デビルどうでもいいのだが、僕は今、仕事の休憩や出社前の時間を使い、キャンプの計画を練っている。
超繁忙期のためか、予定日の10日以上前から予約を取るのが困難であり、何度もプランを変更せざるを得なくなったが、今は何とかそれを確保できた状態である。
後はもう、いくつ欲望を組み込めるかだ。『釣りしたい!』『BBQは外せない!』『夜はUNOしようぜ!』『泳げたら最高やんな~』
―これら純粋なアラサーの願望を、行程の隙間にギチギチとはめ込んでいく。やることの総量と忙しさなら、今の仕事を超えてるやんけ。
・・・ここまで色んなことをしていて、僕はふと気付いた。
今、計画作成がすごく順調なのだ。脳内シミュも上手く機能するし、何が必要で何が不要かが、パッと閃くのだ。―これはなぜか、少し考えてみた。
答えはすーごく簡単だ。そう、単に『経験値』が多い分野だからに他ならない。ネットやアウトドアブックを読み倒しただけでは得られないモノが、少し多めらしい。
そしてやはり思う。
知ることも大事だけど、それを『体験』して『経験』に変えることも、むっちゃ大事だと。
今日は何番煎じかわからないが、夏休みにイベントを控えている方に向けて、またこのテーマで書いてみる。(短編ですが)
まず、今は『知ること』そのものは無茶苦茶簡単だ。ググる。以上。
知識の価値が良い意味で暴落しているからこそ、オープンイノベーションが活発化しているので、僕はむしろウェルカム派だ。
―が、この辺を勘違いすると、少し胃が酸っぱくなるようなことをしだす人が現れる。
『評論家ぶること』である。知っていることこそが価値、能力と勘違いし、専門用語を吹っ掛けては知らない人をディスる。うーん、むずがゆい。
(例えば横文字をやたらめったら使うタイプはダウト)
何度も言っているが、『知っているだけ』の状態には、別に価値は無いと僕は考えている。どう使うか、どう私見を添えるかが大切なのだ。
―だが不思議なことに、色んなことを知っている大人も生徒もたまにいるのだが、実際にそれを試したり見たりした人たちは、そこまで多くない印象だ。
ヘンな例だが、魚を調理する動画を観ても、実際に同じ魚を捌く人は多分、少数派。そんな感じに。
逆に言えば、知識が頭に入らない人も、行動して経験を得れば、ただの知識オタクに勝てる可能性があるということでもある。
筋トレ理論を流暢にしゃべるガリガリより、主観的な表現が多いマッチョの話の方が、なんか説得力があるのと同じだ。
ってことで、情報そのものがゴロゴロ転がっているのを活用するには、やはりそれを使って試して知見を得ることが大切です。これは超思う。
だからこそ、例えば普段図鑑を見て生きものに心躍らせるお子さんは、実際に虫捕り網や釣竿を持って川や山に行ってみるのをオススメする。
そこで得た経験はあなたオリジナルのモノであり、どういう媒体であれ、何かの形で表現すれば、それは立派なクリエイティビティ。
コロナで限度はあるだろうが、心に是非留めておいていただきたし。
ってことで僕はこれからまだまだ、キャンプで試したい新しいことを探し、考え、行程にぶち込む。俺の夏はこれからだぜ。
では今日はこの辺で。