精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【小ネタ】2020年現在でも、理想の生き方はやはり『貸し』>『借り』の人生だと思う。

誕生日を迎え、そろそろ30代に突っ込む年齢になった。

 

表面的なお祝いコメントは興味が無いのだが、生徒からプレゼントを貰うことがあると、柄にもなく泣きそうになる。

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―僕はこのプレゼントという概念を、白状すると、あることバロメーターにしている。それは、『俺、好かれてるぜうぴぴー』みたいな軽い話ではない。

 

俺の人生、ちゃんと『貸し』が多いかどうか?

 

これを確認するためである。

 

どういうことか?なぜこれを重視するのか?道徳の授業っぽいけど、実は今の世にも通じるこのテーマ、続きは以下に書いておきやす。

 

 

『ここ最近の時代を鋭く描写している!』といった帯コメントがある本を、最近選んでよく読んでいる。(ぶっちゃけ、よくて6割くらいしか理解できひんけど)

 

それらの本で繰り返し語れるのが、例えば『義理・人情』『信頼』『貯信』『貸し』といったフレーズである。

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ビットコイン等の新しい通貨の登場で、『現金』の価値がこっそり激減しつつある今、上記のフレーズの言葉に欠ける人は、軒並み苦労しているのだとか。

 

これらはハッキリと『人気』とは別物であり、いわゆるテレビでもてはやされている人も、支援金を募れば大爆死するケースが後を絶たないそうだ。

 

一方、パブリックイメージとしては嫌われている人でも、支援を募ればすぐに同志が集まり、夢を語ればすぐに賛同者が集まる・・なーんて方も多い。

 

この違いはただ一つ。『義理・人情』『信頼』『貯信』『貸し』を大切にし、それを毀損するような言動の一切を徹底してしていないことだ。

 

美味しくない料理はおいしいという。オカシイと思ったことは言い返す。多分当事者には嫌われるが、それ以上にファンが増える。それが真理なのだという。

 

そして溜めたは、『義理・人情』『信頼』『貯信』『貸し』の活用法は、これ留まらない。

 

例えばクラウドファインディングでの募金や、直接のお返しという形で、別のモノに交換可能なのだ。

 

それができるようになったのが、今の時代の最たる特徴である。

 

―では、これらが自分に貯まっているか、どうやって知れば良いのか?主観とは惨めなもので、『俺はお節介焼きなんだ~』と自称する嫌われ者さえ、世にはいる。

 

そこで僕が使っているのが、『誕生日を言いふらす』というもの。たまたま歴史的事件の日と同じなので、ことあるごとに関連付けて言い倒すのだ。

 

生徒も『またかよww』みたいなノリになってくれば、後はドキドキの審判の日だ。

 

僕が生徒に何かしら渡せているモノ、もとい『貸し』があれば、何かの形でそれがその日に返ってくると、僕は感じている。

 

そして今年は―嬉しさで涙が出そうなくらい、多くのオヤツを頂いた。感謝しながら食べて、胸やけが激しい状態である。

 

・・・ここだけ切り出せば、単なる自慢だろうが、ところがどっこい。以下、その前後に行う、僕なりの努力を紹介しよう。

 

まず、別の講師の誕生日も生徒に伝え、授業日が重なっていれば、サプライズを提案することもある。

 

例えば、黒板にお祝いのメッセージ・イラストを、美術部のヤツに描いてもらうとか。人を喜ばせることに、生徒は嬉々として取り組むものだ。

 

また、ただの性格だが、旅行に行った際や帰省した際は、必ず生徒の人数分の土産を買う。(金がぶっ飛びすぎるので、大抵は30個入りのお菓子とかだけど)

 

そして、プレゼントのお返しも忘れない。なるだけ喜ばれるものを、喜ばれるタイミングで渡す工夫も欠かさない。

 

今考えているのは、夏季講習最終日の昼休みに、人数分のアイスである。労いともうひと踏ん張りを兼ねて、という感じ。

 

―昔はそれが過ぎて身体を壊しかけたが、僕はやはり利他主義的思考が強いらしい。ならば存分にそれを活用して、この世を生き抜こうと思うのだが、いかがだろう。

 

道徳の教材も良いけど、まずは小さな親切を重ねるところから、一歩一歩で良いのではないでしょうか。

 

では今日はこの辺で。

 

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