『働く』の語源は、『傍(はた)をラクにする』ことから来ているのだという。ほんまかいな。だが、言い得て妙だと思う。
この世は分業で回っている。僕は勉強嫌いの子供にそれを教える役割は担えるが、日々口にするご飯を誰かに提供することはできない。
つまり自分が働くことで他の誰かの負担を取り除いているという状況を皆がすれば、社会が回ってハッピーだよねと、そういう話なんだと思う。
・・・・・・なんでこんな言い回しで始めたか?それは、激烈に自分が忙しく、一方で休める人はフツーに連休を謳歌している現状を肯定するためだよ!!!
僕は確かに誰かの時間と幸福を生むために、労力を割きまくって仕事をしているが・・・。いや、これ以上は愚痴になる。止めよう。
せっかくならば、『結果』を出すことで遠回しにサボり気味じゃね?ってレベルに休んでいる人に一泡吹かせたいではないか。
今週はそういう、あまりにも地味な反逆の記録である。
- 2月23日(火・祝) ーやるならやらねばー
- 2月24日(水) ーNo Telephoneー
- 2月25日(木) ーげんきひゃくばいー
- 2月26日(金) ーそれは結果なのだと教えるー
- 2月27日(土) ー新年度間近ー
- 2月28日(日) ー年度終了ー
2月23日(火・祝) ーやるならやらねばー
今日は祝日だが、学年末テストが近いため緊急発進。ちなみにこの分の別日休みとか無理であり、半休さえかなり厳しい。
しかも平日に忙殺されていた結果溜まっていたタスクをフルに重ねたため、もはや完全なる『出勤』である。
昨日は一応フル休みだったのだが、2時間弱実は仕事をする必要があったため、どうにも心の奥底に引っ掛かるものがある。
いかん。仕事から主体性が消え始めている。言われた仕事を処理し続けるだけとかクソ面白くも無いし、僕じゃなくてもできる。
ちょっと見つめ直さないといけないな。某大学の二次試験を生徒が解いているのを眺めながら、僕もそんな将来のことを考えていた。
2月24日(水) ーNo Telephoneー
凄くどうでもいいのだが、電話を受けるのも掛けるのも嫌いである。掛ける方は単に人見知りだからってのが6割、そして残り4割は時間がクッソ取られるからである。
受けるのが嫌いな理由は、自分の時間が猛烈に取られるためだ。特に集中モードに入れていた時の電話はマジで口惜しい。(取らなくても集中は切れる)
特にそれが、「〇〇持ってきて」といった、『LINEでもええやん』という内容だと、上司に対してもかなりキレそうになる。(実は歯ぎしり程度ならやっちゃってる。反省。)
最近その目線で考えると、すげー作業量をこなせる人ほど、電話の頻度が少ない印象がある。もちろん色眼鏡なのは承知だが、そんな傾向はある気がする。
電話は良くも悪くもその間、お互いの時間を『完全に』拘束するシステムだ。もちろん緊急事態とか喫緊で返答が欲しいとか謝罪とかの場合はそれもやむなしと思うが・・・。
『自分のこの行動は他者の時間をいたずらに奪っていないか?』
これは日々意識しておかねばならない心掛けだと思う。
ちなみに『多動力』には、発信履歴はあなたの被害者リストと書いてあった。なんかこう、ごめんなさいである。
2月25日(木) ーげんきひゃくばいー
酒を抜いた恩恵だと思うのだが、今朝の目覚めはマジ最高だった♡おかげで起床から30分後には単語チェックも読書も終わっていた。生産性が抜群だ。
この断酒ハイは僕の体質においてだけど3日目までは日々効果を増しながら続いていくので、土曜までは頑張って抜き続けたい。色んな事がマジで捗る。
体調がよくない時期が長すぎて、良いときのふり幅が良い意味でマジでかい。こらめっけもんだぜ!
しかしタチが悪いことに、今猛烈に酒が飲みたい。仕方ない。背に腹は代えられない。
今日は1000円くらいで何かしらの丼ものを、大盛りで食うとしよう。そうしよう。
2月26日(金) ーそれは結果なのだと教えるー
塾の広告を見ていて、凄く胃袋が酸っぱくなる文言がある。それは、『定期テスト400点オーバー!!』とか、すごく高い点数を結果として紹介するものだ。
もちろんそれ自身のインパクトは強いし、特に教育熱が高いご家庭であれば、それに心惹かれる点もあるだろう。”対外的”には非常にキャッチーなフレーズである。
・・・では、"対内的"にはどうだろうか?
