寝る前にR-1と焼き芋を食うようにしたら、睡眠の深さが猛烈に深くなって感動してます。中元です。
さてさて。昨日ふと見た光景で、印象的なものがあった。
件のADHDの生徒だが、結構"うっかり"ルール的なことを破ってしまうことがある。例えば教室内飲食。多くの塾と同じく、ウチもそれは禁じている。
おそらく何の気なしなのだろうが、昨日かなり普通に教室内でジュースを飲んでいたという。それに対し、一緒に入っている先生がズドカンと雷を落としたそうだ。
・・・そういうやり取りがあったという前提で聞いて欲しいのだが、2限目の終了後、その生徒が再び教室内でジュースを飲んでいた。
しかもすごく誇張した動作で、思い切り僕を見ていた。『カミナリ、落としてみろよ』とでも言いたげな目だったのを覚えている。
・・・先ほどのカミナリは全く効いていなかったんだろうな・・・。もしかしたら『バラエティ番組のやり取り』みたく、『オイシイ』とでも思ったのだろうか。
実は教育的指導が通じにくいという事例は、ADHDについて調べるとほぼ必ず付随するテーマでもある。
せっかくなので、じっくりとまとめてみようと思う。では以下、続き。
その行動の目的は何か?
ってことで調べてみると、以下の事例が非常に勉強になった。
ここで書かれているアドバイスは、『問題とされる行動を取る理由・目的を考える』というものだった。
そしてそれに対しもっと抜本的なアプローチをしなければ、ボウリングの端のピンを倒すような行動に終始することになるとある。
さっきの例も、この前提で話を考えていこう。
その生徒は、カミナリを落とされた直後でも、敢えてそれを破るような行動を取っていた。これで何を得たいのか?
ドМなら別の理由もあるが、それは考えたくないのでパス。すると、『嫌われる勇気』か何かにあった、ある心理を思い出した。
『注目の獲得』だ。つまり、問題行動を起こせば皆が注目してくれる、それを狙いとしている可能性があるというワケ。
ではなぜ、『注目の獲得』をする必要があるのか?そこにある要因として挙げられていたものの中に、気になるトリガーがある。
『自己肯定感の欠如』だ。ADHDという特性はやはり、誰よりも注意される場面が多く、悲しいかな疎外されがちなときも多い。
そうなれば、当人の自己肯定感は無意識のうちに毀損されていく。「俺はダメだ」「みんなと同じであれない」と言った風に。
誰もが自分を見てくれない、注目してくれないという感覚は、怒られることの痛みより遥かに大きい。
だから問題行動を起こすことで、皆からの注目を集め、欠如した自己肯定感を満たす。そういう悲しい心理が働いている可能性が、この裏にはあるということだった。
実際その生徒も、得意だった社会の点数が実力テストで奮わなかったとき、普段のお茶らけたテンションとは真逆のそれで僕に相談をしてきたほどだった。
陽気に振舞う奴ほど闇を抱えているモノ。これって実は、言い得て妙な真理なのかもしれない。
・・・・ではそれに対し、我々はどんなアプローチをするべきなのか?色々あった情報を統合すれば、以下のような提案がなされていた。
① 短期で何とかしようと思わない
② 問題行動に注目しない(感情的に返さない、つまり目的を達成させない)
③ 自分も生徒も責めない(こういうもんだからと納得する)
ま、要するに、長期的なアプローチになるから腰を据えましょうということである。
もうその生徒と会う回数は1回しかないのでどうしようかなとも思うが、とりあえず他の生徒から敵意を向けられないためにも、できることをしようとは考えている。
はい。ってことで教育的指導という名のカミナリが全く響かないタイプは、単に話が聞けないのか、それとも心に闇を抱えているのか。
教育に携わっているのなら、一歩立ち止まってここを見つめるってことは心掛けた方が良いと思う。では今日はこの辺で。