『教員』という職業を僕は尊敬している。なぜなら、あれだけの激務を『生徒のため』という一心で、取り組み続けているためだ。
だが同時に、僕は『教員』という働き方を危惧している。なぜなら、あれだけの激務を、『生徒のため』という一言で、強いられている側面もあるからだ。
実際の様子を聞いたり、生徒からの話を聞いたりするにつけ、このままだと『教員(特に公教育)』って泥船じゃね?と思うようになってきている。
今日はそんなお話である。
とはいえ、僕は『教員』という働き方をしたことが無いので、その内情はほぼ知らないという状態だ。
そこで、データでまずは色々と見たいと思う。
ベネッセが集めたデータによれば、小・中・高とも『学校に居る時間』は2007~2016年にかけて増え続けているのだという。
https://berd.benesse.jp/up_images/research/Sido_SYOTYU_05.pdf
その一方、仕事の満足度(プライベートとの比率)は、この10年で下がり続けているのだとか。
https://berd.benesse.jp/up_images/research/Sido_SYOTYU_05.pdf
―50歳以下のどの年代も、『まったく満足していない』の割合が20~30%というのが驚きである。教員の5人に1人は、下手すれば仕事が嫌いということなのだろうか。
原因についてはもう語る必要もないだろうが、『増える仕事』と『重い責任』、『部活や行事による土日出社』あたりが一因ではなかろうか。
そういうのがSNS等で表面化・可視化されたのもあってか、例えば小学校教員の受験者数は減少の一途となっているそうである。
―これらのデータや、現場の声とかをネットで見ると、『公的ブラック企業』なる呼び方までなされているのも、そこまで不思議ではなく思えてくる。
そしてここからさらに、『小学校での英語教育必須化』や、『ヨクワカラナイ受験改革』も乗っかってくるので、もう想像するに恐ろしい。
―これらを考えると、やはり『学校教育の分業化』って絶対必要だなと思えて仕方がない。
文化が違うってのもあるが、世界トップクラスの学力を国として維持し続けているフィンランドの教員の例を読むと、トムとジェリーみたいく目玉が飛び出しそうだった。
educationxfinland.hatenablog.com
何故か?まず、月当たりの平均業務時間が、なんとフィンランドの方が100時間も少ないらしいのだ。おまけに、休日もめっちゃ多い。
・秋休み(約1週間)
・冬休み(約10日間)
・春休み(約1週間)
・夏休み(約10週間)
+土日休み
+年間の有給休暇+育児休暇(例:校長先生もしっかり取得して家族旅行に)
『あの人が頑張っているんだからお前も頑張れ』という悪平等な姿、形骸化しているとしか思えない会議などの存在の一切が見えない。
これは想像だが、多分非常に楽しそうに仕事をしているのではなかろうか。
『教員なのに働かないとは何事だ!』と鼻息が荒くなる方もいるかもしれないが、繰り返すとフィンランドの学力は世界的にも高いのである。
―例えば部活動は、引退したスポーツ選手に見てもらうのも良いと思う。元プロの指導は、大体の場合素人である教員のそれを上回るだろう。
ちなみにフィンランドの例だと、教員の仕事を徹底して『授業』に絞っているのだという。授業準備の時間がない!・・・ということが起こらないのだ。
こういうのを見ると、結局、ゆとりがあった方が結果って出るんじゃねという疑念が払しょくできない。
仕事は増えるものの、では何かが消えるかと言われれば、そんな印象は日本の教員の労働環境からはうかがえない。
現在の文部科学省大臣は50代後半らしいので、ギリ10年後のこととかを考えるインセンティブが働くだろうか?これは切に期待したい。
―ってことで今日は、実は僕が疑問に思ったことのデータをまとめた備忘録を作りたいというのが主な理由で、こんなのを書いてみた。
繰り返すが、僕は全く同じ理由で、『教員』という職業を尊敬しつつも危惧している。
でもそのためにはまず、社会の風土が変わらねばならないのではと、超巨大な壁の存在を感じ、ぶっちゃけ絶望している。
やはり、『教員』という働き方って、このままだと永続するモデルではない気しかしてならない。
皆さんはどう思われるだろうか?
では今日はこの辺で。