精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【同業者向け】僕がずっと「引き際」を意識している理由。

僕は今現在31歳なのだが、講師(つまり生徒の前に立ってガンガン教えるポジション)業からは、35歳を目途に引退することをずっと誓って、最近は生徒に宣言さえしている。

 

現実的かどうかはさておき、「引き際」というのは常日頃から折に触れて、ぼんやりと考えることがクセになっている。あと何年働けるかに関して、僕は割と悲観的だ。

 

そういう風に「講師としての人生」にケリをつけることは決めているのだが、「なんで?」と尋ねられたら、たぶん割としどろもどろになる。

 

実はまだ、自問自答が完了していないからだ。だから今日は脳内整理の色が普段より濃くなるけど、僕が引き際を意識している理由について、まとめたいと思う。

 

なんとなく一生、教えることを生業にして生きられるだろう・・と思っている方には、なかなかパンチの効いたことを書くかもしれない。ま、以下本題である。

 

 

カリスマ以外、教えること一本では食えない。

 

いわゆる「カリスマ」とされる講師の授業をたまに動画で観るのだが、あの人たちの巧さとわかり易さは、やはり別格だ。

 

天賦の才と、指導に対する情熱、そして熾烈な競争に勝ち続けてきた年月。その全てが抜群だからこそ到達できる世界。心の底から尊敬し、憧れてしまう。

 

ただ同時に、悟るところもある。それは、そこまでたどり着いて初めて、教えることを生業にしてメシを食えるのだということだ。

 

プロ野球選手になれば莫大な年俸を貰えるが、甲子園に出場しただけでは「すごいね」で終わるように、何か明確な線引きがそこにあるように思えてならない。

 

そして僕自身受け入れていることでもあるのだが、ここからどれだけ頑張っても、僕はカリスマには絶対になれない教えることだけじゃ、メシは食えないのだ。

 

もちろんまだ、自分の能力が少しずつ成長し続けているという実感もあるし、あと数年くらいは力が落ちてくることは無いと思うが、限界は近くにあるとも感じている。

 

加えて、割と致命傷なのだが、僕自身そこに執着する気持ちも全くない。明日からマネジメントに集中してと言われたら、即全ての授業から引退することも多分できる。

 

教えることは楽しいのだが、楽しいだけでは稼げない。そして、稼げなければ生きられない。お金の問題から目を反らすと、待っているのは奈落の底かもしれないのだ。

 

僕より才能と情熱を持った人間は、そこかしこに絶対存在する。その人達を発掘し、ガンガン任せていくのが、僕の引退後の仕事だと、今は考えている。

 

年を取れば、人気は取れない。

 

最近、鏡を見る度に驚く。自分がどんどんおじさんになっているからだ。20代の自分の写真と見比べても、はっきりと「老けたな」という印象を抱いてしまう。

 

そしてそれは、対生徒・対保護者との関係性にも変化をもたらしてきた。具体的には、「お兄さんポジ」で生徒に接することが、難しくなってきたのだ。

 

どちらかと言えば、「嫌われてでも秩序を維持する人」という立ち位置になりつつあり、ウケを狙ったネタがスベって、説教がやたら響くようになったのを感じている。

 

若い頃はこの逆であり、やたら親しまれるけど制御が難しいのが悩みだった。今は先述の通り、制御はできるけど親しまれなくなっている、という具合だ。

 

特に女子高生からの評価が全体的に下がり始めており、そこは精神的にちょっと凹んだのを認める。もう僕は、人気の面では大学生講師に完敗だ。

 

となれば、もう教えることについて、僕が前線に出る意味はあまり無い。イヤな例えだが、三十路になったら、アイドルグループのフロントには立てないのと似ている。

 

若い講師が存分に人気を取れるよう、毛嫌いされる説教とか注意とか指導とか、その辺を僕が担うところになってきたかと、それこそオッサンみたいな悟りを得つつある

 

辛いかもしれないが、職場は孤独を癒す場ではないと割り切って、自分の仕事の解釈を変えていこうと考えている。

 

一人だけの力で頑張っても、大したことはできない。

僕は引き際を意識するようになった最たる理由は、【人生の勝算】にあったエピソードで、花形たる人が、「一人でできる限界を悟った」くだりを読んだことである。

 

そのときは「そんなもんかな」程度に考えるに留まり、実際どうなのかを確認したいと思って、その年の夏季講習は自分を殺す勢いでコマを入れまくって働いた。

 

―そして冷静に売り上げを計算して、利益額を出してみると・・・。僕はその”少なさ”にガックリきてしまった。そして同時に悟った。「俺だけの力は所詮こんなものか」と。

 

「自分一人がバリバリやっても、この程度しか稼げない。しかしチームでバリバリやれば、その何倍・何十倍も結果を出すことができるのでは?」

 

そんなことを感じた結果、自分のチームを欲するようになったのはこの頃からである。まぁそこから、人詰まりの壁に苦しんで2年半以上停滞することになるのだが・・。

 

僕は”みんなの力で”校舎を面白くしたいし、楽しく仕事したいし、結果大きな成果を叩き出してみんなで喜びたいのだ。

 

そのためには、僕はプレイヤーである必要は無く、むしろとっととその場所から引いて、長にならねば、と思う。

 

長が一番強いとか能力が高いなんてのは、ゲームや漫画の世界の話だ。僕より教えるのが上手で、僕より人気を取る人に、現場で活躍してほしい。

 

「俺はマネージャーとしてもプレイヤーとしても優秀だぜ!」・・・なんて幻想をハナから持っていないのは、僕の最たる強みなのかもしれない。

 

終わりに:僕が創りたいチームとは。

 

僕が創りたいチームとは何か。こんなもん一言で言えるわけが無いのだが、シンプルな心掛けは決めている。

 

それは、「部下としてされたくなかったことをしない。そして、してほしかったことをする。」以上である。

 

所在があいまいな責任。巧妙なハシゴ外し。期限当日の仕事の丸投げ。指示の齟齬。色々食らったからといって、同じ苦しみを与える上司なんてのはクソだと僕は思う。

 

基本のスタンスなんてのは、小難しいことは考えず、まずはここから始めるくらいで良いんじゃなかろうか。それくらいラフに構えておこうと思う。

 

―とにもかくにも、僕が創りたいチームにおいては、僕はもう講師である必要はない。もちろん徹底的に授業を避ける気も無いが、率先して前に出る気も無い。

 

そういう日を頭に描きつつ、意識的に生々しい部分にも目を向けながら、引退の時を笑って迎えられるよう、今日も勉強を続けている。

 

じゃ、今日はこの辺で。

 

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