鬱とまではいかないですが、最近身体を起こすのに気力が必要になってきました。そういえば今日で20連勤。あないみじ。中元です。
さて。気付けば怒涛の勢いで授業をしまくる期間、夏季講習が終わりそうである。自分は一体何時間授業をしたのか、振り返るのすら億劫である。
そしてその期間が終わり、ふと思ったのだが、やはり僕は学校の先生になることはできそうにない。
なぜそう思うのか、以下つらつらと書いてみる。
教員って、人生丸ごとのコミットが前提じゃね?
僕が教員という仕事に絶対なれないと感じたのは、まず毎日5コマも6コマも授業をする日々がハッキリとしんどかったというのが大きい。
教員の方は、休憩もあるだろうが、労働時間が押しなべて非常に長い。(このグラフは極端なサンプルだけ集めている可能性も否定できないが)
ただ実際、職場の近くの小学校・中学校は、22時だろうが電気が点いていることなどザラなので、あながち乖離しているわけでもないのだろう。
この中で授業を5時間とかやっているのだろうとか、部活でヒィコラいってるのだろうとか、理不尽なことを生徒保護者からぼこぼこ食らってるのだろうとか・・。
僕なら1週間で鬱になる自信がある。人生を丸ごとコミットすることが、その働き方の前提になっているからだ。
こないだ改めて、教員の中でも【プロ中のプロ】レベルの方々の実践録とか著書を読んだが、その方々は実際に、人生を丸ごと教育にコミットしている。
普段の授業はガチンコ対決と称し、業務以外の時間はインプットに徹せよと説き、そして休日は授業の研修を受けた方がいいと推奨する。
そこまでやらねば、生徒をまとめ、いじめといった陰湿な問題を食い止め、かつ発達障害だろうが分け隔てなく愛することはできないとあった。
―逆に言えば、ここまですべてを捧げることと、自らの幸福をリンクできなければ、立派な教師にはなれないという話になる。
優しい人ばかりがつぶれるのは、たまたまではなかろう。僕は仕事以外にもやりたいことが山ほどあるので、そんな過度なコミットは勘弁だ。
こういう意味でも、僕は学校の先生になることは不可能だと、強く思わされる。
※持論だが、学校の先生に最も向いている性格は、優しいとかじゃなく【サイコパス】だと思う。詳しくは以下の記事で↓
jukukoshinohibi.hatenadiary.com
インプットなきアウトプットはつまらない。
また、この夏季講習中とみに辛かったのは、インプットの時間を確保しきれなかったところだ。
本も読み切れず、気になる話題も調べきれず、当然遊びにも行けず。アウトプットばかりの時間が続き、正直ストレスがすごくたまっていった。
塾講師というある種気楽な職業でも、繁忙期はこうなるのだ。常時繁忙期ともいえる職場だと、どうなることか、想像もできない。
もちろん例外もあって、結婚生活をエンジョイしたり、あちこちへ旅行へ行ったりする先生方もいることだと思う。ただそれは少数派だろう。
そういうのもあり、僕は心から先生方を尊敬している。そして同時に、どうか心と体を壊さないようにと、願ってやまない。
#教師のバトン
実は今年の話と改めて知って驚いたが・・。教師のバトンプロジェクトというのがあった。狙いは以下のポスターを読めばわかると思う。
有名な話なので言ってしまうが、このハッシュタグが付いて投稿されたものは、とんでもなくどす黒い話が多かったということで話題になった。
※閲覧注意レベルのため、紹介はしないでおく。
この騒動を見て、なおさら、教員に適応できた方々が特別なのかなという考えを抱いてしまう。そしてそれは、一般の感覚とは遠いのだろう。
このことは、教師のバトンプロジェクトに対する(というよりTwitterに投稿された教師たちの言葉遣いに関しての)文部科学大臣のコメントを読むとうかがえる。
一つだけ、願わくは学校の先生ですから、もう少し品のいい書き方をしてほしいなというのは私個人としてはございますので。
今後も、どうぞご意見があったら寄せていただいて、それが、まさに現場の声だと思います。
直ちに改善できるものもあるし、なるほどこれは、新しい形の中で変えていかないとですね、先生方が疲弊がどんどん進んでしまうなっていうものもありますので、先生方の声を無駄にせずにですね、しっかり受け止めて、有効に活用していきたいなと思っています。
その特別な方々の価値観・思想・理想を押し付けると、普通の人たちは潰れていく。そういうことなのではないだろうか。
断言するが、僕はその特別とされる側では絶対に無い。だから、タイトル通りのことを強く考えている。
終わりに。
結構脱線してしまったが、思ったことをただ書いてみた。僕は授業の時間とそのための準備が好きなのだが、そこを奪われるとやる気がなくなる。
そのことは、奪われてハッキリとわかった。
要するに主張もくそもない独り言なのだが、何かが伝わるものがあったのなら幸甚である。では今日はこの辺で。