精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【小ネタ】教えてるとよく思うけど、やはりわからなかった頃には絶対に戻れない。

『生徒に寄り添った指導を行います!』というのがキャッチコピーの広告をよく見かけるが、それってつまりどういうことなのだろうか。

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『わかるまで教えます』『生徒がやりたいカリキュラムで行います』という意味だとしたらそれは当然の話だと思うので、何か違うメッセージが別に乗っているのだろう。

 

だからちょっと考察して遊んでみようっと。

 

・・・ここからは完全な仮説で持論を述べてので、わけわかんないこと言ってんなぁと思われるだろうが、一つの考え方と言うことでそのまま書いておこうと思う。

 

 

生徒に寄り添った指導というのは、間違いなく心理的なものだ。ちなみに物理的に寄り添ったら、それは犯罪。

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では、心理的に寄り添うってどういうことだろうか?生徒の気持ちを理解し、声掛けを工夫するというメンタルケアの話だろうか。

 

―となれば、それは非常に難しい話である。もしそれが再現性を持って常にできる講師がいるのなら、間違いなく特殊能力レベルのエリートだ。

 

何故かというと、ある単元を修得してしまえば、『それがわからなかった頃の自分の考え方・感じ方に戻ることは絶対不可能だから』である。

 

例えば、自分の身長が今より10㎝低かったころ、世界がどう見えていたか思い出すことはできるだろうか?多分無理じゃないかなと思う。

 

同様に、傲慢に聞こえるかもしれないが、『わからなかった頃を思い出せば生徒の気持ちに寄り添える!』というのも、実は何言ってるか不明という話なのだ。

 

『自分が小学生だった頃を思い出せば、彼らにどんな世界が見えているか想像できるようね!?』と説くのに等しい。なんかこう、ジレンマ。

 

ではどうすればいいのか?これについては、似た経験をして近似値を維持することしかないのでは、と感じる。

 

例えば僕は今、ミクロ経済学を勉強し直しているのだが、ぶっちゃけ3割くらいしか即座には理解できない

 

このもどかしさ、口惜しさ、何がわかればわかるのかすらわからないカオス。多分これが、僕が昔勉強にもがき苦しんでいた感覚の近似値である。

 

これを応用すれば、『多分内心こんな感じなんだろうなぁ』という精度が高い仮説を立てることができ、ただ闇雲に『寄り添う』よりマシな接し方ができるというわけで。

 

ってことで今日は短編だけど、何かモノを『わからせる』ことが仕事であるのなら、『わからない感覚』をできるだけ意識して生んどいた方が良さげという話でした。

 

では今日はこの辺で。

 

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