精神年齢9歳講師のブログ

校舎での出来事、読んだ本、つまりインプットを全てアウトプットに変える実験場、的な。

「僕は授業しないと救われない人間。」

最近お気に入りのプロテインバーが「いちご味」という、自分自身とのギャップに笑っちゃいました。中元です。

 

さて。過去何度か書いたけれど、僕は暇が大嫌いで、これが長い期間積み重なると、本気で心が弱ってくる

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だからこのGWも、結構我ながら色んな手段を使って暇をつぶしたつもりだが・・・。

 

やはりネガティブの強さにやや押し切られ、今は瞑想が習慣になる前のメンタル状態に少し戻ってしまっている。つらたん。

 

なぜ、色々と手を尽くしたのに、暇を潰しきれなかったのか?一体、何が不足していたのか?さすがにGWが終わった後、猛省して考えた。

 

そして悟ったのだが、僕はたぶん、「授業してないと救われない人間」なのだ。今日は完全な独り言だけど、そんな話を書いておく。

 

 

GWにできなかったこと。

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このGWにいろんな手を尽くしたとさっき書いたが、実はどうしても準備できなかった時間がある。それは【アウトプット】だ。

 

もちろん数学の問題集を解いたり、こうしてブログを書いたりと、ある種のその時間は作っていたが、それでは不十分だった。

 

もっとリアルタイムなやり取りが求められて、その間他のことを考えられないくらいの集中を求められて、かつ誰かの役に立つと実感できる時間。

 

「あれ?それってつまり授業じゃない?」

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そう。我ながら不思議なのだが、長期休暇でガンガン体調が悪くなっていった理由は非常にシンプルだった。

 

授業をしてないからである。

 

この記事をこっそり書いている今日は割と暇で、出社してから3時間以上、授業をすることがない。その間、心の底からいろんなネガティブが湧いてきて、超しんどい

 

もう30分くらいしたら今日最初の授業があるが、それに関して【早く来い】とさえ考えている。

 

なぜか?授業をしている間は、ネガティブは全く姿を現さず、”いま”に強烈に集中できるからだ。

 

これこそが僕が言う「救われる」という感覚である。人々が神にすがるのと同じ温度で、僕は【没頭】できる時間を崇めている。

 

実は何も、【授業】そのもの100%じゃなきゃダメなんてことはない。例えば友人と酒を飲んではしゃぐ。あの時間でも僕は救われる。

 

今に集中し、誰かとのつながりを感じ、過去も未来もその間は忘れ去る。これは一人きりだと、僕の場合はなかなか難しいらしい。

 

ロクに会話もせず、家からも出ず、やることも決まりきった時間。GWはそんな期間であり、だからこそ今年は過去イチで辛かったのだ。

 

さて。

 

授業が好きだとか、子供と接するのが楽しいとか、使命感だとか、教職をどんな形であれ志す人は、結構キラキラした思いを胸に、努力する人が多い

 

しかし今回のくそ暇GWを通じてよくわかった。

 

僕は僕が救われたいがため、ずっと働いてたい、ずっと授業していたいということなのだろう。

 

モチベーションが誰よりも漆黒。これってどうなのだろう?良いか悪いか、果たして判断付けられるのだろうか?

 

繰り返すが、暇は僕にとって遅効性の毒だ。浸れば浸るほど、じわじわと心が弱っていく。

 

堀江貴文氏や見城徹氏も著書の中で書いていたが、【隙間があると死の恐怖を覚えるから、忙しくしてそれを消している】という考えに通じてそうである。

tomuraiman.com

 

うーむ、字面だけなら僕は完全に病気になりかけているな・・・。まぁ実際、暇なのを度外視しても、このGWには心にメガトンパンチが二発飛んできたからしゃーないな。

 

もっと没頭できる術を考えておいた方がよさそうだ。だが今は、授業以外何も閃かない。それが良いのか、悪いのか。

 

自分が持つ能力の中で、得意なもの寄りで、それを使って人に貢献しつつも自分が没頭できる要素を内包している。うむ、やはり他には閃かない!

 

「僕は授業しないと救われない人間。」

 

それを胸に、今からちょいと救われてくるとします。では今日はこの辺で。

 

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