・・(以下感情論)』というトピックがホットである。
―では一体なぜ、給料が低いのだろうか?少し考えを深めてみよう。
簡単に言えば、それは『グローバル化』と『潜在成長率の低さ』が原因だと言われている。
最近は表立って出てくることは無くなったが、こと日本は経済的に成功を収めた人間を袋叩きにして、引きずり下ろす風潮が強い。
2000年代に起きた『ライブドアショック』等はその最たる例だろう。出る杭は叩きのめす国では、単純労働でチマチマ稼ぐ以外のインセンティブは働きづらい。
しかも、日本の法人税は2017年に追いつくまで世界的に見ても高い部類であり、所得税は稼げば稼ぐほど重くなる『累進課税』である。
働けば罰金みたいな状態はまだ是正されきってはいない。こんな状態では、経済成長の伸びしろが、成長著しいマレーシア等と比べて低いとされても仕方ない。
かつ、日本人の給与は世界的に見ても高めであり、同じ労働であっても賃金の安い外国人でできるなら、コスト削減のためにそうしようと動く企業は年々増えている。
ここからは需要と供給の関係で簡単に理解できるのだが、余るものは値段が下がり、人気のものは値段が上がる。
ということで、グローバル化した世の中においては、得てして安い外国人労働者の賃金と、高い日本人の賃金の間に、全体の水準が落ち着くのだ。(≒均衡価格です)
それは日本人からみれば、給料が下がったと同義なので、慢性的に賃金が上がらないと感じても仕方がない。
―給与が上がらないことの真のリスクは、夢を叶えても食っていけないという未来の到来である。膨大な労力・時間を傾けて、ロクな暮らしもできないとか・・・。
そんなマゾなことを夢や目標に掲げる人はまずいない。現に僕も、今の仕事は好きだが、給料が半減したら生きていけないので多分辞める。
ぶっちゃけ、『夢や目標』を語れるほど、日本に活気が無いという状態もまた、由々しき問題だと感じて仕方がない。
『掛け持ち』こそ最高のリスクヘッジ。
悲しい話だが、一般論として、本業一本で年収ン百万という時代は完全に息の根を止められたと感じている。
僕らの手取りは上がらない。悲観論ではなく現実として、これは思っておかねばならない。
(※手取りが上がらない?んなわけねーだろ!とお思いの方は、社会保障費のグラフを見ると色々察します)
https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/2030tf/281020/shiryou1_2.pdf
しかも、就いた仕事の寿命はいつまで続くか、誰にもわからない有様だ。僕含めて、誰もが突然失業したり、もっかい勉強し直したりというリスクを抱えている。
・・・となれば、僕らが"生きていくためにも"マストな考え方は、『掛け持ち』である。肩書などいくつもあって良いのだ。というか、いくつも無ければダメだ。
僕自身、手前味噌だが、塾講師以外にも色んな事をしてるし、実は収入の一部を生み出せてもいる。
『ふざけるな!講師業を何だと思ってる!』という方がいるかもしれないが、まぁスルー致します。
例えば、平日は本業を行い、土日で友達の会社を手伝ってお金をもらう。何の貴賤もない。後ろめたさもない。
本業を定時で切り上げて、ゲーム実況等でコンテンツを作成し、お金をもらう。好きなことで生きることの何が悪なのだろう。
何ならより多くの経験値と収入を得られることから、これらの方が生き方として高尚だとさえ感じる。
―つまり、夢や目標を一本に絞る価値観と、これからのリアルは、全く相容れないのだ。世代間の喧嘩は、多分まだまだ続く。
子どもたちは、こういうのを特に強く感じ取っているのだろう。好きなことは全部やる。選択を狭めたくはない!という本音。心の底から同意する。
一応僕は『夢や目標はでっかく一つ!』以外の選択肢が無い時代でギリ育ち切ったのだが・・・。これが許容される今、実は少し羨ましい。
もっとも僕の意志力があればその時代であろうと別にできたので、ただの言い訳なんですが・・・。
この時代を掴む推薦図書。
「今は一体どういう時代なのか?そしてこれの流れは今後どうなっていくのか?」断言するが、このことは学校ではまず教わらない。
とある本で指摘されれて『確かに』と思ったのだが、是非はさておき学校の先生の大半は、その仕事が人生初の定職の可能性が高い。
だからこそ、教員以外の職業や世界をなかなか知ることは難しいためだ。おまけに公務員なので、利益の出る副業も実は禁止である。
―となれば、これに関する知識は自分で能動的に取りにいかなければ、絶対にふってこないのだ。
そんなわけで僕も色々読んだのだが、優れている本は結構限られていた。以下、列挙する。
全体像をドカンと学びたいなら→【LIFE SHIFT】
お金の正体と、これからの時代に必須の要素を知りたいなら→【革命のファンファーレ】or【新世界】
実際に独自の生き方を実践する人の思考を知りたければ→【逆転の仕事論】
FacebookやTwitter、Tiktokがなぜあそこまで勢いがあるのが不思議ならば→【お金2.0】
・・ってところである。他にもあれば、是非ともオススメしてほしい。読みます。
終わりに。
革命のファンファーレという本の冒頭にあったセリフで、すごく感銘を受けたものがある。ざっくり言えば、
『今の若者はダメ』理論があるが、それが本当だとすれば人類はとっくに滅んでいる。スケールダウンを繰り返すものが生存できるわけがない。
というものだ。確かに。すごく、確かに。だからと言って僕がおっさん世代にマウントを取る気は全くないが、言い返しづらかった問答の解の一つが分かった気がする。
そして、多数の人が肯定しているモノを自分も肯定し、それを前提に論を進めていくと見えるものがある・・という風に続く。
―白状すれば、僕も仕事に就いてすぐの頃、思ったことが無いわけではない。『夢や目標を見つけるのって、そんなに大変かな?』と。
それは、僕がもう可能性がだいぶ減った年齢になっていたから言えることだったのだ。
―というより、そう思い込んでいたから、てな具合。僕に残されたイベントは、あとは出世か結婚くらいだと本気で思っていた。
だが、今ならハッキリ感じる。俺の人生はまだまだ捨てたもんじゃない。
今の内から扉を閉めて、可能性がたくさん残された世代に嫉妬なんて、絶対にしたくない。できれば同じ目線で、『次は何をする?』とワクワクしたいではないか。
―気付けばテーマが深いことと、自分自身で熱を帯びている部分があったのとで、文字数がえらい膨らんでしまった。ま、たまにはいいですよね。
子どもだからといって、ただの虚言妄動と決めつけることなかれ。理解できないことを肯定することから、新しい見識が生まれることも多い。
僕もまた、永遠の9歳児でありたい。なんかそうおもった。もうそれを座右の銘にしたろうかしら。
―皆様の新たな考え方のヒントになっていればありがたし。では今日はこの辺で。