参考書は一冊に絞れ!とよく言われる。それを素直に信じていたので、大学受験時は本当に1科目1種類の参考書しか使っていなかった。
実際その信奉は未だに根強く、何なら『参考書を複数持つとか不合格フラグw』みたいな風潮さえ感じるほどである。本当のところはどうなんでしょうねー。
はい。こっから先は私見だが、ある目線を持っているならという但し書き付きだが、多分参考書は2冊以上持っていても良い。
今日はそんな小ネタをば。
その目線とは、『この単元(問題)を人に教えるにはどうしようか?』というものである。
実際僕の勤める校舎にも参考書がたくさん置かれており、よりよい指導法のアイデアは無いかと、1つの単元について複数の参考書を使うことはままある。
こないだもしっくりくる現在完了形の説明を求めて、大学受験参考書を読み、英会話の本を読み、自分の過去の板書を見て、やっとちょっと形になったほどだ。
ちょっと考えれば当然なのだが、とある一人の講師が全てにおいて100点満点の説明が書けるかといえば非常に眉唾モノだ。
流暢性の罠をスルーして考えれば、参考書が200ページくらいあったとして、30ページ分くらいは消化不良になっているケース、意外と多いと思う。
かくいう僕自身も、愛用していた参考書の中にも、『どうしてもわからんから覚えちゃえ』と丸呑みした部分はいくつもある。
ーそういった疑念を解消するため、一つのテーマに対し複数のソースを当たることは、全く問題ないハズだ。
あっちの参考書は不定詞がわかりやすいけど仮定法がわかりにくいから、それは別ので補いましょう。そんな使い方をしても、バチは絶対に当たらない。
というか何なら、ネットでカタカタと調べてもいい。情報を選りすぐるスキルは必要だが、これもまた学習である。
ちなみに、1つのテーマに対し様々な目線・刺激で学習を深めることは、マルチモーダル学習といって、非常に効果的かつ上級者向けの学習方法である。
勉強ができるヤツほど、やり込んだ参考書は複数あるかもしれない。互いが互いを補い合って、より完璧な知識をつけるには、ソースは1つじゃない方がよさげ。
ただ、これもまた性格だ。
僕は非常な飽き性なのでわきゃないが、自分が使っているテキストに疑問を投げることは、失礼とか自己否定みたいに思ってしまう敏感な生徒はたまにいる。
自分に合う方はどちらか?そこの直感や適性は無理せず、僕の記事も『参考』程度に受け止めてほしい。
では今日はこの辺で。