精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

校舎長交代まであと2ヶ月ちょい。現在胸に秘めていることを書き殴る。

凄くどうでもいい話なのだが、このブログの毎日更新は3月末で止める予定だ。そこからは本当に普遍的な気づきとか仮説を、週1くらいで書けばいいかと考えている。

 

なぜ止めるのかというと、4月からは会社の許可を取ったうえで、校舎で起きたことをネタに、実名の上で、毎日記事にして発信していきたいと思っているためだ。

 

その目的は、僕自身が目指す校舎長、ひいては学習塾の像に深く関係する。僕が(多分)校舎長という肩書を得るまで、あと2ヶ月ちょい。

 

正直言うと、明日どころか5分後に交代してもらっても構わないくらいの準備はずっと整えている。それくらい今は、前のめりなのだ。

 

ということで今日は、特に書きたいネタも閃かないし、胸の内をまた言葉にして書き殴っておくこととする。

 

 

どこよりもネタバレされた校舎を創る。

 

自分が新たに引き継いだ後、一体何を目指すのか。何十冊と本を読んだり記事を読んだりして、今のところ決めているのは、下記の二本柱である。

 

① どこよりも校舎の内情を可視化すること

 

② 目指すべき目標を明確にし、徹底すること

 

―これらはいずれも「理想」なので、永遠にゴールすることが無い。ただそれを達成するための具体的行動となれば、話は別となる。だから結局、重要なのだ。

 

特に喫緊の課題だと思っているのは、校舎の内情の可視化だ。実は僕の勤める会社にも、かつて毎日更新されていたブログがあった。

 

読み直すと、短文だが、誰がどんな思いをもって校舎を運営していたかがバシバシと伝わってくる。その当時の感情が憑依してくるかのようだ。

 

そして、その当時の生徒数が書かれていたのを見て、目玉が爆発せんばかりの衝撃を受けた。今の人数の3倍以上の生徒が在籍していたかだ。

 

もちろんブログを通じた内情の可視化の有無が、その説明全てになるというのも暴論だ。そんなことは重々承知している。しかし、それが一因だと思わずには居られない

 

その当時と今の状況を比較すると、時代が違うとかそういうのを加味しても、あまりにも淡白だという印象を持ってしまう。

 

どこにでもある、ただ勉強を教えるだけの塾。であれば、大手の名の知れたところに通えばいい。だから、競争に自然と負けていく。

 

言葉を選ばず言うが、僕は今、僕の入っている校舎を泥舟だと考えている。それを危惧して色んな手を打ったが、それでも怒られまくって、もう萎えた。

 

今は部下としての仕事に、あくまで忠実に徹して、切り替わり次第、僕は僕の考える施策に着手しようと考えている。とりあえず現在は、熟成すべき折だと独り言つ。

 

・・・ちなみに、今勤めてる校舎には、さして目標も無い。正確に言えば、個々人が作った目標はあるのだが、それがほぼ可視化されていない。つまり形骸化している。

 

大学生講師が在籍しつつも、「生徒の成績あげてね」というただそれだけのために授業をしてもらい、そして帰るだけ。僕はここも、ずっと不毛だと感じていた。

 

ちょっと内心の暴露になるが、僕は例えば月ごとの目標を壁に貼ってほしかった。達成したしないに、一喜一憂したかった。団結するためのイベントをしたかった

 

楽しいと思う校舎のためにアイデアを募って、皆で運営するという手応えが欲しかった。生徒数が目標に届いたら、パーティーの1つでも開きたかった。

 

その全てを鼻で笑われて、肩書が無いことを根拠として「勝手なことをするな」と手綱を絞められて。

 

だから僕は、3年以上の日々を、”耐えてきた”と解釈している。楽しかったという記憶もあるが、実はずっと鬱屈している部分も感じてきた。

 

―余談だが、今回僕が昇進することになったのは、完全なる棚ボタだ。社員が一人、独立することになったためである。

 

裏を返せば、それが無ければ僕は次年度も裁量なきままで据え置かれたということである。その雰囲気は、薄々感じていた。

 

それゆえ、その人が独立を宣言してなくても、僕は責任者辞退&再来年度の独立を告げるつもりだっわけで。

 

だからこそ過去の記事で何度か、この昇進話を「肩透かし」と書いていたわけだ。嬉しさとか安堵とか、そういう感情はいずれも伴ってこない。

 

強いて言えば悲愴感が強めで、不安は若干、興奮も同程度、というところだろうか。ただもう、任命されたからには、その肩書に求められる任務を全うするだけである。

 

―だが実は、僕は僕の中で引き際も考えている、とは何度か書いた。35歳だ。35歳で僕は、自分がバリバリで授業をするという体制からは引退する

 

そこから先はまだ言葉にできていないが、僕が創りたいのは校舎というよりコミュニティであり、そのためには、肩書に拘ることなど邪魔だという感覚があるためである。

 

ではさらにそのためには、後任を育てる必要があるし、後任なんて立派な存在を頂くには、まず僕が結果を出す必要がある。結果を出すためには・・最初の話にループする。

 

つまり胸中を書き並べたところで、ぐちゃぐちゃであることがただ可視化されたに過ぎないのだが、3か月後とかにこれを見て、自分が「青いな」とほほ笑んでいてほしい。

 

今はただそれを願い続ける。

 

ということで、今日はこの辺で。

 

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