「好きこそものの上手なれ」という言葉がある。自分が好きで、やっていて楽しいことは、誰よりも長く、そして早く深く成長していくという意味だと思う。
実際、一部の人を除き、あらゆるスポーツなどでプロになった人たちは全員、そもそもその競技を愛している。
愛しているからこそ、他の人から見たら意味不明な量の研鑽を積めるし、苦行としか思えないほどの修練を重ねられるのだと考えている。
これを理由として、例えば勉強も好きになれば爆発的に伸びるという人もいる。それについては、その通りだと思う。僕にも原体験はあるからだ。
しかしながら、「好き」という感情は、狙って起こすことなどできないと、僕は考えている。あくまで内発的動機だし、そもそも偶然の産物という意味合いが強いためだ。
だからもっと別の側面から、「好きこそものの上手なれ」という言葉を見つめてみたい。つまり、「なんで好きだと上手になるのが早いのか?」
今日はそういう話である。
全ての道はローマに通ず。
好きというのは、堅苦しい言い方をすれば、特定の対象に強い興味を抱いている状態だと思う。思春期の実らない片思いを例に取るとわかりやすい。
あの子の仕草や言葉遣いは、自分に対してどういうメタを持っているのか。また、自分を魅力的に見せるための方法や心掛けは何があるのか。
そこを起点として、膨大な問いや仮説が生まれる。しかも全てが強い興味を抱いた対象の理解に繋がるため、検証したくて仕方がなくなるのではなかろうか。
そうすれば、また新たな仮説が生まれ、その検証と観察に繋がっていく。成長に必要なサイクルが、超高速で、熱量を伴い、回っていくことになる。
僕が思うに、「好きこそものの上手なれ」の正体は、このサイクルではなかろうか。実験と検証と仮説立てを何重にも行えば、能力が伸びまくるのも自然な話だ。
「好き」であれば、これが自然に発生し、無意識下で回っていく。ならば逆に、これを意識的に行えば、別に対象が好きでなくても、近似値にはたどり着けるのではないか。
それによって能力が伸びれば、純粋に楽しい。近似ではなく本心から「好き」が生まれるきっかけになるかもしれない。
続いてはその方法について、少し考えてみたい。
「自分の中の9歳児の声に耳を貸す」
近似値を出すために必要なのは、好奇心だと思う。自分が知らないことについて興味を持ち、それを知ろうとする感情のことだ。
「自分には好奇心が無い」という人がいるかもしれないが、それは「自分には感情が無い」と言っているのに等しい。なんか厨二感が出てしまう。
正確には、センサーが鈍っているか、似た別の感情に置き換えられているか、だ。そしてその似た別の感情とは、不安である。
不安とは、自分が知らないこと、わからないことについて恐怖を抱くことである。未知についてネガティブな反応をしてしまうことだ。まさに好奇心の反対である。
となれば、好奇心復活の第一歩として、例えば自分が不安を抱くことに意識を向けて、それについて問いを立てることから始めてみてはどうだろうか。
老後の資金繰りが不安なら、そもそも老後に対する資金調達についてどんな手段があるか調べてみたらいい。
また、好奇心が全開の人の言葉に触れてみるのもオススメだ。世の中に問いを向けるとはどういうことか、そしてそれがいかに楽しいか、本当に感化される。
オススメの本は色々あるが、やはり「ヤバい経済学」と、「ご冗談でしょう、ファインマンさん」の2冊が、特に優れて面白いと思う。
好奇心さえ鍛えておけば、対象についてさして偏愛を持たずとも、まずは成長のサイクルを始めることができる。
本心から好きで熱狂している人にはさすがに勝てないだろうが、知っておいて損は無い考え方ではないかと思う。
ということで今日はこの辺で。