今日は珍しく、このブログを書こうと開いてしばらく、何も閃かずに硬直してしまった。
精神論で言えば『調子が悪い』ということなのだが、せっかくならばこの状態であることを活用したい。だから打開策は無いかと少し考えた。
―割とシンプルな話なのだが、『書くものが閃かない』ときは、そもそも『書くものがない』のと同義である。
自分が全然知らないテーマについて作文を書けないのと同じで、知識というガソリンが枯渇したとき、アウトプットは一気に停滞する。
そう思って、今日は仕事の休憩時間をフルに使って『インプット』に取り組んだ。興味のある人のインタビューを読んだり、積読していた本を読んだり。
そうして頭の中に『情報』を貯めていくと、今やっとこうしてタイピングの手が動くようになったわけで。これはちょっと面白い現象だ。
ってことでこれを『教育』や『勉強』にどう活かすか、ただの仮説だけど以下書いてみます。
ぶっちゃけやる気が全く湧かないときは、その対象と向き合わない方が吉である。密度の無い時間ばかりが過ぎて、寝ているのと同じだからだ。(何なら寝てる方がマシ)
こういうときは考えを変えてみるのをオススメする。例えば勉強にやる気が向かない場合、それは同時に別の何かのモチベーションが高まっていると思う方がいい。
それは人によって異なり、例えば身体を動かすことかもしれないし、ゲームをすることかもしれない。あるいは、ひたすらにボーっとすることの可能性もある。
ぶっちゃけその日だけやる気が出ないとかなら、時間を決めてそれに没頭すべきだと思うが、結構長引いているなら、無制限でそれにハマる方が有意義である。
―ここからは個人の体験談だが、そうやって全然関係ないものに没頭しているとき、ふとやる気が湧かなかったテーマに対するアイデアや意欲が浮かぶことがあるのだ。
例えば漫画を読んでいても、『この言い回しはパワーワードだな、次の授業で使ってみよう』という閃きを得るように。
脳は積極的に”使っているという意識”が無いときでも、その活動を止めないのだという。まぁ、止めたら確かに心臓とか止まって死ぬもんなぁ。
皆様も、誰かの名前や語句をど忘れして、数分程度思い出せなかった経験はあることだと思う。そしてそれが、全然関係ないタイミングで閃いたことも。
これこそ、脳が働き続けている証拠なのだという。だからこそ、『やる気が出ない』のはあくまで表の人格の話であり、本能の方は別物なのだ。
つまり、やる気が湧かないことと、そこから完全に意識を反らすことは、似て非なるものなのだ。
とりあえず僕も、インプットという別の刺激を与えるとこうして書きたいことが閃いたので、難儀な『やる気制御』の一つとみて差し支えないだろう。
特に年末年始は『やる気スイッチ』が完全に切れることもしばしばだ。そういう時にお役立ていただければありがたし。
では今日はこの辺で。