今年度から始まる新しい大学入試の共通テストについて、試行調査と予想問題をある程度解き終わったところである。(英語だけだけど)
英語が頭からケツまで全部長文となったことは有名だろうが、ジャンルまで広くなり、問われ方もトリッキーになったことは、どこまでご存知だろうか?
例えば【これは意見なのか事実なのか?】とか、【解答は1つとは限りませんよ~】とか。これで思考力を問えるのかは謎だが、とりあえず難易度は確実にアップしている。
僕はとりあえず、この共通テストはこと英語において【弱者切り捨て】になるような気がしている。
今まで6割程度は取れていた生徒は、軒並み4割くらいに落とされるのではなかろうか?一方、8割くらいセンターで取れる生徒は、大した影響が出ない気もしている。
―っていう英語の分析をウダウダ書きたいのではない。
英語はブログだのパンフだのSNSだののジャンルを読ませるようになっているのに、国語がなかなかそうならないのはなんでだろう?そんな話を書きたいのだ。
そんなワケで、以下愚痴めいた話をむにゃむにゃと書いてみる。
例えば自分は小~高校でどんな話を読んできたか、少し思い出してみてほしい。
僕の世代であれば、記憶にある範囲で言うとちいちゃんのかげおくりとかスイミーとか、スーホの白い馬とか、ポディマ・ハッタヤさんの何かとか。(順不同)
中学だとなんかトロッコとメロスを読んだ気がする。後は記憶喪失。
高校は、羅生門とこころ以外を記憶喪失。だが、そんなもんじゃねーかな、と。
どうだろうか。
―綺麗なまでに、いわゆる文学と説明文しかジャンルがないと思えてならない。(あとはエッセイと俳句・短歌・詩くらい)
これは、世の中に存在する文章のジャンル及び、一般的に目にする文章のタイプを鑑みると、激しく少ないと言える。
もっというと、資料同士の比較とか、何ならクソみたいな文章とかを読む機会が、自助努力一辺倒なのが問題。
そう思えて仕方がない。
例えば、Twitterとか掲示板で繰り広げられる足の取り合いとか、深い意味のない非難とかでも、心構えが無いヤツはちゃんと傷つくし、落ち込むものだ。
僕は正直、そういうことを言ったり書いたりしちゃう人たちの深層心理とか、その母数の圧倒的少なさとか、マジで義務教育の段階で教えてほしかった。
また、これは国語かと言われれば微妙なのだが、感情が乗っていない数値等のデータから色んな情報を読み取るような文章を読んだ記憶が、マジで無い。
今ホットな話題で一番わかりやすいのは、『コロナやべーんだぞ!!』と言う無条件な意見だろう。
では具体的に、それはどれくらいヤバイのか、インフルと比べて感染者数等はどうなのか、データを比べたり探したりして考察する。
多分こういった読み方をするような経験は、受験でもしない限り積まないんじゃなかろうか。
『じゃあ受験すればいい』と言う人もいるかもしれないが、『そもそも全員この読解は必修だろう』と僕は考えてしまう。
結果、事実より感情が勝ってしまうような世論の構築に、少なくない部分で繋がっている気がしてならない。マスコミ以外得をしてる人はいるんかいな?
―話を戻すと、完成された文章を使うのは勿論否定しないのだが、同時に完成していない文章や、全ての基礎となるデータを読むような時間も、あって良いと思う。
それらを知識としてストックすることで、より多角的なモノの見方とか、文章の巧拙とか、色んな価値観・思考が逆にクッキリするんじゃなかろうか。
またその方が、今より圧倒的な経験値を積めると思うんですけどねぇ。そうはいっても問題は山積なんでしょう。
以上、とりとめのない愚痴でした。