『カリスマ講師!!』というと、その人自身もとてつもない能力を持っているようなイメージを抱く。
実際、『英検1級、TOEIC満点、試行調査100点、素点8割』なんてのが並ぶと、凄まじく箔がつくのも納得である。では、僕自身はどうか?
ぶっちゃけセンターの過去問を1年分も解けば、知らん文法や発音、ミスがちょこちょこ出て、満点は3~4年に一回だし、共通テストの長文も同じようなモノだ。
つまり、世間一般の理想像としてのカリスマ講師とは程遠い、というのが僕なのである。
(1級取っときながらダサいなぁおいw)
まあ正直、そう思っていた時期が僕にもちゃんとありました。今はむしろ、満点を取るほどのスペックじゃなくて良かったと考えている程だ。
今日はそんなお話である。
その理由はシンプル。ストレスと無縁になれるからだ。
超絶勉強ができる人は他にもごまんといるんだから、『すごい実績がある!ついて行こう!』というタイプの人の集客と指導は、彼ら彼女らに頑張ってもらえばいい。
というか、満点を取り続ける努力はストレスでハゲ散らかすくらい大変そうなのに、僕が勤める塾のエリアでは、多分そういう人は『嫌味』と取られて全くウケない。
僕は僕の身の丈にあった、適正にかなった、そして顧客層にマッチした指導に特化しないと、このオープンイノベーションが劇的に進む世界では淘汰されて終わるのだ。
・・・そもそもだが、問題を解いて100点を取ることと、生徒に80点を取らせることはまるで別物である。
優れた成績を残した選手が引退後に監督を務めても、同じように輝かしい経歴を残せるかどうかは違う話なのと同じ。
やはり"講師"という立場において、『自分が満点を取る必要』ってのはさらさらない。
というか、いちいち講師にテストを吹っ掛けて『満点じゃないんですねw』というイヤな性格のヤツは、ほぼいないのでご安心を。(いたら面倒なヤツとしてスルーしましょう)
はい。そろそろ話を纏めます。
『講師』とは生徒の力を伸ばすことが一番の仕事であり、自分の力量はそう考えれば二の次、三の次なのである。
もちろんそもそも苦手な科目や実力以上のことを教えるのは不可能なので、ある程度の地力は必要だと思うが、だからといって満点はやり過ぎだ。
また、そういう完璧タイプを嫌う層もいる。そしてそれは少なくない。こういう広い目線も持っておこう。
だから僕はたまに、生徒に演習をさせたいときに僕の苦手科目で勝負を吹っ掛けて、勝ったり負けたりという機会を2ヶ月に1回くらい作って遊んでいる。
努める塾の理念によってはこんなことは始末書レベルかもしれないが、少なくとも生徒との距離は縮まるし、何なら『抜けもあるんだ』と安心してくれる感もある。
・・・それでも、どうしても『箔がほちぃよう』と悩むあなたに、1つだけアドバイス。
センターとかの点数はいくらでも詐称できるので、実はブランドとしては弱いですヨ。
どうせならオフィシャルな資格試験を受けて、賞状や証明カードを貰って携帯する方が良いです。(認知度が高いのは漢検と英検)
また、超鋭い保護者は『今はどれくらいなんですか?』と過去の経歴を全剥がしというケースもあるので、あまり肩書に寄りかからないという距離感も大事かなと。
例えば『TOEIC満点が居る校舎!』という触れ込みで売り出したとして、その指導がヘタクソだったら、それらは一気に悪評へと変わる。
その辺りのリスクも考慮したい。
ぶっちゃけ変だと感じている価値観に一石を投じられていれば嬉しい。では今日はこの辺で。