僕は、「この数値を出さないとお前らのなど結果じゃないからな」というメタを送っているような気分になることを危惧している。
特に思春期の生徒のメンタルはデリケートだ。仮に93点を取ってきても、失った7点ばかり悔やんで責める。
そういうマインドにしてしまうと、どこかで大きく崩れる日が来る。だから僕は、『それは結果として誇っていいんだぜ』ということを、折に触れて伝えている。
その過程で、『あなたが出した結果にマウントを取る友達がもしいたら、その人は自分に自信が無いことの裏返しだから、温かく無視しておあげ』ってのさえ言う。
競争はあくまでツールである。比較は過去の自分とだけ行え。そうすれば、努力が報われたと評する場面が増えて、結果良い方へ転ぶから。
こういうメッセージを僕は生徒に伝えており、誇っていいんだという証として、プライバシーを保護しつつSNSにアップする予定。
それに対し、『その程度の伸びかよww』という声が出たら、『戦う』という覚悟も持っておく必要があるのも承知している。(そもそもそんなカスおるんかな)
『結果』と取るかどうかは、実はマインドセットが大部分を決める。前提から整えておくのは、塾講師の仕事の範疇と思うのだが、いかがだろうか。
2月27日(土) ー新年度間近ー
学習塾は3月から新年度に切り替わる。理由は簡単で、予習形態を死守するためだ。
しかし次年度は教科書改訂がごりっと控えており、特に英語科は内容的に戦々恐々である。
・・・とはいえ、心理学でも言われることなのだが、本能的に恐怖を覚える分野は単に【知らないだけ】というのが原因であることが大半だ。
実際、こないだ会議の中でこの辺をブラッシュアップする時間があった。
そしてそれが終わる頃には『あー、はいはい。つまりこういうことしときゃええってことね』とかなり冷静になれていたのだ。
勉強は動揺を鎮める。
若林正恭さんのエッセイにそう書いてあったけど、言い得て妙だなとドタバタの今、思う。
2月28日(日) ー年度終了ー
今年度を少し振り返る。例年以上に休日が少なかったのだが、不思議と辛いという感情は消えた。
これは慣れたのではなく、なんか知らないけど数値とかその辺が評価されて、自由にさせてもらえる裁量が増えたからである。
言い換えると、誰かにやれと言われて休日出社することは皆無になり、自分が必要があると思っているからそれをすることが全てになったのだ。
社畜根性に染まったと思われそうだが、命令されたそれは、例え早出でさえ相変わらず超大嫌いなので多分そういうことではないと思う。
はてさて。僕は変なところが野心家らしく、『あぁ、早く昇進したい』と、下っ端である自分を呪っていたものだ。だが、上はパンパンに詰まっており、すぐすぐには無理。
だが一昨年くらいにふと、『昇進って目的じゃなくて目標だよね』と悟ったのだ。
別に一社員だろうが、圧倒的な数値はできるし、色んなプロジェクトは回せるし、人だって集められるのだ。
昇進して、それにより肩書ができて初めてそういうことができるってことは、普段の力量だとできないも同じ。逆だ、考え方が逆なのだ。
それに気づいてからというもの、勝手に目標数値を作り、勝手に施策を打ち、時には事後報告でサーセンと言いながら、勝手に上司ごっこを楽しむようにしてみた。
するとそれに比例するように、仕事にハリが生まれてきたのだ。しかも、数値がアップするというおまけつき。
だから僕は今、逆に出世欲が消えた。『昇進させてあげるよ!』と言われても、『そっすか』程度のリアクションしか多分しない。
やることを変え続けるという基本方針は、年度が変わっても変わらないからだ。
昇進しないと権限がもらえないってのなら、職場以外でしたいことをして経験を積めばいいとはよく言われる話。
昔僕は公務員を目指した時期があるのだが、僕という個性を考えれば、それを転換してマジ正解だったなとつくづく思わされる。
まあ、ただの独り言っすけど。
では今週はこの辺で。