生徒に対して何かしらの行動を促すとき、僕は最近それが『なめらか』かどうかをよく考えている。
『なめらか』というのはコミュニティ論を勉強する中で何度も出てくる言葉なのだが、要するに『目的に対しストレスフリー』みたいな文脈だと考えている。
例えば、宿題をやってこない生徒がいるとする。大抵それは生徒の怠惰を攻める前に、色んな事情を想像した方が解決に近づく。
家をそもそも勉強の場と考えていないとか、机が非常に汚くて広げられないとか、ノートと参考書を取り出して並べるのが億劫だ、とか。
そこを『うるせぇ黙ってやりやがれぇ!』で押し通すことも出来なくもないが、それは信頼を全てかなぐり捨てて打つ、文字通り最後の手段だ。
持続的なコミュニティ作りに、【強制】はやっぱり相容れない。常識を疑ってみると、果たして何が見えてくるんだろう。
ってことで今日は、僕の脳内独り言を書き留める記事とします。
『目的』を見つめるとわかること。
『宿題をしてこない』とはよく言われるものの、『宿題しろ!』と言ってもなかなかその問題は解決しない訳で。
ここでは、『宿題』の目的について考えてみる。恐らく一番のそれは、『家庭での学習時間の確保』というより、『学習時間を強制的に増やすこと』ではなかろうか?
家で勉強することとは、そもそも学習時間を増やすためのものであり、どちらかと言えば手段のハズ。まあ確かに、勉強時間が増えれば成績はシンプルに上がる。
となれば、家で学習してくる『宿題』というシステムに固執する必要って何なのだろうか?単に時間を増やしたいのなら、声掛けの仕方はいくらでもあるはずだ。
ということで少し考えてみると、これから検証したいアイデアが3つほど浮かんできた。
①15分早く来て課題をするのを許可する
→家で勉強せねばならないとはあまり考えてないので
②家で勉強せざるを得ないような課題を次回授業時に課す
→暗唱テスト、漢字テスト、歴史語句テストなど
③生徒ごとに課題の内容・形式を変える
→多少なりとも有意義と思ってもらうため
こうすれば、『宿題セぇコラ!』と言わずとも、『学習時間を延ばす』『家で勉強する』といった目的の達成に繋がりそうだ。ま、机上の空論ですけど。
ってことで今週はこれを試し打ちして、また記事にしたいと思います。
それでも人はなぜ根性論に頼ってしまうのか?
とはいえ僕も、油断すれば『ええからやってきやがれ!!』で片付けたくなるときはある。それはなぜか?簡単だ。
課す側からすれば非常に楽だからだ。『うるせぇ従え。以上!』―わざわざ論理的に説く手間もなく命令に従わせる。王権神授説みたいな話だ。
しかし今や、学校の外も他所の塾の内部も、SNS等を通じて筒抜けになっている世の中だ。他のところに魅力を見つければ、そういった強権的なところから人は離れる。
自分が楽をすれば半端ではないデメリットが待っている。ある意味、階級に胡坐をかいてきた人間が損する時代になったってことで歓迎すべきことだと言えるけど・・。
これからもこういう『目的を見つめる』ってのは、意識して行っていきたいものですな。
では今日はこの辺で。