精神年齢9歳講師のブログ

精神年齢が低いまま塾講師になっちゃったからこそ見える教育とか勉強とかをつらつらと。

【ルーティン日記⑧】塾講師が受験生最後の仕上げに全力で乗っかる週のBLOG

今週末、いよいよ共通テストが始まっていく。ぶっちゃけ緊急事態宣言が出たときは、一部とはいえひやりとしたが、【十分な対策の上】実施するそうである。

www.dnc.ac.jp

 

つまり、高校3年生にとっては、不安と疑念を程度はどうあれ抱えたまま、初の【共通テスト】という勝負どころが今週末に迫っているのだ。

 

その緊張感と焦りは割と講師にも伝播する。油断していると体力も精神力もごっそり持っていかれる。

 

こういう時はサイコパシーを意識するより、【共闘】している感覚の方が大事だと考えているので、思い切りこの勝負所に浸るとしよう。

  

今週はそんな日々をつづってみる。

 

 

1月12日(火) ―予想問題はマジピンキリ―

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今日も始業予定より2時間前倒しで出社し、高3に共通テスト対策を実施していた。詳しくは言えないが、今回使用した予想問題にはマジで頭を抱えた。

 

納得できない解答。理不尽な難易度。2つある答え。下手すればセンターの追試並みである。これ、ちゃんと会議重ねたか?正直疑問に思うほどであった。

 

もちろん、簡単すぎれば作成した教材会社の沽券に関わるため、容赦しないケースはままある。しかし、やりすぎってのもどうかなぁ。平均点50点ないんじゃない?

 

これまた【共通テスト初年度】の弊害である。皆が手探りだから、たまにこういうのも出ちゃうんだろうな、と。

 

2回分しかない試行調査を基に問題を作るのも大変だろう。僕が言うべきは不満ではなく同情なのかもしれない。

 

まぁ、いいや。今日はこんな感じで非常に頭を使ってクラクラなので、晩飯は豪華にするとしよう。そうしよう。

 

1月13日(水) ―マンネリズムが嫌いなので―

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こないだ、こんな記事を見つけた。

yuchrszk.blogspot.com

 

簡単に言えば、より強い記憶のためには、『説明ではなく物語としてテーマを語るといいよ!』というものである。うむ、よくわからない。

 

もっと言えば、教科書よりも歴史漫画の方が定着するのは、ちゃんとストーリーがあってキャラクターがいるから、という話なのだろう。

 

それを考えると、ふと↓の動画が頭に浮かんできた。僕が最近ハマっているシリーズだ。

www.youtube.com

 

非常にわかり易いのはもちろんだが、絶対に教科書にかかれないであろう醜聞まで添えられているため、非常に親近感があってわかりやすく、頭に残る。

 

―こういう授業って、試す価値ありそうやな。だから、今日は中世ヨーロッパをテーマに、偉人の画像をプリントアウトし、黒板に貼りまくりながら説明を展開した。

 

 結果は、普段より頷きの回数が多かったり、展開がし易かったりと、上々であった。一つだけデメリットを言うなら、予習の労力が爆増したことくらい、かな。

 

うーむ、自分の社会の授業はマンネリズムだと思っていたので、こういう風にゴチャゴチャする単元限定ででも、継続してみよっかなぁ。 

 

1月14日(木) ―褒めることも褒められることも苦手なんですよね―

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別に教室が崩壊しているわけではないが、時折思い出したように『学級崩壊』から立て直した人の書いた本をザッピングしてる。

 

とにかく書いてあるセリフで多いのは、『とにかく褒めて傷ついた自尊心を取り戻す』というフレーズだ。理屈には同意するが、実行は簡単ではない。


―僕は褒めることが非常に苦手である。その理由は簡単で、褒められることがそもそも苦手なため、どうしても取ってつけたような褒め方になってしまうからだ。

 

いうなれば、全力で演技の色が出てしまう。嘘くさい『褒め』など詐欺の始まりである。

 

僕はかつて、努力して成果が出なくても、それを不十分と捉えることである程度成長ができた。

 

今は別に、誰から褒められずとも自分を認めることができるマインドセットが整った。だからこそ、僕の人生には『褒め』が足りない。足りないものは与えられない。

 

嘘くさくても『褒める』べきなのだろうか?それとも、もっと僕なりの方法を模索した方が良いのだろうか?なかなか難しく、すぐすぐにはわからない。 

 

僕は褒められるより認められる方がいいんじゃねーかなとは思うんだけど、どっちなんでしょうかね。

 

人間心理、もう少し勉強を頑張りましょう、だな。

 

1月15日(金) ―本屋で抱く敗北感―

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今日は新しい手帳を買いに本屋に行ったのだが、何故か新刊コーナー等を見ていると、居心地が非常に悪いことに気付いた。

 

その原因はおそらく、僕が立ち寄った本棚に並んでいた書物に、でかでかと書かれていたタイトルたちだ。

 

『医学部生が教える~』『マサチューセッツ式~』『東大生が~』といった、雲の上の存在が書き表した本の数々。

 

開いたらそこには、『まずは才能を持って生まれましょう。話はそれからだ』とでも書いてありそうなくらい、圧倒的な実績と肩書。

 

それらから全て、『格上の俺らが格下のお前らに教えてやる』という雰囲気が放出されているような感覚。被害妄想が入院のレベルに達している。

 

しかし冷静に考えれば、別に彼ら彼女らは、読者に喧嘩を売っているわけじゃないことなど、すぐにわかるじゃないか、僕よ。

 

例えば野球を習うならプロ野球選手が良いように、勉強ができるようになりたいならそのプロに学ぶのが一番信頼できるという、シンプルにその類の話なのだ。

 

勉強のプロとは、厳しい競争に勝ち抜いた者たち。それこそが東大生であり、医学部生であり、有名企業に勤めるエリートサラリーマンなのだ。

 

ただ勉強が得意と吹聴するヤツより、『東大生です』と一言言われる方が、圧倒的にブランドが上だ。だから本にもそう書く。うむ、至極当然の話である。

 

そもそも勉強などの努力とは、当事者比で自己ベストを更新するために行うものであり、その一助として東大生や医学部生のノウハウを使うというただの手段なのだ。

 

東大生が使う勉強法を使えば東大に行ける。んなバカな話はあり得ないことなど、小学生でもわかるわけで。

 

ただし、東大生が使う勉強法を使えば、今の自分よりは成長できるというくらい割り切れる人は、どれくらいいるんだろう。少なくとも僕は、意識しないと未だに出来ない。

 

―こんなことをドライブ中にずっと脳内問答していた。ここだけ切り取ったら僕はもうどうしようもない病を抱えているとしか思われないだろうな。

 

実際生徒の自学ノートに、『私の塾の先生は心に闇を抱えています』と書かれたこともある。その横に描かれた僕の似顔絵は、朗らかに笑っていた。

 

闇、もう少し上手に扱えるようになろう。せめて、無意識に発散しないようには、しよう。

 

だから抱えた闇はここに書いて葬ることにする。今度こそ、敗北感を抱かずに本と向き合えることを願いながら。

 

1月16日(土) ―妙なところでサイコパシー―

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僕のSNSには塾の関係者が結構登録されているのだが、昨日今日と非常に胃が痛そうな投稿が目立った。

 

というのも、今日は共通テスト1日目。人生の大一番を手探り状態の中、コロナ禍で迎える教え子に対し、色々な感情が乗っているのだろう。

 

あいつは大丈夫かな?変わってあげられるなら変わってあげたい。思えば思うほど涙が出そうになる・・・・・。

 

確かにそう思っているのだろう。文面からも温かさが伝わる。この塾には実際、かなり強いつながりを持つファンも多いのだ。

 

そして考えさせられる。このように徹底した入れ込み、自分には無理だな、と。

 

別に、本番になれば知らんぷりという責任放棄・クソ人間的思考から来ているのではない。僕は自分にコントロールできないことを考えないようにしているだけだ。

 

例えば、大学受験に挑む生徒が気掛かりじゃないのかと言われれば、当然そんなことは無い。しかし、僕が延々とそればかり気にしても、生徒たちの点は微動だにしない。

 

むしろ、どうにもならないことに気を取られ過ぎて、担当している授業に支障が出る方が怖い。そうなれば、損する人間ばかりで、誰も得をすることが無い。

 

・・・一応弁明させてください。入社3年目までは、確かにかなり入れ込んで、生徒以上に胃袋をキリキリと痛めながら当日を迎え、一喜一憂しましたよ。

 

しかし実は、それが祟って少し身体を壊したり、授業スケジュールのミスをしてカミナリ落とされたりと、色々本末転倒なことになったんすよね。

 

そしてふと内省したとき、『あれ?心配を延々とするって、あいつらの努力の否定になっちゃってない?俺、信じてないってことか?』というのに気付いた。

 

これはこれで大変失礼だ。だから僕はそれから、彼らを信頼しているサインとして、気に病むことを止めた。

 

もちろん、僕が思い悩み続ければ、その念が天に届き、教え子の点数がアップするなら胃袋が裂けるまで悩み倒してやる。だが、現実ってやつは、全くそんなことない。

 

コントロールできないことを悩まない。これもまた信頼の一形態。そう言い聞かせ、僕は今、中学受験対策の授業作成に取り組んでいる。

 

するべきことを見つめ、自分ができることに注力し、貢献する。受験シーズンはまだ、序曲なのである。

 

1月17日(日) ―最後はどうしても手探り―

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相も変わらず【コミュニティ論】をずっと勉強している。【コミュニティ論】とだけ書いたノートに、色んな本やインタビューに載っていた情報をくっつける日々。

 

無限にメモリーツリーを展開するようなもので、重複があれば統合し、具体的な手を閃いたら書き添えておく。これをずっと繰り返している。

 

―だが、ここで学べることの限界は『普遍的なモノ』までである。そこから先、例えば私塾におけるそれとなれば、僕が手探りで知見を得て、修整していくしかない。

 

アドバイスは大量に得た。しかしその知識のネットワークから『具体的施策』を取り出し、形にしていくのは、僕でなければ無理だ。

 

そろそろ踏ん切りのときかもな。カッコよく言えば、巣という安全な場所で、大空に関する勉強を積み続けたひな鳥のようなものだ。

 

しかし本当にそうなのか、他に世界は無いのかを知るためには、そこから飛び出して手探りし続けねばならない。

 

勉強は楽しいが、そればかりに執着すると、体験が不足する。知識をひけらかしウンチクを語るだけの人間は、インターネットという集合知に絶対勝てない。

 

既知から経験値へ。今日はちょっと暇だから、アイデアをいっちょ考えてみようかな。

 

―ってことで今週はこの辺で。

 

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